かつての親友
七年前の話をする。
探索者登録をした年の秋だった。
第十五番ダンジョンの二層で、俺は壁の前に立っていた。壁の向こうに何かいる。音でわかった。重い足音。複数。逃げるか、迂回するか、押し通るか。
「右側の壁、三メートル先に空洞がある」
横から声がした。
鷹峰涼介が壁を叩いていた。ノックの音で確かめている。
「そこから迂回できる。抜け道だ」
「どうわかったんですか」
「感だよ感。勘が良いんだ、俺は」
笑いながら言った。そのとき俺は、この人の感覚はすごいと思った。まだD級の新人なのに、ダンジョンの気配の読み方が桁違いだった。
俺の《構造透視》は当時、まだ安定していなかった。発動率が七割程度で、見える範囲も狭かった。それに比べて鷹峰の野生の直感は、ほとんど外れなかった。
「先輩みたいですね」
「俺の方が一ヶ月早く登録しただけだぞ」
「それでも先輩です」
「……堅いな、お前は」
「よく言われます」
「ダンジョンの中でそんな敬語使ってると、反応が一秒遅れるぞ」
言いながら、鷹峰が先に歩き出した。俺が後ろについた。
抜け道は本当にあった。空洞を抜けると敵の群れを回避できた。鷹峰の「感」は正確だった。
その後のクリアタイムは、当時の俺たちのベストだった。
「飯行くか」
「奢りますか」
「俺はC級になったら奢る。今はD級だ」
「同じじゃないですか」
「微妙に違うんだよ。C級になったら気持ちが変わるんだ、人間は」
「……論理的ではないですね」
「ダンジョン探索者に論理だけ求めるな」
笑いながら帰った。
あの頃は、そんな話ばかりしていた。
次のダンジョンに行くこと。ランクを上げること。強くなること。それしか頭になかった。鷹峰もそれは同じで、同じ目標を向いて、同じ速さで走っていた。
二年目に、差が生まれた。
《構造透視》が安定し始めた。見える範囲が広がり、発動率が上がり、情報の精度が増した。俺のクリアタイムが上がった。報告実績の数字が上がった。
鷹峰のそれも上がっていた。でも、俺の伸び方の方が急だった。
ある日、鷹峰に言われた。
「お前のスキル、本当に化け物だな」
笑っていたが、声の質が少し違った。俺は気づかなかった。気づくべきだったかもしれない。今の配信の数字——三百万を超えた視聴者を見るたびに、あの違和感を思い出す。鷹峰が笑いながら言ったあの一言が、全ての始まりだった気がする。
三年目に、逆転した。
それ以降の記録は知っている。鷹峰が《ヴァンガード》を立ち上げた。俺はソロのまま続けた。二人のランクが開いていった。
鷹峰が俺の実績に手をつけ始めたのは、四年目だったと後から知った。最初は小さな修正だった。気づかなかった。
気づいたのは去年だ。
もう七年が経っていた。
現在に戻る。
ギルドの精算室に俺は呼ばれていた。
中堂が書類を広げた。
「《ヴァンガード》の調査が進んでいます。流用された実績の総数は現時点で二十四件。あなたの報告書への虚偽介入が、その大部分を占めています」
「わかりました」
「改めて確認ですが、あなたは当時、これらの改ざんに関与していませんでしたか」
「していません」
「ありがとうございます。正式な証言として記録します」
俺は頷いた。
会議室の時計が正午を指していた。
「それから」と中堂が言った。「S級審査のスケジュールですが——」
そのとき、廊下でドアが開く音がした。
走る足音。
ドアを叩く音。
「中堂主任!」
スタッフが顔を出した。息が上がっている。
「何ですか」
「地震計です。第四十一番と第三十七番、両方の計測値が急上昇しています」
「地震ですか」
「違います。内部活動です。ダンジョン内部からの振動が——」
スタッフが手元の端末を中堂に渡した。
中堂が画面を見た。
見る見るうちに、顔色が変わった。
「……これは」
「地震計班が確認しました。パターンは既知のものと一致します」
俺は立ち上がった。
中堂の端末の画面が見えた。赤い波形が激しく揺れている。数値が閾値を超えている。
「ダンジョンブレイクの兆候です」
スタッフが言った。
部屋の温度が変わった気がした。
ダンジョンブレイク。内部構造の崩壊。ダンジョンの壁が壊れて、内部の魔物が地上に溢れ出す。最悪の事態だ。
「規模は」と俺は言った。
スタッフが端末を確認した。
「現時点では算定中ですが……第四十一番の最下層を震源とする波形が、最も大きいです。あの規模のダンジョンでブレイクが起きた場合の流出魔物数は——」
「止める方法は」
スタッフが俺を見た。中堂も俺を見た。
「理論上は」と中堂が言った。声が低かった。「内部の最深層まで到達して、コアを破壊することで崩壊を止められます。ただし——」
「難易度は」
「最深層は未探索区画です。現在判明している構造の先。七層の地下都市を抜けた、さらに下」
俺は頷いた。
「難易度の推定は出ていますか」
中堂が端末を操作した。数値が出た。
スタッフが読み上げた。声が掠れた。
「推定難易度——SS級」
誰も何も言わなかった。
会議室の誰かの視線が、一瞬だけ凛花を見た。彼女の左腕に止まって、すぐに外れた。凛花は気づいていた。顔には出さなかった。
SS級。ギルドが規定している最高難易度。現役の探索者で、そのランクに到達した人間は記録に存在しない。
俺は立っていた。
頭の中で《構造透視》が動いていた。第四十一番ダンジョンの地図。七層の都市。最深部の方向。コアがある場所。
五手先まで見える目で——もっと先を読んでいた。
「行きます」
声は静かだった。
中堂が何かを言いかけた。俺は続けた。
「凛花さんとひなたに連絡します。準備を始めます」
「しかし——」
「SS級の難易度を下げる手段があります」
「何ですか」
「《構造透視》のステージ3は、構造の未来を読めます。ダンジョンの崩壊パターンも、構造のはずです。読めれば、対処できます」
中堂が俺を見た。
「……本当に、行くつもりですか」
「行きます」
時計を見た。
SS級ダンジョン。最深部。ダンジョンブレイクの阻止。
凛花の腕を治す素材も、あの深さにある。
全部が、同じ方向を向いていた。
俺はスマホを取り出した。
凛花への電話を掛けた。
呼び出し音が一回鳴った。
「榊さん。見ています」
「行きますよ」
「知っています」
「ひなたに連絡を入れてもらえますか」
「もう入れました」
さすがだと思った。
窓の外で、遠くのダンジョン方向に向かってヘリが飛んでいくのが見えた。
地震計の数値が、また跳ね上がった。
七十二時間。間に合わなければ——鷹峰との話も、凛花の腕も、全部終わりになる。
【第3章「クランの影」完】




