公開実技試験
同時視聴者数が五百万を超えた、という通知が画面端に出た。
確認する余裕はなかった。五百万。鷹峰と《ヴァンガード》が消せなかった数字が、今ここにある。
第七番特設ダンジョンの第十三層。A級指定区域。足元は固い石灰岩で、壁面には赤い燐光を放つ苔が張り付いている。湿度が高い。空気が重い。
俺は壁際に背をつけて、呼吸を整えた。
「《構造透視》、フルレンジ」
頭の中に立体マップが展開する。三十メートル先にボスチャンバー。扉は閉じている。内部に一体の大型魔物。輪郭は巨大だ。腕が四本。頭部に角が二本。重量系の近接型と見た。
カメラのインジケーターを確認する。配信は生きている。
「十三層まで来ました。ボスチャンバーが三十メートル先に確認できます」
コメントが流れているのは見えない。この深さでは電波が弱く、コメント欄は別ウィンドウで自動記録するだけにしていた。帰ったら見る。
「入ります」
扉に手をかけた。
重い。石の扉が軋みながら開いた。
部屋は広かった。円形。天井が高い。中央に、それはいた。
《コロッサス・ウォーデン》。
高さ四メートル。石灰岩のような皮膚。四本の腕のそれぞれに、骨を削ったような爪がある。眼球がない。音と振動で獲物を探知するタイプだ。
俺が踏み込んだ瞬間、それが頭を上げた。
「《構造透視》——」
自然に声が出た。
違う。
何かが変わった。
今まで《構造透視》で見えていたのは「現在の構造」だった。壁の向こう、地面の下、空間の密度。それが今、違うものを映していた。
動きが見える。
《コロッサス・ウォーデン》が右の二本腕を振り上げる。その軌道が、一秒先まで見えた。二秒先。三秒先。
五秒先まで、全部見えた。
右腕が来る前に、俺は左に跳んでいた。
腕が床を打った。石が砕ける音がした。俺がいた場所が消えた。
「……何だ、これ」
《構造透視》が変わっている。物体の未来軌道が見える。筋肉の収縮、重心の移動、慣性の方向——それを構造として読んでいる。
ステージ3。
後で考える。今はこれを使い切ることだけを考えた。
俺は走った。
左腕が薙いできた。軌道が見えた。腰を落としてスライディング気味に潜り抜ける。右後ろ腕が踏み込んできた。これも見えた。右に跳ぶ。
五手先が見える。それだけあれば十分だった。
剣を抜く。《構造透視》が敵の内部構造を映す。関節部。骨格の接合点。弱点が光っている。
右肩の接合部。左膝の軟骨層。そして——首の付け根、骨格密度が最も低い箇所。
「行きます」
走りながら呟いた。カメラに向けてではなく、自分に向けて。
左膝に一撃。《コロッサス・ウォーデン》が揺れた。重心が崩れた。崩れる方向が見えた。それに合わせて右肩の接合部に追撃。腕が一本、制限された。
残り三本。
腕が振り回される。五手先が見える。見えるなら、当たらない。
二分が経った。
そして俺は首の付け根の真下に立っていた。
剣を垂直に構えた。
「終わります」
突き上げた。
刃が骨格の隙間を抜けた。光が散った。《コロッサス・ウォーデン》がゆっくりと、崩れるように倒れた。床が揺れた。
静寂。
呼吸が荒かった。膝が少し震えていた。それでも立っていた。
時計を見た。入室から十七分。入場から四十七分。
カメラに向き直った。
「クリア、です」
震えは声に出さないようにした。
「A級ダンジョン、第七番特設。ソロ踏破。タイム、四十七分」
しばらく何も言えなかった。
やっと言葉が出た。
「《構造透視》が、進化しました。ステージ3です。動きの未来構造が、五手先まで見えます」
コメントは後で見る。それでもわかった。外では今、何かが起きているはずだ。
ダンジョンの出口に向かって歩き始めた。
足が重かった。でも、前に進んでいた。
階段を上りきって、地上に出たとき、光が眩しかった。
審査員が三人、立っていた。全員の顔が同じ表情をしていた。
言葉が見つからない、という表情だった。
「タイム確認しました。四十七分十三秒」
一人が言った。声が微かに掠れていた。
「……これは、A級の記録ではありません」
「え?」
「A級ソロ踏破の最速記録は、九十二分です。あなたの記録は、それを半分以上、更新しています」
沈黙。
もう一人の審査員が、タブレットから顔を上げた。
「記録破りです。それも——ギルド史上最速の踏破タイム」
風が吹いた。
遠くで、誰かが叫んでいる声がした。
俺はカメラを確認した。インジケーターが赤く点滅している。バッテリー残量が少ない。
でも、まだ映っていた。
「見ていてくれた皆さん、ありがとうございました」
それだけ言った。
もっと言うべきことがある気がしたが、今は頭が静かだった。
カメラに向いた瞬間、審査員の後ろに凛花が立っているのが見えた。腕を組んで、静かにこちらを見ていた。目が合った。それだけだった。それだけで十分だった。
体の中で何かが変わった。世界の見え方が変わった。
五手先が見える世界で、次に何をすべきか——それはもう、見えていた。
そして、ギルドの審査員たちがまだ何も言い出せないでいる間に、俺はすでに次の動きを決めていた。




