凛花の告白
ひなたが帰ったのは夜十時だった。
「師匠、明日の取材前に連絡します。パーティメンバーの一人、まだ冒険者やってることがわかったんで、明朝コンタクト取ります」
「助かる。無理するな」
「しません。あ、凛花さん、お疲れ様でした。夜道気を付けてください」
「ありがとう」
ひなたが出ていくと、部屋が静かになった。
凛花がテーブルの向こうに座っていた。メモは閉じていた。コーヒーのカップに両手を添えていた。
「話を聞きます」
俺は言った。
「ええ」
凛花は少しの間、カップを見ていた。
俺も急かさなかった。窓の外で車の音がして、通り過ぎていった。
「私が《アストレア》を辞めた理由を、あなたはまだ聞いていないと思って」
「そうですね」
「怪我で引退した、ということは話しました」
「左腕だと」
「ええ」
凛花がカップを置いた。左腕を、右手で少し押さえた。上から見てもわからない。でも《構造透視》で見れば——いや、今は考えなくていい。
「《アストレア》にいた頃、私はパーティのナンバーツーでした。リーダーは五年先輩の男性で、S級の実力者だった。私はスカウトされてパーティに入ったんです」
「それは知っています。業界では有名な話だったので」
「入って二年間は、うまくいっていました。私のスキルとリーダーの判断が噛み合って、難攻不落と言われていたダンジョンをいくつか開拓した」
俺は黙って聞いた。
「でもある時期から、実績の帰属が変わり始めました。私が提案したルートが、リーダーの判断として発表されるようになった。私が解析した弱点情報が、リーダーのレポートとして提出されるようになった」
「……」
「最初は気のせいだと思いました。次第に確信に変わっても、言えなかった。当時の私は、S級パーティの中でのポジションを失うことが怖かった。文句を言える立場ではないと思っていた」
「凛花さん」
「あなたと、同じですよ」
凛花がこちらを見た。
目が、いつもと少し違った。感情がある。いつもは整理された静けさがある目だが、今は違う。
「同じなんです。だから——放っておけなかった」
俺は何も言えなかった。
「最終的に抗議しました。証拠を集めて、リーダーに直接話しました。丁寧に、論理的に。でも」
「でも」
「次の遠征で、事故がありました」
凛花は静かに言った。感情を押し込んだ静かさではなく、ただそれが事実だというような声だった。
「崩落に巻き込まれた。リーダーの判断で私が先行していたルートで起きた崩落でした。意図的だったかどうかは、証明できていません。ただ——」
左腕に触れていた右手が、少しだけ力を込めた。
「このとき、左腕に何かが刺さった。ダンジョンの遺物の破片です。医療班が取り出そうとしましたが、神経と複雑に絡んでいて取れなかった。今もそのままです」
「《構造透視》で見たことがあります」
俺は言った。
「ええ、そうでしょうね」
「詳しくは見ていませんでした。失礼だと思って」
「わかっています」凛花は小さく頷いた。「あなたがそういう人だということは、最初から見ていたので」
部屋が静かになった。
外の音が遠かった。
「なぜ今、話してくれたんですか」
俺は聞いた。
「今の状況を見ていて、思ったんです」凛花は少し間を置いた。「あなたは正しく戦えている。私はあのとき、戦い方を間違えた。証拠もなく、周囲の支援もなく、一人で正面からぶつかった。今のあなたには記録がある。視聴者がいる。ひなたちゃんがいる。私がいる」
「凛花さん——」
「お節介だということはわかっています。でも同じ思いをした人間として、あなたのことが放っておけなかった」
俺はしばらく黙っていた。
何を言うべきか、うまく組み立てられなかった。ありがとうという言葉は合っているが足りない気がした。
「俺が初めて配信を始めたとき」
俺は言った。
「ギルドに追い出されて、装備も人脈もなくて、でも一人でダンジョンに入るしか選択肢がなかった。あのとき凛花さんが保証人になってくれなければ、今はなかった」
配信を始めたあの夜、鷹峰と《ヴァンガード》に追い出されたことを、俺はまだ覚えている。あの怒りが最初の燃料だった。
「それは義務の範囲で——」
「義務じゃないですよ」
凛花が止まった。
「義務で、俺の隣でボスと戦いませんよ。義務で、審査委員会の繋がりを調べませんよ」
凛花は少し目を伏せた。
「……そう、ですね」
静かな声だった。その声に、俺は一瞬だけ別のことを考えていた。言葉じゃない。ただ、この人の存在がここにある、という、それだけの感覚だった。
俺は立ち上がって、凛花の横に移動した。テーブルを挟まずに、並んで座る形になった。
「左腕を見ていいですか」
「……はい」
「《構造透視》を使います」
「わかっています」
俺はスキルを起動した。ステージ2の《構造透視》が、ゆっくりと凛花の左腕の内部を読み取り始める。神経の走り方。骨の位置。筋肉の密度。
そして——異物。
暗い塊が、腕の中ほどにあった。形は不規則だ。何かの遺物の欠片、という表現が正確だと思う。ダンジョン内の特殊物質で構成されているらしく、通常の金属とは内部構造が違う。神経の束が、異物の周囲を複雑に取り巻いていた。
「……」
「どう、ですか」
凛花の声が、わずかに緊張していた。
「取り除ける可能性があります」
俺は言った。
凛花が、小さく息を吸った。
「本当ですか」
「ただし——そのためには特定の素材が必要です。《構造透視》の解析が示すと、この異物の結合を解くには、対応する特性を持つ素材で無力化してから外科的に取り出す必要がある」
「素材というのは」
俺は凛花を見た。
「未発見階層の地下都市で確認した遺物です。あの空間にあったものの内部組成と、この異物の構造が——一致している部分がある」
静寂。
凛花は俺を見ていた。
「つまり」
「入らないといけません」
「《ヴァンガード》の申請が通れば、私たちは入れない」
「だから通らせない」
俺は言った。
凛花が、ゆっくりと息を吐いた。
「五年間、諦めていました」
「知っています」
「でも」
「でも、できるかもしれない。今なら」
窓の外で風が鳴った。
凛花は少しの間、俺を見ていた。その目に何があったか、うまく言葉にできない。でも確かに、何かが変わった気がした。
「わかりました」
凛花は静かに言った。
「一緒に、やりましょう」
その声は、俺がこれまで聞いた中で一番、柔らかかった。
だが——《ヴァンガード》がじっと見ている。地下都市の申請書が、今頃ギルドの机の上にある。時間がない。




