第9話:空からの手向け、砂の上の現在地
第9話:空からの手向け、砂の上の現在地
セスナの車輪が、不器用な衝撃とともにナスカの滑走路を捉えた。
機体が停止し、エンジンが長い吐息をつくように沈黙すると、代わりに砂漠の熱を含んだ風が機内に流れ込んできた。
タラップを降りると、そこには日焼けした逞しい男が、白い歯を見せて立っていた。
今回の現地調査の設営を担っている、発掘現場のリーダーの郷田大地だ。
「よぉ、先生方! 空からのデートはどうだった? 神様の視線ってやつは、さぞかし気持ちよかったんだろ?」
郷田が、朱理の背中を豪快に叩く。朱理はよろけながらも、辛うじて考古学者としての仮面を繋ぎ止めた。
「……デートじゃないわよ。調査。それも、私の価値観を根本から揺さぶるような、極めて悪質な調査よ」
「ははっ、こりゃまた随分な言われようだな。で、文化財課の河田! お前はどうだ? 何か面白いもんでも見えたか?」
「……いや、別にいいんですけど」
僕は、足元の熱い砂利を見つめた。
上空から見れば幾何学模様の一部だったこの砂利は、地上で見ればただの、どこにでもある乾燥した石に過ぎない。
「……たぶんですけど。……郷田さんが、あそこの看板を設置したときと同じようなノリが見えました」
「俺? 看板? ……あぁ、あの『立入禁止』のやつか。あんなの、余った杭をぶっ叩いて、なんとなく目立つところに置いただけだぞ」
「……それです」
僕は小さく頷いた。
耳の奥で、まだノイズが響いている。石をどかし、白い地肌を露出させながら、自分たちの「仕事」の無意味さに爆笑している男たちの声だ。
一行は、郷田が用意したジープに乗り込み、地上絵の保護区の縁にある観測塔へと向かった。
江花亜沙美は、車内でもICレコーダーを手放さない。彼女は、万年筆のキャップをガリガリと噛みながら、僕を横目で射抜いた。
「ねえ、河田君。さっき空の上で言ってたことの続きを聞かせて。当時の人たちが『後で空を飛べる奴が現れたら、どう思うかな』って笑ってたって話」
朱理が、窓の外を向いたまま肩を震わせる。
「……彼らは、空を飛ぶ手段なんて持っていなかった。なのに、なぜ『未来の観測者』を想定したっていうの? それこそ、神という観測者を想定した『祈り』の裏返しじゃない」
「……祈り、というよりは……『仕掛け』に近い気がします」
僕は、ジープの振動に体を預けながら、ぼそっと言葉を紡いだ。
「現代の僕らが、誰もいない部屋でふざけたメモを残したりするじゃないですか。『この掃除用具入れには、実は秘密結社の入口がある』とか。……誰かがそれを見つけて、一瞬でも『えっ!?』ってなるのを想像して、一人でニヤニヤする。……ナスカの地上絵って、そういう『千年の時差があるイタズラ』だったんじゃないでしょうか」
「イタズラ……」
江花が、レコーダーのレベルを確認しながら、楽しそうに喉を鳴らす。
「いいわね。つまり、ナスカ人は自分たちの人生をかけて、未来の僕らを『ドッキリ』にかけたと。……羽院先生、どうですか? 宇宙人だ、暦だ、灌漑儀式だと、一生懸命意味を探してきた現代人。……千年前の『暇つぶし』に、私たちはまんまと踊らされているわけ?」
「……認めないわよ」
朱理が、鋭い視線を江花に投げ返す。その瞳には、考古学者としての誇りが再燃していた。
「……たとえ、始まりが彼らの『遊び』だったとしても。……彼らがこの過酷な砂漠で、膨大な時間を費やしてこれを維持し続けたという事実は消えない。……意味がないと知りながら、それでも何かを作り、残そうとする意志。……もし河田の言うことが本当なら、それは祈りよりも、もっと切実で、もっと人間的な……『存在の証明』よ」
「……存在の証明、ね。カッコいいフレーズ。要するに、自分たちがここにいたってことを、一番デカい落書きで主張したかったってこと?」
江花が、朱理の言葉を即座に分解する。
「……でも、それって今のSNSと同じじゃない? 誰も見ていないかもしれない場所に、必死で『映える』写真をアップして、自分の存在にいいね!を欲しがる。……現代人はそれを『承認欲求』って呼んで冷笑するけれど、ナスカ人はそれを砂漠に刻んだ。……スケールが違うだけで、やってることは同じ……ってこと?」
ジープが止まった。観測塔の影が、砂漠の上に長く伸びている。
僕は、車から降り、地平線の先を見つめた。
かつてここにいた人々も、同じ夕日を見ていたはずだ。
「……どうでもいい話なんですけど」
僕は、そっと呟いた。
「……彼ら、たぶん『いいね!』が欲しかったわけでもない気がします。……ただ、石を並べてるときに、隣の奴と『これ、絶対意味不明だよな』って言い合いながら笑えたら、それでゴールだったんじゃないでしょうか。……残ることなんて、たぶん、二の次で」
「……二の次」
朱理が、僕の言葉を繰り返した。彼女は、砂漠の熱風に乱れた髪をかき上げ、小さく、けれど確かに頷いた。
「……河田君。あなたの『暇つぶし説』、学術的には一ミリも認められないわよ。一ミリもね。……でも。……これからの発掘調査、少しだけ、違う視点で土を掘れそうな気がするわ」
「……そうですか。……それなら、よかったです」
「……ただし! これが『遊び』だったとしても、その遊びを全力で解明するのが、私の仕事よ。……いい? あなた、ストーンヘンジの調査にも同行してもらうわよ。あなたの『無意味説』を、私の理論で完膚なきまでに叩き潰してあげるんだから」
朱理が、不敵な笑みを浮かべて観測塔へ向かう。
郷田が「おっ、先生、元気出たな!」と追いかけていった。
江花が、僕の隣でレコーダーのスイッチを切った。
「……さて。次はイギリスね、河田君。……『意味の呪縛』から逃げようとする君と、それに縋ろうとする羽院先生。……この二人の会話、録音しがいがあるわ」
江花は万年筆を胸ポケットにしまい、僕の背中を軽く押した。
僕は、夕日に染まるナスカの地上絵に、心の中で小さく手を振った。
意味なんて、後から勝手についてくるものだ。
今はただ、この砂漠の静寂の中に、当時の人々のくだらない笑い声が残っていればいい。
セスナの飛行音は、もう聞こえない。
砂漠には、ただ、僕らの足跡という名の新しい「落書き」が、静かに刻まれていた。




