第6話:録音された沈黙、名前のない祈り
第6話:録音された沈黙、名前のない祈り
「……さて。どうまとめたものかしらね、これ」
ラパ・ヌイ最終日の夜。ホテルのテラスで、江花亜沙美がノートパソコンの画面を眺めながら、独り言のようにつぶやいた。
手元には、いつものICレコーダー。その液晶画面には、僕らがこの島で費やした時間のすべてが、無機質な波形となって刻まれている。
「……まとめなくていいんじゃないですか。ただの、記録なんだし」
僕は、ぬるくなった缶コーヒーを揺らしながら答えた。
「プロに『まとめるな』なんて、最高の侮辱ね」
江花はカラーグラスを指先で押し上げ、僕を横目で見た。
「でも、認めざるを得ないわ。今回の収穫は、モアイの起源でも、文明崩壊の謎でもなかった。……河田君、あなたの『考古学は世界で一番優しい嘘』っていう言葉。あれ、録音データの中でそこだけ異様に温度が高いのよ。ノイズの入り方まで、なんだか湿っぽくて」
「……たぶん、海風のせいですよ」
「そうかしら。……羽院先生、あんなに動揺しちゃって。今は部屋で、必死に自分の『公式見解』を修復している最中でしょうけど」
江花がキーボードを叩く手が止まる。
テラスの向こう、闇に沈む島からは、時折、唸るような波の音だけが聞こえてくる。
「ねえ、河田君。あなたの言う通り、もしこれが全部『暇つぶし』だったとしたら。……私たちは、何のためにこれほど必死に、過去を、そして今を解釈しようとしているのかしらね」
「……意味が、欲しいからじゃないですか。みんな」
僕は、暗い海を見つめたまま言った。
「意味がないと、自分がここに立っている理由も、明日目が覚める理由も、全部『たまたま』になっちゃう。それって、結構、耐えがたいですよ」
「……耐えがたい、か。冷笑家にしては、ずいぶんと人間臭いこと言うじゃない」
江花は万年筆のキャップをガリガリと噛み、フッと短く笑った。
「でもね、面白いわ。あなたの能力が受信しているのは、歴史の真実じゃない。もっと生々しい、人間の『手触り』そのものなのよ。モアイの鼻を高くして喜んでいた無名の男たちの、鼻息。石が倒されたときの、乾いた絶望。……それは、どんな精巧な論文にも書かれない、録音不可能な沈黙」
江花はレコーダーの再生ボタンを押した。
流れてきたのは、昨日の「フリ・モアイ」の現場の音だ。
荒い風の音。砂が擦れる音。
そして――。
『……明日遊ぶ約束を奪われたんです。……それって、すごく、寂しいじゃないですか』
自分の声が、機械を通して響く。
それは驚くほど、他人事のように響いた。
「この沈黙の後に、羽院先生の呼吸が、ほんのコンマ数秒だけ止まっているわ。……これが私の総括よ、河田君」
江花は画面を閉じ、椅子に深く背を預けた。
「意味があるから価値があるんじゃない。意味を探さずにはいられないほど、私たちは寂しい生き物だってこと。モアイも、ピラミッドも、あなたが地下室で整理している古びた紙切れも。……全部、私たちが『一人じゃない』って思い込むための、壮大な舞台装置なのよ」
「……江花さん。なんか、珍しく真面目ですね」
「うるさいわね。仕事よ、これも」
江花はカラーグラスを外し、初めて僕の目を真っ直ぐに見た。その瞳は、夜の海のように深く、冷徹なまでの観察眼と、微かな揺らぎを孕んでいた。
「私は、この『無意味な情熱』を配信するわ。世界中の、意味を欲しがって溺れそうな人たちに向けてね。……救いになるかは知らない。でも、少なくとも『暇つぶし』に付き合ってくれる仲間がいたってことは、伝わるはずよ」
翌朝、僕らは島を去った。
飛行機の窓から見下ろすと、モアイたちの島は、太平洋という巨大な空白に浮かぶ、小さな、けれど確固たる「落書き」のように見えた。
「……河田君。次の目的地、決まったわよ」
隣の席で、羽院朱理がフィールドノートをパシリと閉じて言った。
その顔は、いつもの気の強い考古学者に戻っていたが、僕を見る目は、以前のような一方的な拒絶ではない、何か別の複雑な熱を持っていた。
「次は、ナスカよ。……あんな広大な荒野に、地上からは見えない絵を描くなんて。あれこそ、神への捧げ物、あるいは高度な天文学の結晶に決まっているわ。あなたの『暇つぶし説』なんて、一歩も通じない場所なんだから」
「……ナスカ、ですか。たぶんですけど」
僕は、脳裏に浮かんできた「ノイズ」を反芻する。
それは、広大な砂漠で棒を引きずりながら、背後の仲間に向けて叫んでいる、泥だらけの男たちの笑い声だった。
『おい、もっとデカく描けよ! これじゃ空の向こうまで届かねえだろ!』
『届いてどうすんだよ! 誰が見るんだよ!』
『知るか! 俺らが見てりゃいいんだよ!』
僕は、朱理の横顔を盗み見る。
彼女は、自分が守ろうとしている「意味」という名の砦が、少しずつ僕というウイルスに侵食されていることに、まだ気づいていない。
「……楽しみですね。ナスカ。たぶん、すごく『くだらない』ですよ」
「は? 何言ってるの? ……あーもう、本当にイライラするわ、あなた!」
朱理の怒鳴り声が、機内に響く。
江花が、そのやり取りを黙ってレコーダーに収めているのが見えた。
僕らの旅は、まだ終わらない。
意味のない世界を、意味を求めて彷徨い続ける。
その滑稽で、愛おしい「暇つぶし」のために。




