第4話:ドヤ顔の孤島
第4話:ドヤ顔の孤島
「……ねえ、これを見て何を思う?」
太平洋のただ中に浮かぶ、絶海の孤島、ラパ・ヌイ。
吹き抜ける貿易風が、羽院朱理の短く結わえた髪を激しく揺らしていた。
彼女の指差す先、海岸線の高壇の上には、巨大な頭部を戴いた石像たちが、海を背にして黙然と立っている。
「……なんか、視線が痛いですね。みんなしてこっち見てる気がして」
「彼らは島を見守っているのよ。……モアイ。これは単なる石像じゃない。先祖の霊を宿し、部族の繁栄を祈願するために建てられた、神聖なる装置。この島に生きた人々の、魂の輪郭そのものなのよ」
朱理の声は、ピラミッドの時よりもどこか切実だった。
彼女は手元のフィールドノートに、モアイの配置と傾きを精密に書き込みながら、僕を、あるいは自分自身を説得するように言葉を継ぐ。
「……定説では、10世紀頃から17世紀にかけて、島内の部族がその権威を競い合うようにして建立したと言われているわ。火山の凝灰岩を切り出し、数キロも先の海岸まで運ぶ。その過程には、緻密な計算と、何より強固な共同体意識が必要不可欠だった。……意味がなければ、こんな絶海の孤島で、これほど巨大な文化が花開くはずがないの」
「……共同体意識、ですか。たぶんですけど」
僕は、足元の草を揺らす風の中に混じる、「別の音」を拾っていた。
それは厳かな読経でも、神聖な祈りでもなかった。
もっとこう、放課後の部室で繰り広げられる、どうでもいい自慢話の応酬に近い。
『おい、あっちの村の奴ら、また鼻を高くしたぞ。生意気だな』
『ふん、ならこっちは耳を限界まで長くしてやろうぜ。その方が“マナ”っぽいだろ?』
『マナって何だよ』
『知らねーよ。それっぽきゃいいんだよ。とにかく、アイツらより“盛れてる”顔にしろ!』
僕の脳内で、古代の彫刻師たちがノミを振るいながら、ニヤニヤと笑っている。
信仰。魂。そんな重い言葉は、彼らの会話のどこにも見当たらない。
「河田君。……また、何か変なこと考えてるでしょ」
朱理が鋭い視線を僕に向けた。
彼女の背後で、カメラを回していた江花亜沙美が、イヤホンを外して口角を上げる。
「いいじゃない、先生。もっと自由に想像させてあげなさいよ。歴史なんて、後から勝者が書いたファンタジーなんだから」
「江花さん。……ずっと聞きたかったんだけど、あなた、どうして今回私たちに同行してるの? 私たちの研究を嘲笑って、適当なスキャンダルを捏造するのが目的なら、今すぐ帰ってほしいんだけど」
朱理が歩み寄り、江花の前に立った。
江花はカラーグラスをずらし、レコーダーのレベルメーターを確認しながら、淡々と答える。
「捏造? 心外だな。私はジャーナリストですよ。……バイアスのかかった『公式見解』という名の防音壁を壊して、その奥にある生々しい音を拾うのが私の仕事。あなたが言う『魂の輪郭』も、河田君が言う『暇つぶし』も、私にとっては等価値のデータ。どちらが正しいかなんて、興味ないんです。私はただ、世界が本当はどんな温度感で動いているのか、それを記録したいだけ」
江花は万年筆のキャップをガリガリと噛みながら、視線を再びモアイへと戻した。
「……先生。あなたが怖いのは、真実を知ることじゃなくて、自分の信じている物語が、ただの『思い込み』だと証明されることでしょう? 私はフラットですよ。ピラミッドが居抜き物件だろうが、モアイが自撮り感覚だろうが、そこに『人間』が介在しているなら、それが私の追うべき真実。……使命感ってやつですかね」
「……ジャーナリストの使命ね。随分と聞こえがいいわ」
朱理は吐き捨てるように言うと、再びモアイの方を向き直った。
彼女の横顔には、言いようのない孤独が張り付いている。
「……かつて、この島は文明崩壊の象徴だと言われたわ。モアイを作るために森を焼き、資源を使い果たし、最後には部族間で殺し合った。……すべてに意味があったと信じなければ、そんな悲劇、あまりに救いがないじゃない」
「……救い、ですか」
僕は、朱理の言葉を反芻した。
彼女は「意味」を信じることで、歴史の残酷さから自分を守ろうとしているのかもしれない。
ふと、一体のモアイと目が合った。
地面に半分埋まったまま、少しだけ首を傾げたその像は、まるで僕に内緒話でもしているかのように、どこか滑稽で、それでいてひどく不穏な沈黙を保っている。
「……朱理さん。意味なんて、なくていいんじゃないですかね」
僕の言葉は、強い海風にかき消されそうになる。
「意味がないから、これだけたくさんの顔が残った。……誰かが必死に正解を探そうとした跡じゃなくて、ただ、その時を面白おかしく生きた跡。……それじゃ、ダメなんですかね」
朱理は何も答えなかった。
沈黙。
波の音だけが、不気味なほど規則正しく響いている。
「……明日、倒されたモアイ(フリ・モアイ)を調査するわ」
朱理は低い声で言った。
「かつて、部族闘争の中でモアイはすべて倒された。相手の霊力を奪うために、わざと顔を地面に叩きつけられたの。……その凄惨な跡を見ても、あなたはまだ『遊び』だと言えるかしら」
江花のレコーダーが、小さな電子音を立てて録音を終了した。
夕闇が、モアイの長い影を砂の上に引き伸ばしていく。
明日。
倒れた巨人たちの前で、僕らは何を聞くことになるのだろうか。
脳内のノイズが、少しずつ、けれど確実に、重く湿った「負の熱量」を帯び始めていた。




