第3話:砂の城と、王の孤独
第3話:砂の城と、王の孤独
「見てごらんなさい、河田君。この完璧な水平。3000年の時を経てもなお、数ミリの狂いすら許さない。これが、ただの『暇つぶし』にできることかね?」
翌朝。ピラミッドの足元で、考古学界の重鎮、江戸輪今人教授は、眩しそうに巨石の壁を仰いでいた。
その隣で、朱理さんは昨夜の憔悴が嘘のように、背筋をピンと伸ばして頷いている。
「江戸輪先生……。やはり、これは高度な国家プロジェクトですよね。民衆の労働を組織し、信仰という名の『意味』で統合した、壮大なる装置」
「その通りだ。羽院君。古代人は、我々が想像する以上に『理由』を重んじた。この石のひとつひとつに、死後の安寧と王の永劫を祈る言葉が刻まれている。それを無意味と切り捨てるのは、人類の歩みを否定するに等しい」
教授の声は、朗々と乾いた砂漠に響き渡る。
僕はその背後で、重い測量機材を抱えながら、ぼんやりと石の隙間を見つめていた。
「いや、別にいいんですけど……たぶんですけど。積み上げたあと、ちょっと『あ、やりすぎたわ』って思ってますよ、彼ら」
「河田君!」
朱理さんの鋭い声が飛ぶ。
江戸輪教授は、ゆっくりと僕の方を振り返った。その目は、迷い込んだ羽虫を見るような、慈愛に満ちた冷たさがあった。
「ほう。君が例の『無意味説』の提唱者か。面白い。では、君にはこの巨大な石が、何に見えるというのかね?」
「……砂の城、ですかね。子供が海辺で、親が『もう帰るよ』って言うまでムキになって積み上げ続ける、あの感じに近いというか」
『おい、あっちのチーム、もう一段積んだぞ!』
『負けんな、こっちももっとデカい石持ってこい!』
僕の耳の奥では、古代の作業員たちの、運動会のような喧騒が止まらない。
意味なんて、誰も考えていない。ただ、「隣よりデカいものを作りたい」という、原始的で、あまりにも子供じみた競争心。
「……意味があるからやったんじゃなくて、やってるうちに引けなくなっただけじゃないですかね。すごいものを作っちゃったから、後から慌てて『これは王様の魂のためです』って、誰かが理由を付け足した。……メンツを保つために」
教授はふっと笑った。
「メンツ、かね。人類の至宝を、政治的な言い訳だと?」
「先生、ちょっといいですか」
背後でずっとレコーダーを回していた江花さんが、レンズ越しに教授を射抜いた。
「先生のおっしゃる『人類の歩み』っていうフレーズ、いいですよね。でも、それって要するに、自分たちの研究予算を維持するための『資産価値の偽装』って理解でよろしいですか?」
「……何だと?」
「誰も見てない砂漠の石に、無理やり時価総額をつけて回る仕事。……マジで、尊敬しちゃいます。でもね、河田君の言う『引けなくなった』っていうのは、現代のプロジェクトでもよくある話ですよ。途中で目的を見失ったけど、サンクコストが怖くて止められない。ピラミッドは、世界最大の『やめ時を失った事業』……そう考えると、妙に人間味があってエロくないですか?」
江花さんは万年筆のキャップをガリガリと噛みながら、残酷な笑みを浮かべた。
教授の顔が、わずかに引き攣る。
朱理さんは、何かを言い返すように口を動かしたが、声にならなかった。
沈黙。
風が、細かな砂を巻き上げて、石の表面を撫でていく。
「……でも、先生」
僕は機材を地面に下ろし、そっと石に触れた。
「やってるとき、たぶんみんな本気だったんですよ。目的が後付けでも、競争に勝つために必死で石を運んで、夜は酒を飲んで、明日はもっと高く積もうって笑い合ってた。……それって、すごく豊かじゃないですか? 意味がないと価値がないなんて、それこそ僕らの勝手な思い込みというか」
朱理さんの視線が、僕の指先に落ちた。
彼女は、何かを理解しようとして、理解しきれない、もどかしそうな表情を浮かべている。
「……無駄って、外から見たときの言い方ですよ。中の人たちは、ただ楽しかったんだと思います。この、どうしようもなくデカいものを作ってる瞬間だけは」
「……君は、救いようのない虚無主義者だな」
江戸輪教授は、吐き捨てるように言って、再びピラミッドへと向き直った。
「意味がなければ、我々がこうして砂を払う必要もない。我々は、この石に込められた『意志』を信じる。それが考古学だ」
教授の背中は、崩れそうな砂の城を守る王のように、孤独で、けれど確かな誇りに満ちていた。
朱理は、僕を一度だけ複雑な目で見つめてから、教授の後に続いた。
ピラミッドの影が、砂漠を長く、黒く切り裂いている。
「さて、居抜きの王宮の撮影は終わり。次はイースター島でしたっけ?」
江花さんがレコーダーのスイッチを切った。
「先生たちの『信仰』が、太平洋の波に洗われてどう崩れるか……楽しみですね。ねえ河田君、君にはもう聞こえてるんでしょ? あの、首だけ出して地面に埋まってる、滑稽な連中の声が」
「……たぶんですけど。あれ、誰が一番“ドヤ顔”にできるか競ってただけですよ」
僕は耳の奥に響く、さらに南の、妙に浮かれたテンションを感じていた。
『おい、もっと顎を出せ。その方が偉そうだ!』
『いや、耳を伸ばせ。その方がオシャレだろ!』
意味なんて、どこにもない。
けれど、彼らは確かに笑いながら、あの巨大な顔を刻んでいた。
「意味がないなら、別にいいじゃないですか」
僕は空っぽのペットボトルをバッグにしまい、熱を帯びた砂の上を歩き出した。




