第2話:居抜きのピラミッド
第2話:居抜きのピラミッド
「……いい? 河田君。この内部構造こそが、クフ王の魂を天界へと導くための、壮大なる宗教的ギミックの核心なのよ」
翌日、ピラミッド内部。
狭く急な「大回廊」を登りながら、羽院朱理は懐中電灯を壁に押し当てて熱弁していた。
背後の僕に向かって、砂混じりの吐息を漏らしながら。
「この寸分の狂いもない石積みの美しさ。ここを通る王の魂が、北極星に向かって……」
「先生。あー、すいません、ちょっとストップ」
暗がりの先、いわゆる「王の間」に足を踏み入れた瞬間、僕の耳に別の「音」が流れ込んできた。
それは厳粛な儀式の調べなどではなく、もっとこう、新築物件の内見に来た若夫婦のような、ふわふわした会話だった。
「……あの。王様、さっきから『ここ、涼しくて最高じゃん』って言ってますね」
「……なんですって?」
朱理が懐中電灯を僕の顔に向けた。眩しい。
「いや、たぶんですけど。ここ、元々は別の目的で作ってたんですよね。ただの『デカい石の塔』として。でも、出来上がったのを視察に来たファラオが、このひんやりした空間を妙に気に入っちゃって」
『おい、ここいいな。外あんなに暑いのに、ここだけキンキンだよ』
脳内のファラオが、ノリノリで石の壁をペタペタ触っている。
『なあ、これ僕が死んだあとの墓にちょうどよくね? サイズ感もちょうどいいし。誰にも邪魔されなそうだし。よし、今日からここ、僕の墓ね! 決定!』
「…………」
僕がそれを逐一実況すると、朱理の持つ懐中電灯がガタガタと震え始めた。
「……ありえない。王の墓として設計されたからこそ、この完璧な星位との一致があるのよ。それを……『ちょうどよかったから墓にした』? あなた、人類史上最大の建造物を、居抜きの賃貸物件みたいに言うのね!」
「いや、意味なんて後付けだって、いつも言ってるじゃないですか。文化祭の舞台だって、終わったあとはゴミ捨て場になったりするでしょ。あれの逆ですよ」
「逆って何よ!」
「作ってるうちに、なんか『使い道』が見つかっちゃったんですよ」
沈黙。
王の間の静寂を切り裂くように、パチリという音が響いた。
「いいですね。……『居抜きのピラミッド』。視聴者が食いつきそうなワードです」
入り口に、一人の女性が立っていた。
オーバーサイズの白シャツに、薄いカラーグラス。
独立系メディアを主宰する江花亜沙美が、イヤホンを片耳にかけながら、ニヤニヤとこちらを見ていた。
「……江花さん。どうしてここに」
朱理が露骨に嫌な顔をする。江花は手にしたICレコーダーをひらつかせた。
「先生、ちょっとストップ。ロマンとか知の結晶とか、そういう『耳に心地よいノイズ』はもうお腹いっぱいなんです。視聴者が求めているのは、もっとこう……台無しな真実。ねえ、河田君だっけ。君の話、すごく『構造的』で面白いよ」
江花は迷いなく僕の隣まで歩いてくると、カラーグラスをずらして僕を上から下まで眺めた。
「要するに、これってSNSの『バズ』と同じだよね? 誰かが無意味に始めたことが、デカくなりすぎて、後から権力者が『これは自分の功績だ』ってタグ付けして乗っかった。……ピラミッドは、世界最古のトレンドハックってことでしょう?」
「あー、まあ、そんな感じかもしれませんね。たぶん」
「ふざけないで!」
朱理が声を荒らげた。狭い石室に彼女の声が反響する。
「そんな、金や承認欲求みたいな汚い話じゃない! ここには、祈りがあったのよ! 意味がなければ、これだけの熱量は生まれない!」
「先生、それですよ」
江花が、万年筆のキャップをガリガリと噛みながら、冷ややかな声を出す。
「あなたが本当に怖いのは、ピラミッドに意味がないことじゃなくて、ピラミッドに意味がないと『あなたのこれまでの研究人生が、単なる石ころ並べを眺めてただけになること』……ですよね? 図星ですか?」
朱理の顔から、血の気が引いた。
「……あなたに、何がわかるの」
「わかりますよ。だって、王様は全裸だって、この河田君が証言してるじゃないですか。あとは、各自勝手に『意味』っていう名前の風邪薬でも飲んで寝てればいいんじゃないですか?」
江花の言葉は、鞭のようにしなった。
「意味がある」と信じることで世界を支えてきた朱理。
「意味などない」と知りながら、その空虚さを面白がる江花。
僕は二人の間で、足元の石畳を見つめた。
そこには、3000年前に作業員がこぼしたであろう、麦茶の跡みたいなシミが、今もかすかに残っているような気がした。
「……いや、別にどっちでもいいんですけど」
「よくない!」
朱理の叫びが王の間に反響する。彼女の目は、僕ではなく、この石の壁の向こう側にある「何か」を必死に探しているようだった。
「……明日になれば、わかるわ」
朱理は震える指で懐中電灯を握り直した。
「教授が来る。江戸輪教授が合流すれば、あなたのその『居抜き説』なんて、学術的な地滑りで跡形もなく消えるんだから。江花さんも、あなたのレコーダーに吹き込む価値のある『真実』を、教授が教えてくれるわ」
「江戸輪先生ね。あの、砂漠の石全部に名前を付けないと気が済まない分類オタクの」
江花は興味なさそうに、スマホの画面をタップした。
「まあいいわ。その『高貴な真実』とやらを聞いてからでも、私の動画の編集は間に合うし。ねえ河田君、君、明日までに『モアイ』のことも、もっと詳しく思い出しておいてよ。あっちも相当、ひどいノリで作られてる気がするから」
「……たぶんですけど」
僕は、自分の声が狭い石室の空気に吸い込まれていくのを感じた。
意味があろうがなかろうが、この石、めちゃくちゃ冷たくて気持ちいいですよ。
それだけで、十分じゃないですかね。
やってるときは、本気だったんだし。
二人の視線が僕に突き刺さる。
ギザの夕闇が、巨大な暇つぶしのシルエットを、残酷なほど美しく描き出していた。




