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古代文明、全部“暇つぶし”でした。  作者: あめたす


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12/12

第12話:次は何作ろうか

第12話:次は何作ろうか


 スコットランドの北端、オークニー諸島を襲う風は、冷気を通り越して、もはや硬い質量を持っていた。

 灰色の空と、それに同化しそうな荒々しい北大西洋の波。その境界線に、へばりつくようにして埋まっているのが、5000年前の石造りの集落跡――スカラ・ブレイだった。


「……何もないわね」


 朱理が、防寒着のフードを深く被ったまま、低く呟いた。

 ソールズベリーでの一件以来、彼女の鋭かった声からは、どこか尖った角が取れてしまっている。まるで、風に洗われ続けた海岸の石のように、滑らかで、そして、脆そうだった。


「何もないのが、ここの売りなんですって」


 江花がカラーグラスのフレームを人差し指で押し上げ、ハンディカメラを構える。液晶画面の中の朱理は、ひどく小さく見えた。


「ピラミッドのような王の威光もなければ、ストーンヘンジのような神への祈りもない。ただの、昔の人の家。考古学界がどれだけロマンの額縁を飾ろうとしても、ここはあまりにも『生活』が剥き出しすぎるのよ。どう、羽院先生。何か崇高な『意味』の匂いはする?」


 朱理は答えない。ただ、地面をくり抜いたように作られた、円形の石の住居跡を見下ろしている。

 そこには、石を積み上げて作られたベッドがあり、部屋の中央には炉の跡があり、そして正面の壁には、驚くほど精緻に組み上げられた「石の棚」があった。

 現代のワンルームマンションの、備え付けの家具と何も変わらない配置だった。


「……どうでもいい話なんですけど」


 僕は、ポケットに両手を突っ込んだまま、二人の後ろからぼそっと言った。


「人間って、お祭りが終わったら、家に帰るじゃないですか」


 朱理の肩が、微かにびくりと跳ねた。彼女はゆっくりと、本当にゆっくりと僕の方を振り向く。その瞳には、まだソールズベリーの雨の冷たさが残っているようだった。


「家、に……?」


「ええ。ピラミッドとかストーンヘンジって、要するに文化祭の出し物なんですよ。みんなでハイになって、デカいもの作って騒いで。でも、夜になったら、みんなそれぞれ自分の部屋に帰って、泥みたいに眠るわけです。……ここ、その帰ってきた場所ですよ」


 風の音が、僕たちの間でひときわ大きく鳴り響いた。

 江花がカメラを回したまま、静かに僕たちとの距離を詰めてくる。耳元のワイヤレスイヤホンが、風の鳴き声を拾ってジジ……と小さなデジタルノイズを立てていた。


「河田君。その言い方だと、この5000年前の家具たちも、ただの……」


「ええ、まあ。たぶんですけど」


 僕は、石の棚を見つめた。

 耳の奥に、5000年前の、ひどくのんびりとした、しかし妙に真剣な声が流れ込んでくる。


『なあ、この棚、もう一段増やさね?』


『いや、置くもんねぇだろ。魚の骨くらいしかねぇぞ』


『いいじゃん、なんか格好いいから。暇だし、外は嵐だしさ』


「……ただの、模様替えですよ。DIYです」


 僕は息を吐いた。白い息が、風にかき消される。


「雨が降ってて外に出られないから、暇つぶしに部屋の棚を凝ってみただけです。あそこのベッドも、ちょっと狭いから石を削って広げようぜって、その場のノリでやっただけだと思います。……意味なんて、最初から一ミリもないですよ」


「嘘よ」


 朱理の声が、風を引き裂いた。

 彼女は僕の胸ぐらを掴みかねない勢いで一歩踏み出し、しかし、その手は虚空で止まった。指先が、寒さで小さく震えている。


「そんなわけないじゃない……! だったら、なんでこんな、5000年も残るような石で、わざわざ作ったのよ! 壊れないように、未来の私たちに何かを伝えるために、遺したんじゃないの……!? 人間はね、意味があるから、必死に生きて、何かを形にするのよ! 意味がなかったら、私たちは……私たちは何のために、今日まで繋がってきたのよ!」


 朱理の叫びは、激しい潮騒の音に、いとも簡単に飲み込まれていった。

 彼女の問いは、考古学者としての絶望であり、同時に、この世界に生きるすべての人間が、夜中にふと抱える恐怖そのものだった。

 江花はカメラを下げなかった。ただ、万年筆のキャップを前歯でガリガリと、今までで一番強く噛み締めている。


「意味、ねえ……」


 江花が、低く、笑うような声で言った。


「羽院先生、諦めなさいな。私たちはね、意味があるから生きてるんじゃなくて、生きちゃってるから、退屈しのぎに『意味』っていう名前の暇つぶしを探してるだけなのよ。仕事も、学問も、この私のカメラもね。人間は、自分が『ただの暇つぶしで生きてる動物』だって事実に、耐えられないだけ」


 世界が、急速に色を失っていくような静寂が訪れた。

 朱理は、石造りのベッドの縁に、力なく腰を下ろした。5000年前の誰かが、一晩を明かしたのと同じ場所に。彼女は自分の膝を見つめたまま、もう何も言わなかった。

 僕は、のそのそと朱理の隣に歩み寄り、少し離れたところに腰掛けた。

 触れた石は、驚くほど冷たかった。けれど、不思議と嫌な冷たさではなかった。


「……いや、別にいいじゃないですか」


 僕は、灰色の海を見つめながら、ぼそぼそと言った。


「意味がないからやるって、ちょっと窮屈じゃないですか。すごいことしなきゃいけないとか、歴史に何か遺さなきゃいけないとか。……古代の人たち、たぶん、そんな大層なこと考えてないですよ。ただ、明日も目が覚めちゃうから、なんとなく部屋を住みやすくして、なんとなく生きてただけです」


 朱理が、ゆっくりと顔を上げた。その瞳から、涙は流れていなかった。ただ、何もない、底の抜けたような深い暗がりだけがあった。


「意味がなくても……いいの?」


「いいんじゃないですかね。無駄って、外から見たときの言い方ですし」


 僕は、石の棚を指差した。


「でも、楽しそうですよね。これ作ってるとき。意味はなくても、やってるときは、みんな本気だったはずですから」


 朱理は、僕が指差した棚を、じっと見つめた。

 5000年前の、名もなき誰かが、退屈な雨の日に、ただ「なんとなく」作った棚。それが、ピラミッドよりも、ストーンヘンジよりも、今の彼女の心に、静かに、深く、侵入していくのが分かった。

 意味なんてない。

 世界は最初から、中身のない書き殴りのメモ書きみたいなものだ。

 だけど、だからこそ、その無駄な手慰みが、ひどく愛おしく、微かに美しく見える。

 江花が、ついにカメラの録音スイッチを切った。カチリ、という小さな音が、世界の終わりの合図のように響いた。

 江花はカラーグラスを外し、僕たちに、剥き出しの、どこか優しい目を向けた。


「これ、放送したら、世界中のロマンチストたちが全員首を吊るかもしれないわ。……まあ、誰も見ない深夜枠だから、ちょうどいい暇つぶしにはなるかしら」


 朱理は、ふっと小さく息を漏らした。それは、彼女がこの旅で初めて見せた、諦念に満ちた、しかし、どこか救われたような笑みだった。


「……そうね。私のこれまでの研究も、全部、ただの贅沢な暇つぶしだったのかもね」


「贅沢でいいじゃないですか」


 僕は立ち上がり、ズボンの砂を払った。


「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。お腹空きましたし」


 僕たちは、5000年前の住居跡に背を向け、風の吹き荒れる丘を登り始めた。

 世界の境界線は、もうどこにも見えなかった。意味のない世界が、ただ、ありのままの輪郭を持って、僕たちの目の前に広がっている。

 歩きながら、朱理が、いつもの少し気の強い口調を、半分だけ取り戻したように言った。


「ねえ、河田君」


「なんですか」


「メキシコの、あのテオティワカンってあるじゃない。もの凄く理路整然と並んだ、あの巨大なピラミッドと死者の大通り……」


 朱理は、僕の顔をじっと覗き込んできた。その距離は、近いようで、どこか遠い。


「文字も遺さず消えたあの一族が、本当は何のためにあの完璧な街を作ったか……あなたにはわかっちゃうんでしょ?」


 僕は足を止め、少しだけ考えてから、いつものように逃げるように微笑んだ。


「さあ、どうでしょう。……まあ、次、行ってみたら分かるんじゃないですか?」


 江花が、後ろから僕たちの背中をポンと叩いた。


「はいはい、次の暇つぶしの予定が決まったなら、早く行くわよ。機材が重くて、私の体力が限界なんだから」


 灰色の空の向こうで、世界のシステムが軋むようなデジタルノイズは、いつの間にか、もう聞こえなくなっていた。

 意味のない世界を、意味のない僕たちが、ただ、なんとなく歩いていく。

 その滑稽な足取りは、不思議と、どこまでも続いていくような気がした。

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