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古代文明、全部“暇つぶし”でした。  作者: あめたす


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第11話:古代人たちのノリ

第11話:古代人たちのノリ


 ソールズベリー平原を覆う霧雨は、容赦なく体温を奪っていく。

 世界遺産の立ち入り制限区域内に設営された、ブリティッシュ・グリーンの一大型リサーチ・テント。その中は、最先端の地中レーダーの稼働音と、イギリス人調査員たちの泥臭い熱気に満ちていた。


「――つまり、この『ストーンヘンジ・アンダーグラウンド・プロジェクト』が弾き出した最新の3Dデータこそが、私の説の動かぬ証拠なのだよ、羽院准教授」


 ホワイトボードの前に立ち、誇らしげにレーザーポインターを振っているのは、ブリストル大学のアーサー・ベネット教授だ。近年、ストーンヘンジを「生者と死者を繋ぐ精緻な天文学的コードであり、古代の巨大な療養・礼拝施設だった」とする画期的な新説を提唱し、一躍アカデミアの寵児となった男である。

 その隣で、江花の構えるハンディカメラのレンズが、冷徹にベネットのドヤ顔を捉えていた。


「素晴らしい視座です、ベネット教授」


 朱理は、手元のフィールドノートを握りしめたまま、必死に声を絞り出していた。


「周囲の埋葬跡から出土した骨のストロンチウム分析、そしてこのヒールストーンと中心を繋ぐ軸線……。これほど完璧な整合性は、当時の社会に数世代にわたる強固な“設計者の意志”と、高度な数学的知性があったとしか説明がつきません」


「その通り!」


 ベネット教授は満足げに顎を引いた。


「これは行き当たりばったりの原始人が作れるものではない。宇宙の運行を理解した『知的トップエリート』が、何百年もの綿密な計画の果てに配置した、いわば地球上の精密機械なのだ。これ以外の解釈は、すべて学問に対する怠慢だよ」


 テントの片隅で、現地調査チームの若手、トビーが淹れてくれた泥のように濃いミルクティーを すすりながら、僕はホワイトボードのデータを見ていた。

 

 画面に映し出されているのは、数千年前の男たちの、ひどく頭の悪そうな、しかし圧倒的に楽しそうな喧騒だった。耳の奥で、その「ノリ」が、雨音を引き裂くほどの高解像度で再生され始める。


「……あの、すみません」


 僕はカップを置き、のそのそとホワイトボードの前に歩み寄った。


「その、完璧な計算とか、知的エリートとか……たぶん、一人もいなかったと思いますよ」


 テント内の空気が、一瞬で凍りついた。

 ベネット教授がポインターを止め、カラーグラスの奥で目を輝かせた江花が、すかさずカメラのフォーカスを僕に合わせた。


「……誰かね、君は? 羽院准教授、この無礼な東洋人の助手は一体何だ」


「あ、いえ、彼は文化財課の同行者で……河田君、下がって!」


 朱理が遮ろうとしたが、僕はベネット教授が「完璧な天文学的配置」と自慢する、軸線のわずかな歪みを指差した。


「ここ、夏至の日の出のラインから、ほんの数度だけズレて、石が不自然に歪んで並んでますよね。ここ、計算ミスじゃないです。……ただの『現物合わせ』ですよ」


「現物合わせだと!?」


ベネット教授の顔が不快感で赤くなる。


「そうです。あの石を並べたの、夏至の当日なんです。正確には、前日の夜からお祭りをしてたんです。みんなで、見たこともないような強い酒をたくさん飲んで、夜通しバカ騒ぎしてて。で、朝、ものすごい二日酔いの中で、パーッと太陽が昇ってきた。丘の向こうから」


 誰も口を挟まない。ただ、江花のカメラの駆動音だけがジーッと響いている。


「そしたら、一番頭の悪そうな、声のデカい男が、昇ってきた太陽を指差して言ったんですよ。『うおー! あそこの石の隙間から太陽見えた! マジで奇跡じゃね!?』って。周りの奴らも、みんなベロベロに酔っ払ってるから、『本当だ! 奇跡だ! 神様だ!』ってハイになっちゃって。『じゃあ、この奇跡がズレないように、あそこのデカい石、ちょっと右に動かして固定しとこうぜ!』って……。その日の朝のノリだけで、泥まみれになって石を引っ張っただけです。出てる太陽に合わせてそこに置いたんだから、位置が一致するのは当たり前じゃないですか」


「バカバカしい! 妄言だ!」


 ベネット教授が机を叩いた。


「そんな、行き当たりばったりの狂乱で、50トンもの巨石が動かせるわけがない! 秩序のない人間に、これほどのモニュメントが残せるはずが――」


「……教授、待ってください」


 声を震わせたのは、現地チームのトビーだった。彼はノートパソコンの深度データを凝視したまま、青ざめていた。


「ここ……河田の言う、軸線がズレている層の地中から、異常な密度の有機物堆積……平たく言うと、当時の大量の『吐瀉物』と、家畜の骨の燃え残りが検出されています。それも、この層だけ、およそ計画的とは言えない、一晩で捨てられたような乱雑さで……」


「な、何だと……?」


 ベネット教授の言葉が、喉に詰まった。


「彼ら、次の日の朝には、みんなひどい二日酔いで、誰がそれを言い出したかも覚えてないですよ」


 僕はベネット教授を見つめた。


「意味なんて、最初からどこにもないんです。あそこ、ただの『昨日のお祭りの残骸』ですよ」


 英国のアカデミアの権威が、完全にフリーズした。

 だが、ベネット教授の怒りよりも凄絶だったのは、僕の隣に立つ朱理の表情だった。

 彼女は、自分の震える両手を見つめていた。その瞳から、これまで彼女の理性的な世界を支えていた光が、急速に失われていく。


「……嘘。じゃあ、私たちが信じてきた歴史は……何なの?」


 朱理の声は、掠れて消えそうだった。


「計算も、数世代の祈りも、社会の統率もなくて……ただ、その場のノリだけで、世界遺産が作られていたとしたら……。私たちは、何を信じて、この地球の土を掘ればいいの……?」


「いい画が撮れたわ」


 江花がカメラを下げ、冷酷な、しかしどこか恍惚とした笑みを浮かべた。


「権威の完全な崩壊。そして、人間がいかに『意味のない面白さ』に耐えられないかの証明。古代人が何も考えていなかったとしても、現代の私たちが、勝手に彼らに『知性』という名の梱包材を巻きつけて、神聖なものとして扱ってきただけ。……世界は最初から、中身のない書き殴りのメモ書きみたいなものかもしれないわね」


  その夜、ソールズベリーの古びたパブの片隅で、僕らは冷めきったエールを前にしていた。

 朱理は一言も喋らず、ただ窓ガラスを叩く激しい雨を見つめている。彼女の手は、テーブルの上で自分の空になったグラスの縁を、なぞるようにして何度も、何度もなぞっていた。爪がガラスに当たる微かな音が、雨の音に紛れては消える。彼女の精神は、すでに参照すべき座標を見失い、世界の境界線の向こう側へと足を踏み入れていた。

 意味なんて、最初からどこにもなかった。

 ただ、その場にいた人間たちが、一瞬だけ笑えればそれで良かったのだ。

 なのに、残されてしまった巨大な石のせいで、後世の人間たちが「なぜ、なぜ」と頭を抱えて、勝手に壮大なシステムを組み上げて、勝手に自滅している。

 江花が、胸元のポケットから万年筆を抜き、そのキャップを前歯でガリガリと静かに噛んだ。カラーグラスの奥の目が、じっと僕の指先を見つめている。


「神聖さも、知の結晶も、ぜんぶ二日酔いのゲロと一緒に流されちゃったわね」


 江花の声は、低く、湿っていた。


「ねえ、河田君。モニュメントの嘘を剥ぎ取るのはこれで終わり? あなたのその『どうでもよさ』、もう立派な暴力よ。羽院先生のこの顔を見てごらんなさいな。魂がどこかへ家出中よ?」


 僕は、ぬるくなったエールのグラスを持ち上げたが、口はつけずにまた置いた。コースターが水分を吸って、机にしがみつくような音がした。


「いや、別に壊しに行こうなんて思ってないですけど」


「じゃあ、次のお散歩コースは?」


 江花が、手元のICレコーダーの赤い録音ランプを、指先でトントンと叩く。


「これ以上、どこを暴くの。まだ壊し足りないものがある?」


 朱理の指が、ぴたりと止まった。

 彼女は錆びついた機械のように、ひどくゆっくりと首を巡らせて、光のない瞳で僕を見た。聞こえているのか、いないのか、それすら分からないほど深い「間」のあとで、彼女の唇が微かに戦慄いた。


「……どこへ、行くの」


「ずっと、北の果てです」


 僕は、自分の声がいつもより少しだけ低く響くのを感じていた。


「スコットランドの、オークニー諸島に行きます」


 朱理の眉が、ほんのわずかに動いた。


「オークニー……? あそこには、ストーンヘンジのような巨大な神殿モニュメントなんて、もうないわよ」


「ええ、ないです」


 僕は頷いた。


「あるのは、ただの古い、石造りの住居跡です。スカラ・ブレイっていう」


「住居、跡……」


 朱理は、その単語の響きを確かめるように、小さく呟いた。


「どうでもいい話なんですけど」


 僕は、窓の外の暗闇を見つめた。雨の向こうで、世界の辻褄が少しずつ狂い、剥がれ落ちていくような奇妙なデジタルノイズが、やはり耳の奥でジジ……と鳴り続けている。


「ピラミッドとか、ストーンヘンジって、文化祭の巨大な出し物みたいなもんです。……でも、人間って、お祭り騒ぎが終わったら、みんな家に帰るじゃないですか。あそこには、ただ、暮らしていた人たちの跡があるんです。石のベッドとか、石の棚とか、そういう、生活の跡が」


 江花が、万年筆を噛むのをやめた。ラウンジの時とは違う、本物の静寂が、パブの片隅に満ちていく。


「あそこを見たら、たぶん、全部終わりますよ」


 僕は、冷えきったエールの泡を見つめながら言った。


「人間が、何のために生きてるかっていう……一番めんどくさい謎が、あそこに置いてありますから」


 窓の外で、一瞬、激しい稲光がスコットランドへと続く北の空を白く染めた。

 世界がその意味を失っていく不穏なカウントダウンの中で、僕たちの旅は、ただ人間が「生きて、暮らしていた」だけの、最後の遺跡へと動き出そうとしていた。

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