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ようこそ、朽ちた館へ。異世界転移者は「饗宴の食材」らしいです。  作者: イチジク浣腸


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希望

夜が来るのを、蓮は部屋で待った。

窓の外の霧が少しずつ濃くなり、やがて完全な闇に呑まれていく。館の中からは、時折奇妙な物音が聞こえてきた。どこかで何かを引きずるような音、金属がぶつかり合う音、そして——悲鳴のような、笑い声のような、判別のつかない声。

蓮はベッドの下を調べ、古い燭台を見つけた。これが唯一の武器になるだろう。コンビニ袋の中身——冷めた弁当は、非常食として取っておくことにした。

深夜になり、館が静まり返った頃、蓮は行動を開始した。

扉の鍵は外側からかけられていたが、古い館の扉は歪んでいて、強く押せば隙間ができることに気づいた。蓮は肩で何度も扉を押し、ついに鍵の留め金が外れる音がした。

廊下に出る。

誰もいない。ろうそくの火が揺らめき、壁に無数の影を作り出していた。蓮は燭台を手に、メイド少女が言っていた地下への道を探し始めた。

廊下を進むと、階段を発見した。上へ続く階段と、下へ続く階段。蓮は迷わず下へ向かう。

階段は螺旋状に続いていた。降りれば降りるほど、空気が冷たく湿っぽくなっていく。壁は石造りに変わり、カビと腐臭がより強くなった。

どれくらい降りただろうか。

やがて、長い廊下に辿り着いた。両側には鉄格子の嵌った扉が並んでいる。牢獄——いや、独房のようだ。

蓮は恐る恐る、最初の扉を覗き込んだ。

中には、鎖に繋がれた人影があった。

「……誰?」

掠れた声が聞こえた。人影がゆっくりと動く。それは、ボロボロの服を着た中年の男性だった。髪は伸び放題で、顔は痩せこけている。

「あんた……新しい客人か?」

「あ、ああ……」

蓮は答えた。男は苦笑する。

「そうか……また犠牲者が。俺は半年前に召喚された。適合率が低かったから、こうして飼い殺しってわけだ」

「半年……ずっとここに?」

「ああ。たまに、上から食事が降りてくる。腐ったやつがな。でも食わないと死ぬだろ。だから食う。そうやって、生かされてるんだ」

男の目には、もう光がなかった。

「逃げようとは?」

「無理だ。この鎖は異世界の魔法で作られてる。それに……」

男は廊下の奥を指差した。

「奥には、もっとひどいものがある。見ない方がいい」

蓮は喉を鳴らした。

「儀式って、何をされるんだ?」

「知らない方がいい。でも……俺が聞いた話じゃ、適合率の高い客人は『核』にされるらしい。この館の動力源としてな。魂を抽出されて、永遠に苦しみ続けるんだと」

「そんな……」

「逃げろ。まだ間に合うなら、逃げるんだ。この地下の一番奥に、森へ続く隠し通路がある。昔の客人が作ったらしい。でも——」

男が言葉を切った瞬間、遠くから足音が聞こえてきた。

「誰かが来る。隠れろ!」


───


蓮は咄嗟に、廊下の影に身を潜めた。燭台の火を消し、息を殺す。

足音が近づいてくる。それは一人ではなかった。複数の足音と、何かを引きずる音。

やがて、松明の光が見えた。

現れたのは、ヴェルナー家の青年と、二人の使用人だった。彼らは大きな麻袋のようなものを引きずっている。中から、微かな呻き声が聞こえた。

「ここでいいか」

青年が、独房の一つを指差す。使用人たちは無言で頷き、麻袋を独房の中へ放り込んだ。鈍い音がして、呻き声が途切れる。

「適合率32%。使い物にならんな。まあ、餌にはなるだろう」

青年が嗤う。

「それより、三日後の準備は?」

「順調です、坊ちゃま。久々の高適合率。うまくいけば、館の力は飛躍的に増すでしょう」

使用人の一人が答えた。その声には、狂信的な熱が込められていた。

「父上もお喜びだ。あの客人の魂は、百年分の価値がある」

「ですが、逃亡の可能性は?」

「心配ない。この館から逃げた客人は、過去に一人もいない。森は我々の結界で覆われている。仮に館を出ても、森で迷って力尽きるだけだ」

青年たちは、そのまま階段の方へと戻っていった。

蓮は、背中が汗で濡れるのを感じた。

結界——つまり、森へ逃げても無駄だということか。

だが、選択肢は他にない。このままでは三日後、確実に殺される。

蓮は慎重に影から出て、廊下の奥へと進んだ。男が言っていた隠し通路を探さなければ。

独房が途切れ、廊下は更に深部へと続いていた。そして、その先に巨大な鉄の扉があった。扉には、複雑な紋様が刻まれている。

蓮が扉に手を触れようとした瞬間、背後で声がした。

「そこから先は、行かない方がいい」

振り返ると、メイド少女が立っていた。松明を手に、無表情でこちらを見ている。

「君……」

「追ってきました。あなたが地下に降りたことは、もうすぐ当主様に知られます」

「じゃあ、どうして——」

「その前に、教えておきたいことがあります」

少女は、鉄の扉を見つめた。

「その扉の向こうには、『核』があります。過去の高適合率客人たちの魂が、封じられている場所です」

「魂が……」

「ええ。彼らは永遠に苦しみ続けています。館の動力として、意識を保ったまま」

少女の声が、わずかに震えた。

「私も、いずれはそこに入れられるかもしれない。適合率が低いから後回しにされているだけで」

「なぜ、この家族はそんなことを?」

「力を求めているのです。この世界で生き残るために」

少女は、蓮の方を向いた。その目に、初めて感情が浮かんでいた。

「この世界は、弱肉強食です。力のない者は、強者に喰われる。ヴェルナー家は、かつて弱小貴族でした。でも、異世界転移者の魂を利用する儀式を編み出してから、力を得た。今では、この地域で最も恐れられる一族です」

「そんな……人を犠牲にしてまで」

「この世界では、それが普通なのです」

少女は、廊下の横の壁を指差した。

「隠し通路は、そこです。壁の三番目の石を押せば開きます」

蓮は急いでその場所へ向かった。言われた通りに石を押すと、壁の一部が音もなく開いた。中は暗い通路が続いている。

「ここを進めば、森の外れに出られます。でも——」

「結界のことだろ?」

「ええ。通常の方法では、結界を抜けられません。でも、一つだけ方法があります」

少女は、懐から小さな水晶の欠片を取り出した。

「これは、館の核から盗んだ破片です。これを持っていれば、結界を一時的に無効化できます」

「それを、なぜ俺に?」

少女は、微笑んだ。初めて見る、本当の笑顔だった。

「私は、もう諦めています。でも、あなたには逃げてほしい。そして——できれば、外の世界の誰かに、この館のことを伝えてほしい」

「待ってくれ、君も一緒に——」

その時、上の階から鐘の音が鳴り響いた。

少女の顔色が変わる。

「気づかれた。早く!」

「君は!?」

「私は大丈夫。さあ、行って!」

少女に背中を押され、蓮は隠し通路に飛び込んだ。壁が閉まる直前、少女の姿が見えた。彼女は、廊下の反対方向へと走り去っていった。


───


通路は狭く、天井が低かった。蓮は腰をかがめながら進む。壁は湿っていて、時折水滴が落ちてくる。

どれくらい進んだだろうか。やがて、通路は上り坂になった。そして、前方に薄い光が見えてきた。

出口だ。

蓮は最後の力を振り絞り、光の方へと走った。

通路の終わりは、茂みで隠されていた。蓮は茂みを掻き分け、外へ出た。

そこは、深い森の中だった。

巨大な木々が空を覆い、月光が僅かに地面を照らしている。霧は館の周りほど濃くはなかったが、それでも視界は悪い。

蓮は少女にもらった水晶の欠片を握りしめた。これが、結界を抜ける鍵だ。

だが、どちらへ進めばいいのか。

その時、遠くから犬の吠え声が聞こえた。いや、犬ではない。もっと大きく、もっと禍々しい何かの咆哮だ。

追っ手が来る。

蓮は方向も分からず、ただ走り始めた。木の根に足を取られそうになりながら、必死に森を駆ける。

背後から、咆哮が近づいてくる。そして、複数の足音。

「客人が逃げたぞ!」

「森の中だ!捕まえろ!」

ヴェルナー家の使用人たちの声が響く。

蓮は息が切れそうになりながら、走り続けた。そして、突然目の前が開けた。

そこは、断崖だった。

眼下には、深い谷が広がっている。霧で底は見えない。

絶望的な状況だ。

後ろからは追っ手、前は断崖。

「見つけたぞ!」

振り返ると、松明を持った使用人たちが迫ってきていた。そしてその先頭には、ヴェルナー家の青年がいた。彼は不敵に笑っている。

「よく走ったな、客人殿。だが、ここまでだ」

「くそ……」

蓮は水晶の欠片を握りしめた。これで結界を抜けられるはずだが、その先はどうする? この断崖を飛び越えろというのか?

「その水晶、館の核の破片だな。ふむ、あのメイドめ。後で処分しなければ」

青年が一歩ずつ近づいてくる。

「さあ、大人しく戻るんだ。逃亡の罰は少し痛いかもしれないが、どうせ三日後には——」

その瞬間、蓮は決断した。

このまま捕まるくらいなら。

蓮は、断崖に向かって走った。

「馬鹿な!」

青年が叫ぶ。だが、蓮は止まらなかった。

断崖の縁で、蓮は跳んだ。


───


重力に引かれ、体が落下する。

風が顔を叩き、耳が潰れそうになる。これで終わりか——そう思った瞬間、握りしめていた水晶の欠片が光った。

眩い光が蓮を包む。

そして、落下が急に緩やかになった。まるで水の中を落ちているかのように、ゆっくりと降りていく。

水晶の力か?

霧の中を降下し続け、やがて地面に辿り着いた。着地の衝撃はほとんどなく、蓮は転がることもなく立っていた。

「助かった……?」

手の中の水晶の欠片を見る。光は既に消えていたが、確かにこれが蓮を救ってくれたのだ。

周囲を見渡す。ここは谷底だった。小川が流れていて、岩がゴロゴロと転がっている。そして、霧はここではほとんどない。

上を見上げると、断崖の上に松明の光が見えた。使用人たちが、こちらを見下ろしている。

「くそ、降りれんぞ!」

「どうする?」

「一旦戻って、迂回路を探せ。当主様に報告だ!」

声が遠ざかっていく。

蓮は安堵のため息をついた。とりあえず、追っ手は撒けた。

だが、ここからどうする?

谷沿いに歩けば、いずれは森を抜けられるだろうか。蓮は小川沿いに歩き始めた。

どれくらい歩いただろうか。

やがて、前方に建物が見えてきた。

小さな小屋のようだ。明かりは灯っていないが、人が住んでいた形跡がある。

蓮は警戒しながら小屋に近づいた。扉をノックするが、返事はない。恐る恐る中に入ってみる。

小屋の中は、質素だった。ベッドが一つ、テーブルと椅子、そして暖炉。壁には、地図のようなものが貼られていた。

蓮は地図に駆け寄る。

それは、この森の地図だった。そして、ヴェルナー館の位置も記されている。地図には、いくつかの印がつけられていた。

『脱出ルート候補A——失敗』

『脱出ルート候補B——結界により遮断』

『脱出ルート候補C——』

誰かが、脱出を計画していたのだ。

テーブルの上には、日記が置かれていた。蓮はページを開く。

『私の名前は、佐藤健。三ヶ月前、この世界に転移させられた。ヴェルナー館に捕らわれたが、適合率が中程度だったため、すぐには儀式に使われなかった。その間に、なんとか脱出に成功した。この小屋は、かつて館で働いていた使用人が作ったものらしい。今は誰も使っていない。ここを拠点に、森を抜ける方法を探している』

次のページ。

『結界は思ったより強固だ。何度試しても、森の外には出られない。まるで、見えない壁に囲まれているようだ。このままでは、餓死してしまう』

さらに次。

『希望が見えた。古い文献によれば、この世界には「門」と呼ばれる場所があるらしい。そこから、元の世界に帰れる可能性がある。だが、門は常に開いているわけではない。満月の夜にのみ、開くという』

最後のページ。

『満月まであと二日。それまで持つかどうか……食料も底をついた。だが、諦めない。必ず、帰る』

日記はそこで終わっていた。

蓮は息を呑んだ。

満月の夜——それは、蓮が儀式に使われる日と同じだ。

つまり、二日後。

そして、この日記の主は?

蓮が小屋を見渡すと、暖炉の横に何かが倒れているのが見えた。

近づいてみると、それは白骨化した遺体だった。

佐藤健——この日記の主は、門に辿り着けなかったのだ。

蓮は拳を握りしめた。

だが、情報は得られた。門があるということ。そして、それは満月の夜に開く。

地図を見ると、「門の可能性あり」と書かれた場所が一箇所記されていた。森の最深部、「禁域」と書かれた場所だ。

そこまで、あと二日で辿り着けるか?

蓮は地図を手に取り、小屋を後にした。時間はない。今すぐ動き出さなければ。


───


森の中を進む蓮の前に、突然人影が現れた。

「やあ、客人殿」

それは、ヴェルナー家の娘だった。深紅のドレスを翻し、月光の下で微笑んでいる。

「よく逃げましたね。感心します」

蓮は後ずさる。だが、背後にも人影があった。振り返ると、中年女性が立っていた。

「包囲されているのですよ」

女性が囁く。

「この森全体が、我々の庭のようなもの。どこへ逃げても、無駄です」

左右からも、使用人たちが現れる。蓮は完全に囲まれていた。

「大人しく戻りましょう。儀式までは、まだ時間があります。それまで、ゆっくりと館でお休みください」

娘が手を差し伸べる。

蓮は、手に持っていた水晶の欠片を見た。これには、まだ力が残っているはずだ。

「……断る」

蓮は水晶を高く掲げた。欠片が再び光り始める。

「それは——まさか、館の核の破片!?」

女性が驚愕の声を上げる。

光が強くなり、周囲を照らす。ヴェルナー家の者たちが、目を覆って後ずさった。

その隙に、蓮は走った。

「逃がすな!」

背後から追っ手の声。だが、蓮は止まらなかった。

地図の記憶を頼りに、森の深部へと走る。木々が密になり、道なき道を進む。服が枝に引っかかり、顔に傷ができる。だが、構わず走り続けた。

やがて、前方に異様な雰囲気の場所が見えてきた。

木々が完全に途切れ、円形の空間が広がっている。そしてその中央に、古い石造りの門のようなものが立っていた。

これが、「門」か?

蓮は門に近づいた。門は閉ざされていて、表面には複雑な文字が刻まれている。読めない文字だが、何か重要なことが書かれているような気がした。

「見つけた……」

背後から声がして、蓮は振り返った。

ヴェルナー家の当主が、杖をついて立っていた。一人だった。

「よくここまで辿り着きましたね、客人殿」

「あんたたちから、逃げる」

「無駄です。その門は、満月の夜にしか開きません。そして満月は——」

当主は空を見上げた。

「二日後。それまでに、あなたは我々に捕らえられるでしょう」

「なぜ、こんなことを? 人を犠牲にしてまで、力が欲しいのか?」

当主は、悲しげに笑った。

「あなたには、わからないでしょうね。この世界の過酷さが」

「だからって——」

「かつて、我が一族は皆殺しにされかけました。力のない者は、この世界では生きていけない。だから、私は力を求めた。そして、見つけたのです。異世界転移者の魂を利用する術を」

当主の目に、狂気が浮かぶ。

「あなたのような高適合率の魂があれば、我が一族は永遠に繁栄できる。誰にも脅かされることのない、絶対的な力を得られるのです」

「それで、何人犠牲にしたんだ?」

「数えていません。百人? 二百人? わかりません。でも、それが何だというのです? 彼らの犠牲があったから、我が一族は生き延びられた」

蓮は歯を食いしばった。

この男は、狂っている。

「……俺は、絶対に逃げる。そして、元の世界に帰る」

「無理です。二日間、あなたはこの森で生き延びられない。我々が全力で追跡します」

当主が杖を振ると、森の中から無数の使用人たちが現れた。

「さあ、終わりです——」

その瞬間、門が微かに光った。

当主が驚いて振り返る。

門の表面の文字が、淡く輝いている。

「まさか……満月まで、まだ二日もあるのに」

蓮の手の中の水晶の欠片も、共鳴するように光っていた。

そして、蓮は理解した。

この水晶は、門と繋がっているのだ。

「この水晶で……門を開けられる?」

蓮は門に駆け寄り、水晶を門の表面に当てた。

光が爆発的に広がる。

門がゆっくりと開き始めた。

「止めろ!」

当主が叫び、使用人たちが一斉に襲いかかってくる。

だが、門の光が彼らを弾き飛ばした。

門が完全に開く。その向こうには、眩い光だけがあった。

蓮は迷わず、光の中へ飛び込んだ。

背後で当主の絶叫が聞こえたが、すぐに全ての音が消えた。

蓮の意識は、再び光の中に呑み込まれていった。

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