dirt off your shoulder
また間があきました。よろしければお付き合いください。年内はあと何回投稿できるものか。
『ムッチィマウス』、ねえ。
まあ、あたしも悪魔だから。ここがどういう店か詳しく解らなくてもだいたい空気で察せる。
ここは酒場よりもっと、親密なサービスを提供するとこだろ?たぶん。
え?わからないって?ボク、ずいぶんカマトトぶるね。ならパパやママに聞いてみると良いよ。オススメはしないがね。
源田はしばらく考えた後、意を決して店に入っていった。
あたしは犬のままだったが、ため息を吐かずにはいられなかった。
源田に落胆したから?違うな。まあ、ある意味がっかりはさせられたんだけどね。
神がやっこさんは汚れなき魂の持ち主だっていうから意気込んでここまで上がってきたわけ。なのにあのブタくんときたらあたしが手を下すまでもないくらい汚れてやがる。正直ヤル気が削がれちゃったよ。
あたしは面倒くさい事の次に、やり甲斐の無い事が嫌い。
人を堕落させるのが拷問に次ぐ悪魔の生き甲斐なんだよ。まあ仕事が楽だって喜ぶヤツもいなくはないけど、悪魔ってのは基本マゾだからさ。苦労して苦労して相手が地獄に堕ちた瞬間がエクスタシィなわけ。
あたしは何とか店内に入ろうとしたんだけど、流石に犬が入れる店じゃない。目つきの悪い男にしっしと追い払われてしまった。その野郎をラードみたいに溶かしてやりたかったけど、ここで目立って騒ぎになるとヤりにくい。
少し離れた所に腰を下ろして、あたしは源田を待つ事にした。
しかし十分もしないうちに源田は店から出てきた。いそいそと、それこそさっきよりも随分急ぎ足で何処かへ向かう。
あたしは急いで追いかける。
源田は、『ムッチィマウス』から三十メートルほど離れたホテルの前で足を止めた。ポケットから何やらメモを取り出して、ホテルの看板とメモを見比べていた。
途中、何度か腕を組んだカップルが物凄い目で源田を睨んでいたが当の本人はまるで意に介していない様子だった。
源田は鼻息を荒くしながらホテルへと入っていった。
あたしの聡明な脳みそはすぐに閃く。
この場合、中に潜入するには犬のままだと具合が悪い。
あたしは再び地獄に願う事にした。
『変身の歌~ア・リトル・トル~』
『シャクスはシャクス。チーズはいらんかござらんか小さく小さくなってゆけ。隙間の好きな傍観者。屋根裏を這う徘徊者。目を光らせて、歯を立てて、どんな柱もかじり倒せ。数じゃ勝負にゃならないぞ。家族や親戚がうようよいるんだ。だけど猫には気を付けて。油断で命を落とすなかれ。』
あたしの身体はさっきよりもっと縮んでいった。反対に世界は大きくなる。これはなんとも言えない気分だから是非他のヤツらも味わってみると良い。ヤワな脳みそなら溶けちまうくらいブッとぶ体験だ。
黒犬からどぶネズミにドレスアップしたあたしは、ネズミの持つ特殊な力を使って源田の部屋を探しだす。
犬の時に源田の魂の臭いを追って探したみたいなそれぞれに与えられた力。
あたしホテルの近くをウロチョロしてるどぶネズミに声を掛けた。
「よう兄弟、景気はどうだね。」
相手のネズ公はこっちをクルっと向いて笑った。まあネズミだから実際笑ってるかは不明だけど雰囲気でね。
「よう兄弟、相変わらずだな。人間のお陰で楽に食えてるよ。」
そう言ってネズ公は鼻先で何だか解らない肉を薦めてきたがあたしは丁重に断った。
「さっきこのホテルに見るからに怪しい巨漢が一人で入っていったろう?どの部屋にいるか分かるかい?」
ネズ公は「…怪しい巨漢怪しい巨漢」と反芻して 近くで同じように貪っていた別のネズ公に声をかける。
「おい兄弟。さっきホテルに怪しい巨漢が入っていったけど、どの部屋にいるか分かるかい?」
その瞬間、あたしが投げかけた質問はネズ公たちの間で放たれた散弾銃の弾の様に拡散したと思えば、しばらくして今度は逆再生したみたいに様々な答えがあたしの所へ返ってきた。
「兄弟が言うには203号室だってさ。」
これがネズミ特有の能力『情報網』。ヤツらは絶対的な数で繋がっていてそれを活用してお互いの膨大な情報量を共有してる。そうして常に餌場や危険に対してアンテナを張っているんだ。非力な生き物だからこその力だろうね。
「今さっき部屋に着いたみたいだ。」
「どうやら部屋でベットに座ったまま動かないそうだよ。」
「んでもってそのすぐに後に、今度は女がその部屋に入っていったみたいだ。」
「女はたった今、部屋に入ったみたいだ。」
オンナ、か。
一体どういうわけだろう?なんて考える程の話じゃない。
男と女が密室でお籠もり。ま、解るだろ?例えこれが人間じゃなくたってどうにかなっちまうさ。それこそネズミだってね。
あたしはネズ公に礼を言って、そそくさとホテルの中に入った。
中は驚愕するくらいのボロ宿で、掃除なんてロクにして無さそうな感じがちょうど源田部屋と似通っていた。
なるほどね、やっこさんの好みがだんだんと解ってきた。
あたしはなるべくのんびりと部屋に向かう事にした。もしかしたらこれから雇い主になるかもしれない相手だ。つまりあたしのボスさ、形上はね?ボスのお楽しみを覗き見するなんて優雅な趣味、生憎あたしは持ち合わせちゃいない。
とは言うものの、思ったより203号室は近くあっけなくあたしはドアの前に着いてしまった。
どうしよう。
ああは言ったもののやっぱり中で何が起きているのか気になってしまう。
気になる、ってのは少し違うかな。純粋に今後の為にサンプルが欲しかったんだ。あたしはまだ、源田について知らない事のが多いから。
あくまでも情報収集の一環だと自分に言い聞かせあたしが少し前足を動かそうとした時だった。
突然、ドアが勢いよく開いた。
あたしの鼻のほんの少し前を凄い速度でかすめていったんだ。
危ない危ない。
悪魔だからこの程度で命を落とす事はないにしても肉片みたくなったら再生までに時間がかかる。
それは面倒だ。あたしは本当に面倒が嫌い。
ともかく、待望のドアは開け放たれた。
中からイラついた足どりで、なんだか無茶苦茶な格好をした女が出てきた。
この国の人間にしては珍しいエラく褐色肌をしていて鳥の巣の出来損ないみたいな髪の毛は燻んだ金色をしていた(もしかすると実際違う国の人間なのかもしれない)。目の色はブルーだったが顔の造りはここいらでうろついて奴らと大差ない顔だった。
服装がこれまたトンチキで、レンガみたいに分厚い底のブーツを履いて膝の上までしかないスカートにパックリと胸元の開いた服を着ていた。肩からは生き物の臭いのしない毛皮をかけている。
足早に出て行った女の後には、安い香水の臭いだけが立ち込めていた。
まあ、ね。
あたしは人間の世界や歴史に詳しくないんだけど、女がああいった格好をする時はそれなりの理由がある時なんだろ。つまりはビジネスだ。
しかしいくらなんでも入ってから出て行くまで時間が短過ぎる。あの女がそんなにプロフェッショナルには見えなかった。
一体中でどんな事が起きていたのか。謎は深まるばかりだ。
それでも、わざわざこんな所まで来たかいがあってやっこさんの女の趣味が解った。
なるほどね。良いサンプルになったよ、いや本当にね。
あたしは恐る恐る中に忍び込んで部屋を見渡すと、ネズ公の言う通り確かに怪しい太った中年がベッドでため息をついていた。
おいおい。
分かり易すぎるだろ。
なんて情けない男なんだ。というか男として情けないな。
あたしは一先ずここから立ち去って明日また出直す事にした。
今のやっこさんは酷くナーバスになっているから、絶対仕事は上手く運ばない。
素人はよく勘違いするんだが、営業で契約をとる時は相手が弱っている時よりも割と機嫌の良い時の方が上手くいく。
確かお袋のくれた冊子に、そう書いてあった。
あたしはネズ公のままで外に出てどうするかもう一度冷静に考えようとしていた。
ふと、外へ出たところで妙な気配がした。あの源田よりも見るからに怪しい男が入り口付近うろついているのが目に入った。
男はマスクに野球帽、サングラスをしてホテルの前を行ったり来たりしていた。
あたしはネズ公から再び犬へ変身して、そいつの魂の臭いを嗅いでみた。
やっぱり、思った通りだ。
そいつはさっき、源田にこっぴどくやられてションボリと肩を落としていた和久井の坊やだった。
しかしなんでこんな所に。
黒犬のあたしは夜に耳を澄ます。
離れた場所にいてもどんな小さな囁きでも、一音一句漏らさない。それが犬たち特有の能力。もちろん、魂についた独特の臭いを嗅ぎ分けるのもそれの一つだ。
『訓練された狩猟』
実に便利な能力だ。
和久井はご丁寧にもボソボソと神経質な独り言を垂れ流していた。
「絶対ここだ。絶対ここだ。‥天師‥天師‥ふーひひ。待ってますよぉ、ずっとここで。写真を撮ってやる。そしたら僕が‥次の天師だ‥」
ふむ。
まーなんで坊やがここにいるかはさておき。
あたしとしては実に面白くない展開だ。
前述した通り自分の意思が介在してないのに源田が転落していくのは気に食わないし、何よりあたしはあの神経質な坊やが大嫌いなんだ。
ひとつ、追っ払ってやれ。
あたしは黒犬の姿のままで和久井に近づいた。
坊やは最初、こっちに目もくれなかったがあたしが低いうなり声をあげるとビクッと跳ね飛んだ。
「うわっ!なんだ‥犬か‥犬は嫌いなんだ‥シッシッ!あっちへ行けよ!」
あたしは和久井のこの反応が堪らなくムカついて、余計に煽りたくなってきていた。
「わっよせバカ!近づいてくるな!僕はお前に構っている暇はないんだ!」
いるよな。こういう何か一言言っていく度に相手の神経を逆撫でしちゃう奴。我慢できないね。
あたしは坊やのか細い太ももに、ざっくり牙をたてて噛み付いてやった。
「あいたあばあっ」
坊やは成人男性としてはかなり情けない声を上げてすっ転んだ。
人間がヒィヒィ言いながら足を押さえて這いずり廻るあの光景はいつ見ても腹の底からゾクゾクしてくる。
勢いづいたあたしは更に低い声で唸り、坊やを心底震え上がらせた。
「やだーっうあああああ」
坊やはパンツにシミができちまうくらにビビってた。あたしはそれが可笑しくって、ついニヤニヤと笑ってしまった。
「な、なんだお前!犬が笑ってる!お前、犬じゃないな!それにその目だ。なんて恐ろしい、燃え盛る炎みたいな目だ!」
坊やもインチキ宗教の幹部になれただけあった中々の観察眼だ。だからと言って正直に、悪魔でございと教えてやる義理もない。
あたしはもう一度、とびきり低く唸って坊やの腕に噛み付いた。
「ふぁあああああああ」
と素っ頓狂な声をあげて坊やは走り去って行った。源田もそうだが、地上の男ってのは揃いも揃って情けない奴ばかりだ。弱いね、どうも。
あたしは地上でのストレスを幾らか発散して少しだけ気分が良くなった。慣れない場所での作業だったからか身体のダルさは抜けていなかったけど。
とりあえずどこか寝ぐらを探して、身体を休める事にした。
ん?悪魔も寝るかだって?おいおい、当たり前だろ。もう朝だぜ?日の光は大嫌いなんだミカエルと同じ臭いがするからね。
朝はもう、すぐそこまで来ていた。
続く




