Izonit(前編)
あたし達がマルガレーテの病室にたどり着くと同時に、ちょうど中から数人の看護師と医者が一人出てくるところだった。そしてその後ろから、今にも泣き出しそうな顔の燕が出てきた。
医者がいかにも気まずそうに言う。
「偉大飛くん。お母さんがあんな状態で今は大変かもしれないけど、お兄さんのご遺体をそのままにしてはおけない。病院側としては君の立場は十分に理解してるつもりだが、諸々の手続きを出来れば今すぐにでもしてもらいたい」
「それは‥分かっているんですが‥」
人間のルールなんてのは本当に融通の利かないものばかりだ。ルールって臨機応変と正反対に位置する言葉だと思うね。
「1時間くらいなんとかならないかな。決まりなんだ」
そっちこそこんな時くらいなんとかしろ。そう言いたげな燕の顔だった。
「あたし達でよければ、少しの間マルちゃんオバさんに付き添ってますよ。ねえ兄さん」
「ああ。そうだな」
「一ノ瀬さん!?メイ子さん!?」
燕は心底驚いた顔をしていた。そして一瞬だけ考えた後、すぐに頷いた。
「図々しいのは百も承知で、そのお言葉に甘えても良いでしょうか?」
「もちろんさ。その為のボランティアスタッフなんだ。さあ。早く柚乃を安心して眠れる場所まで移してやんなよ。こんな偽善者共に一秒でも預けちゃいけない」
あたしの偽善者発言に医者は顔をしかめたが、何しろ時間が切迫してるというので直ぐに燕を連れて行ってしまった。
「何かあればすぐナースコールしてください」
燕は何度も後ろ振り返りながら頭を下げていた。
あたし達はマルガレーテの病室に入る。
ベットの上で様々な管に繋がれて、辛うじて生きてるって状況のマルガレーテ。人間ならではの死に際といったとこか。
「さて、タケル様。色々と話したいんじゃないですか?もうこれが最後のチャンスですよ?」
あたしはタケルのなんとも言いがたい表情からその気持ちを汲み取った。召使いとしてはかなり優秀だね。
「ああ?いや、別にそんな‥」
この後に及んでウダウダ言ってるので、サクっとまた例の豚のオッさんに見える幻惑術とマルちゃんの意識だけを回復させる魔法を唱えた。
良い場面なので呪文は省略させていただく。
「‥あら?どうしたのかしら?ハジメ?」
こうかはばつぐんだ。マルガレーテは直ぐに覚醒した。あたしの姿は消してある。
「や、やあマルガレーテ。元気そうだね」
どうして人間の男ってこんなセリフしか言えないのか。元気なワケがないこの状況で。
「どうしてここにいるの?あら?それより私、さっきまで何だか凄く具合が悪かったんだけど」
「そ、そうなのかい?とても今は元気そうだ」
「そうなの。不思議ね。なんだか不思議。ねえ、そうだわハジメ。お願いがあるの」
「なんだい?」
「お水を買ってきて。冷えたやつが飲みたいわ」
「水?冷蔵庫に入ってないのかい?」
タケルが冷蔵庫を開けようとすると、マルガレーテが病人らしからぬ声でそれを制した。
「新しいのが良いのよ!んもう。アナタはいつもそうなんだから面倒くさがりで!」
「解ったよ」
タケルはブツブツ言いながら病室を出た。あたしもついて行こうと思ったが、何も子供じゃないんだからと待っている事にした。タケルが出て行った後、あたしはベットの上で天井を見上げるマルガレーテを見ている。こっちの姿が見えない相手と狭い部屋で二人きりというのも、なんだか妙な気分だ。
「ふう‥さてと」
突然マルガレーテが大きなため息をつく。
「そこにいるのよね。アナタ。確か‥メイ子さん?だったかしら?間違ってたらゴメンなさい」
「!?」
いやまさに驚天動地たあこのことだ。だが見破られたからには素直に名乗り出なきゃいけない。それが悪魔のルールだ。
「なんだよオバさん。見えてんのか?凄いなアンタ」
あたしは声を発する。
「見えてはいないわ。感じてるだけ。ねえ、不安になるから姿を見せて」
あたしは言われた通りにする。
「あらあらあらあら。やっぱりアナタだったのね。可愛い子。ねえこっちに来て」
マルガレーテは調子外れにあたしを翻弄する。面倒なオバさんだ。
「ねえオバさん。あたしの気配が解ってたってことは、タケルの‥源田一の幻惑も見抜いていたってこと」
そうなってくるとタケルはマジで間抜けだってことになる。愉快だ。
「ねえ。オバさんはやめてちょうだい。マルガレーテと、そう呼んで。さあこっちへ来てお菓子食べない?」
マルガレーテが差し出したクッキーに手を伸ばして食べる。美味い。
「で?どうなのマルちゃん。解ってた?」
「あらあらあら。いいわねそれ。ウフフ。もちろん解ってたわ。あんな綺麗な魂の人。他にいないもの」
「そっか‥なるほどね」
まんまと担がれていた訳だ。あたしもタケルも。
「ねえアナタ。ハジメとはどんな関係?恋人?」
あたしは思わずクッキーにむせて咳き込んだ。
「ボワっフウ!エヒャッ!違う!そんなんあるか!ばか!」
「なーんだそうなんだ」
「普通に契約で結ばれた主従関係だよ」
なんだこのオバさん。マジで調子狂う。
「ねえ。今のあの人ってどんな感じ?私が一緒に過ごしていた頃と違う?」
「さて。昔のことは分からないけどね。今のあの人は、バカでアホでスケベで自己中心的。偉そうな癖に自分で何も出来ない奴ってとこかな」
「あらあらあら。じゃあ、あまり変わってないわね」
マジかよ。まあそんな簡単に人間は変わらないよね。
「冷たいくせに情が深くて。利己的なくせに他人の事ばかり心配して。いつも最後は自分が貧乏くじをひいて全部背負ってしまう。そんな感じかな?」
「まあ‥ねえ‥」
そんな風に言われればそうかもしれない。
「良かった。じゃああの人、アナタには結構横柄な態度なんでしょ?」
「そうそう。ムカつくよねあれ。なんなの。たまには労えっての」
「甘えてるのよ。あの人、ああ見えて他人に甘えられない人なの。だからそれは信頼してるってことよ」
「そうかなぁ」
イマイチ納得いかない。
「ねえ。お願いがあるの」
「なに?」
「あの人を守ってあげて」
マルガレーテは突然涙ぐむ。
「言われなくてもやってるよ。契約だから」
「そうじゃないの。本当の意味で守ってあげて欲しいの。あの人の心を。魂を。お願い。お願い」
マルガレーテはあたしの手を力なく握り懇願した。とても弱くて、エネルギーの感じない手だった。
「‥タダじゃ無理だな」
「え?‥でも私‥何も持ってないわ‥後は命くらいしか‥」
マルガレーテの困った顔がよかった。いい顔してやがる。
「クッキー」
「!?」
「クッキーもう一枚寄越せ。それでいい」
あたしがそう言うと、マルガレーテは黙って微笑んでクッキーを差し出した。美味かった。
「あーあ。私もアナタみたいな、カワイイ娘が欲しかったわ」
マルガレーテは天井を見上げて足をブラブラさせている。まるで子供だ。
「何を言ってんだよ。スワローちゃんが‥」
あたしがそう言いかけた時。
ドサッ
と大きく鈍い音がした。
振り向くとマルガレーテが倒れこみベッドから床に落ちていた。
「おい!マルちゃん!しっかりしろ!」
既に意識がない。あたしが身体を揺さぶっているとちょうど良いタイミングでタケルが帰ってきた。
「おーい‥おい!どうした!マルガレーテ!」
「タケル様!いいから早く!燕を呼んで!」
タケルが水を放り投げ外に走っていった。
続く




