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真約 メフィストフェレス  作者: 三文士
32/60

Angel

ニッキーが地獄に帰った後、あたしはしばらく一人考えていた。


これからどうするべきか。何を最優先すべきか。あたしが今やっている神との勝負の結果次第では直さま戦争が起こってしまう結末も十分に有り得る。


そりゃそうだ。たかだか一介の悪魔風情が、天地の創造主たる神と対等に勝負をしてる。単純に、あたしが負ければ悪魔どもはこぞって天界に殴り込むし、神が負ければ天使の軍勢が地獄へ攻め込んでくる。勝ち方や負け方をよく考えないと、エラい事になるだろう。


気軽に始めた事だったが、気が付けばあたしの双肩に飛んでもない重荷を乗せられていた。クソッタレ。何だか面白くねえ。他人の意思で動かされているみたいじゃねえか。


とにかく、あたしは一旦あれこれ考えるのを止めてシンプルに目の前の事にあたろうと思った。今やるべきこと。あのアホ豚を探しに行かないと。


埃まみれの部屋には再び闇だけが横たわり、ネズミや虫共のひそひそ声が聞こえてくる様だった。大きく深呼吸し、吸いかけのブツを握り潰したあたしは勢いよく夜の世界に飛び出した。


大方、豚くんはあの物言いだから行きそうな場所の検討はついている。


あたしはかつて初めてこの地上に降り立った場所であり、なおかつ豚くんがまだ豚くんだった頃に出逢ったあの思い出の糞溜めに向かった。


記憶を頼りに例のインチキ教団ビルを探していたが不思議な事に一向に見当たらない。あのクソダサいスローガンも妙な標語も影も形なくなっている。あたしらが異界に行ってる間に、地上も随分と変わってしまったようだ。少し長く空けすぎたかな。


教祖不在の状態でついにインチキ教団も幕を閉じてしまったかと少しだけ気の毒な気持ちになっていたその時。あたしは背中に生まれて初めての悪寒を感じた。


何気なく振り返ったその先には、鉄で作られた何とも趣味の悪い看板が目に飛び込んできた。


「おいおい、マジかよ」



『溢れ出る天空の光-Ωー』



クソダサいネーミングに加えてなんか妙な記号が付いてる。ロボットアニメで後半に出てくる主人公機体の後継機みたいな記号が付いてる。考えた奴がいかに子供じみた精神の持ち主かが伺える。しかし驚いたのはそこじゃない。


その看板がかかっている門をくぐった敷地内にあったのは、前のビルよりも数倍デカい要塞のじみた建物だった。教会を模して作ってある様だったが、その堅牢な雰囲気と張り巡らせた鉄線と鉄柵が外部からの侵入を頑なに拒んでいる。教会に鉄線は要らないだろう。どうにも神に祈りを捧げるって様子じゃない。


とにかく、魂の気配からタケルがここに戻って来ているのは間違いなかった。あたしにとって鉄柵なんざ屁でもなかった。助走をつけて柵を飛び越えようとした時、ふと微かな違和感を感じて立ち止まった。


「ケッ、しゃらくせえ事しやがる」


あたしは即座にその違和感の正体に気が付いてイラついた。


建物には鉄柵を境に微力ながら魔術で結界が施されていた。あくまで微力だったが確かにちゃんとした魔術の結界だった。これは思っていた以上に剣呑な事が起きている証拠だ。


人間が魔術を使う時、必ずその背後には異界の者の存在がある。人間が独力で魔術を使う事は絶対に出来ないからだ。


この程度の結界ならどうという事はなかったのだが、あたしは何かこの建物から嫌な気配を感じていた。


どうにもまた、このインチキ教団で面倒な事が起きそうだ。あたしはインチキと面倒臭いのが大嫌いだ。


あたしは気を取り直して再び助走をつけ、結界に対して思いっきりタックルをかまして破壊してやった。恐らくこの程度の結界しか作れない様な術者では、破壊された事に気付くまで時間はかかる。


あたしは音もなく庭に降り立ち、闇に紛れて姿を隠した。


人の気配は感じなかったが、魔術の痕跡がある以上は人以外の者がいる可能性もある。


ひとまず気配を完全に殺しながら、あたしは辺りの様子を伺っていた。タケルの魂の気配が徐々に強くなっていく。


しばらく歩いていると、一帯が闇で覆われたその敷地内で唯一か細い灯りが点っている部屋を見つけた。あたしはその灯りを目指して近付いて行った。


そこは一階の中庭に面した大部屋で、一見すると学校の教室の様な造りになっていた。幸いな事に一つだけ窓が開いていて、カーテンがゆらゆらと風に揺れていた。あたしは闇に紛れたままそこから中を覗く事にした。


窓に近付いた途端、鼻先へ妙に甘ったるい臭いが漂ってきた。一瞬、それが何かなかなか思い出せずにいたが中の様子を見て合点がいった。薄暗い部屋の中にところ狭しと並ぶベッド。人の呻き声とすすり泣く声。それらの事からどうやらここが病室だと分かった。


鼻先についた甘い臭いは悪魔が感じる病人特有の臭いだった。ここはなかなか症状の重い連中がいる様だ。その証拠に、どの患者も息遣いが荒く付き添っている家族がいる者は皆一様に表情が暗い。


さて、こんなシリアスな場所で一体全体タケルは何をしてるのか。どう考えてもこの場に似つかわしくない。まさか、昨日の今日で謎の病原菌に侵されて緊急入院でもしたのかと思った矢先だった。


ドドーン!


ガラガラガッシャーン!


カランカランカラン!


静寂だけが取り柄のこの部屋で、この世の騒音を掻き集めてきた様なけたたましい音が鳴った。病人に付き添っていた家族達は驚愕した顔で音の方に振り返る。


「ひーっ!すんませんすんません!」


聞き覚えのある情けない声の先に目を向ければ、嗚呼、懐かしや愛しの我がご主人様。


早い話が病室で騒いでる何処のアホたれかと思ったらタケルがそこですっ転んでいた訳である。


「もう一ノ瀬サン!ここは良いですって言ったでしょ!?どうして同じ事を何回もするの!いくらボランティアでも、限度が あるわ」


「すんません、ブチョウ」


「婦長ですよ!間違えないで下さい!」


「すんません、ブッチョウ」


「喧嘩売ってんのかよ」


パンチパーマのメスゴリラみたいなオバちゃんに怒られながら、キョロキョロと辺りを気にしている間抜け面はやはり何度確認してもタケルだった。


「もう良いから、外に出てて下さい!」


そう言うとメスゴリラは軽々タケルを摘み出してしまった。


あたしは闇に紛れたまま、タケルにだけ姿が見える様にして奴さんの背後に近寄った。


「はぁ」


アホでもヘコむ事はあるみたいで一人前にため息をついていた。


「なぁにをため息なんてついてるんです?タケル様の今までの人生に比べたら、病室ですっ転ぶくらい失敗とは言えませんよ」


意外にも背後から忍び寄るあたしの奇襲作戦にはタケルは少しも驚いた様子はなく、むしろ


「ふんっ見ていたならフォローしろバカ野郎」


と例の憎まれ口叩くほどだった。


「そういう選択肢もありましたか。では今後、タケル様が病室ですっ転んぶことがありましたら、その時はお助けします」


「ムカつく奴だ」


「ところでご主人様。どうしてこんな所でボランティアなんざしてるんです?悪魔と契約した男が、神の家で人助けなんて。冗談にしちゃ面白くねえや」


あたしが尋ねるとタケルは何だか決まりが悪そうにモジモジモジモジしくさってやがる。気持ち悪い。


「いやぁそのぉ‥じつはぁ‥」


真夏に間違って地上に出てしまったミミズの様にクネクネと動いている。気持ち悪い。そんな巨大ミミズの物真似を見させられていたら、後ろから声がかかった。


「アレ?一ノ瀬さん?どうしたんですこんな所で?」


その声が聞こえた瞬間、今までミミズだったタケルがピン!と一直線に伸びやがった。あたしは後ろを振り返る。


「ツバメしゃん!」


明らかに腑抜けた様子でタケルはその声の主に応えた。


そこには一人の人間が立っていた。いや、そうじゃないな。この言い方は適切じゃない。こう言っちまうとなんだかコイツがごくありふれたモブキャラみたいな風に思われてしまう。違う。コイツは飛んでもなく規格外なんだ。


歳の頃は19、20歳ってとこ。汚れのない純白の看護服に身を包みまるで天使の様に微笑んでいた。ここで言う天使てのは実際にあたしらが対峙していたクソ天使ではなく、何もかも許し受け入れてくれる存在の代名詞だ。しかしコイツが規格外なのはその造形美にある。身長はタケルと同じくらいでやや高め。しなやかで子鹿の様な身体つきをしている。後ろで無造作に束ねられた髪の毛は少し燻んだ銀色をしていて、恐らくこの国以外の血が混じっている事を想像させる。瞳の色は蒼く、猫の様な愛らしい形をしている。鼻筋も通っていて肌は透き通る様に白い。


なんだぁ?どうしてあたしがコイツをここまで褒め称えなきゃいけない。クソったれ。嫌な気分だ。


まあとどのつまり何が言いたいかってえと、ミケランジェロもよだれモンのクソマブって事だ。単純に美しい。


「こんな遅くまでボランティアしていていただいて。本当に何とお礼を言っていいか」


声だって、まるでハチミツを耳に入れられてみたいな気分だ。


「いえいえ!僕としては、精一杯皆さんのお役に立ちたい一心で動いているだけなのです!」


言葉を吐くたびに下心がダダ漏れの奴も珍しい。


「素晴らしい。この世界の皆さんが、一ノ瀬さんの様に他人を敬う心の持ち主だったらきっともっと住み易い世界になると思います」


「僕もそう思います」


誇らしげに胸を叩いてるその男が先ほど世界の皆さんに迷惑をかけて病室を叩き出された事を、このお花畑ちゃんに伝えようか迷っていた。


「あの、ところで一ノ瀬さん。そちらの方は?」


お花畑ちゃんがあたしに興味を持ったみたいで、途端にタケルが慌てふためいた。


「コ、コイツはそのっ、召つか‥じゃなくて、妹のメイフィ‥メイ子です」


「ああ、妹さんですか。そう言えばどことなく雰囲気が似てますね」


「ホラッ!メイ子!挨拶しろ」


ええ。何これ面倒臭え。ていうか無理あんだろその設定。今時流行らねえよ?妹設定。


「こんちは。一ノ瀬メイ子です。特技は即尺です」


「え?なんです?」


説明してやろうかと思った矢先にタケルにつま先を踏みつけられた。


「あははは。速読ですよ。コイツこう見えて真面目で。兄妹揃って真面目なんです」


「そうなんですね。私、偉大飛(いひろび) (つばめ)と言います。お兄さんにはいつも大変お世話になっています」


偉大飛 燕。何だか中国の武将みたいな名前だ。厳つい名前とは裏腹に、お辞儀をして再び天使の様に微笑んで見せたその顔は悪魔のあたしでもつい見惚れてしまう程の美しさだった。


それが、燕とあたしの最初の出逢いだった。


続く

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