36.戦いの末に
ダガートさんがブラックドラゴンに切りかかったのを合図に、私は学び舎へ向かって走った。
後ろは振り返らなかった。
8歳のリリアちゃんを抱える腕は痛かったけれど、あと少しの距離を泣き言なんて言ってられなかった。
無事に学び舎の敷地内に入ったところで、リリアちゃんを一旦降ろし座り込む。
腕が震えて足に力が入らない。無力な手を見て、再び涙が溢れてくる。
私は平凡な人間だ。
シーラさんみたいに立派な回復薬を作れない。
諜報員さんみたいに大規模な結界は張れない。
尊敬する人さえ救えない。
せめて足手まといにはなりたくなくて、避難するくらいしかできない。
私にも何かできることがあるならば、なんて、思い上がりも甚だしい。
けれど、それでも小さな力でも協力できたら、と思うのだ。
私は涙を拭い、リリアちゃんをおぶって建物を目指した。
「エルシーさん、無事!?」
「シーラさん……」
建物の中でシーラさんが待っていてくれた。
その姿を見てホッとして、今度こそその場に座り込んでしまった。
「リリアちゃんは……」
「無事です。が、ブラックドラゴンが飛来して、すぐそこでダガートさんが1人で……それでリリアちゃんが気絶して」
シーラさんにしっかりと状況説明をしないといけないのに、半ばパニックになってしまった。
「大丈夫よ、落ち着いてね。今、ダガートさんが1人でブラックドラゴンと戦っているのね?」
言葉にならずに頷いた。
「エルシーさん、ここで待てる?」
「シーラさん……?」
「ダガートさんは強いけれど、さすがに1人では辛い戦いになるから私もサポートに行くわ」
「私も……!」
「先程、学び舎に残っていた先生と子どもたちを駐屯地に送って来たわ。ダガートさんの部下も一緒に。だから今大人はエルシーさんしかいないの。エルシーさんはリリアちゃんを守ってほしい」
シーラさんは優しい笑みを浮かべた。
どうしてみんなそんな笑みができるの。
「リリアちゃんの目が覚めたとき、誰もいなかったら心細いでしょう? だから、エルシーさんがそばにいてあげて」
きっと強いからだ。魔力が豊富だとか、物理的な強さだけじゃなく、経験の差や魔物に対する知識の差もあるだろう。
今私が無防備にブラックドラゴンの前に出ても、迷惑になるだけだ。
「分かりました。シーラさん、ダガートさんをお願いします」
「任せて。あ、アスティにも連絡飛ばしたからきっと来てくれるわ。それまでの辛抱と思って頑張る」
諜報員さんは瘴気溜まりの辺りで応戦しているのだったか。
魔物が湧くところだから難しいかもしれないが早めに来てほしい。
「シーラさん、お気を付けて」
シーラさんは微笑んで、結界の外へ行ってしまった。
結界が無事なうちは外の様子は見えないようになっているらしい。それでも音は地響きのように聞こえるから、恐怖が全く無いわけではない。
私はせめて、と2人が無事であるよう、祈るだけしかできない。
「……あれ、ここは……」
「リリアちゃん! 大丈夫? 痛いところは無い?」
「エルシーさん……、っおじさんは?」
リリアちゃんは目を覚ますと、ハッとしたように起き上がった。
「ダガートさんは大きな魔物が来て、今結界の外で戦ってる」
「大きな魔物……?」
「うん。ブラックドラゴン、て分かるかな?」
「……文具を買うとき、おじさんがこれがいいって言ってたやつ?」
「そう、それ」
リリアちゃんは「本当にいたんだ」と呟いた。
まさか文具に描かれた魔物がいるなんて、また街に来るなんて想像もしてないよね。
「おじさん、喜んでた?」
「うん。戦ってみたい相手だって」
「……そうなんだ。……でも、強いんだよね……」
「うん。大きくて、黒くて、強そうだったな」
「1人で……?」
「シーラさんが助けに行ってくれたよ」
「……シーラさん?」
リリアちゃんはその名前に聞き覚えが無いようだ。
「うん。すっごく頼りになる、強い味方」
「本当?」
「本当よ。シーラさんが作る回復薬はすごーくよく効くし、的確にバフ……サポートできるからダガートさんも頼りにしてる人なんだ。だから、きっと」
大丈夫。そう、言いたいのに、唇が震えてうまく言葉にならない。
不安で、怖くて、けれどリリアちゃんにそれを見せるわけにもいかないからと下唇を噛んだ。
「大丈夫だよ、エルシーさん。おじさんは強いんだよね? 騎士団長だもんね?」
「うん。強いよ。きっと、大丈夫」
リリアちゃんに励まされて、大人として情けなくて泣けてくる。
そうだ。シーラさんは諜報員さんにも連絡をしたと言っていた。だから、大丈夫。
妻を最優先する諜報員さんが来てくれたら頼もしい味方になる。
「だから私たちはここで待ってようね」
「うん」
リリアちゃんと2人で励まし合ってダガートさんとシーラさんの帰りを待つ。
待つだけの間、無事を祈るしかできないけれど何かしらの力は届けばいいな。
それからしばらくして、ドォオオン……という音がした。
辺りを見てみると、敷地の外まで様子が見えた。
「結界が……」
結界が有効なうちは中から外の様子は窺えない。だが今は敷地の外側で黒い巨体が倒れているのが見て取れた。
「倒したの……?」
2人は無事だろうか。諜報員さんは来たのだろうか。
「リリアちゃん、ここにいてくれる? 外の様子を見てくるから」
「うん」
リリアちゃんは建物に残し、ゆっくりと門へと近付いていく。
「シーラさん……」
門のすぐ近くにシーラさんがいた。少し疲労が見て取れるが、ケガはしていないようだ。
「エルシーさん」
シーラさんの表情が悲痛に歪む。
息が、詰まった。
胸の辺りがざわついて、嫌な音が鳴っている。
ダガートさんはどこだろう。
「ブラックドラゴンはなんとか倒せたんだけど、逃げ遅れた人がいたみたいでね」
シーラさんの目線の先に、横たわる人がいた。
見たことある姿だった。
「彼はたぶん無事。でも、ブラックドラゴンの攻撃が彼を狙ったときに、ダガートさんが庇って……」
火が、ぱちぱちと音を立てている。
街の一部が燃えて、ボヤになるかもしれない。
激しい戦いだったのだろう。建物が瓦礫となって、そこに人の身体が見えた。
「シーラさん、ダガートさんは……?」
シーラさんの目線は、私が見ている瓦礫と同じところにあった。




