35.滲む背中
時折現れる魔物は、ダガートさんが蹴散らしてくれた。私は隠蔽魔法のおかげか、見つからずに済んでいる。このまま見つからないように願いながらひた走る。
学び舎から文具店まではそんなに遠くないはずなのに、息が苦しくて永遠に感じてしまう。
でももしかしたら……を思うと、一刻も早く文具店に行かなければ、と思うのだ。
「親父!」
「ダガート!」
文具店の前では店主さんが魔物と対峙していた。
疲労が見て取れ、肩で息をしていた。
「リリアは来たか!?」
「ああ、エルシーさんたちが避難したあと店に来たから建物の中に入れてる」
ダガートさんと顔を見合わせる。無事なようでよかった。だが再び魔物が現れた。
「エルシーさん、すまんが中に行ってリリアを……!」
「分かりました! 店主さん、これ、シーラさんの回復薬です」
「おお、助かる!」
先程持って来ていた回復薬を渡すと、店主さんは一気に飲み干した。するとみるみるうちに疲労感が消え元気になった。
「まだまだ若いモンには負けんぞ!」
頼もしい2人を見て、文具店の中へ急ぐ。
「リリアちゃん、いる? いたら返事してくれるかな?」
怯えているといけないと、なるべく優しい声を出した。店内は薄暗くて灯りも消えている。
こんな中でたった1人……考えただけでも怖いだろう。
「エルシーさん……」
「リリアちゃん!」
リリアちゃんは新入生準備コーナーの前で蹲っていたが、私の姿を見ると立ち上がり駆け寄って来た。
「もう大丈夫だから。ダガートさんも来てくれたから」
「怖かった……怖かったよぉ!」
「うん、よく頑張ったね。えらいよ。すごいよ」
泣きじゃくるリリアちゃんを抱き締め、頭を撫でる。たった1人で逃げ出したいのも我慢してここで助けを待っていたのかと思うと泣きたくなる。
きっと心細かっただろう。
けれど魔物に気付かれないように、必死に声を押し殺していたのだろう。
「リリアちゃん、ここから出るけど、走れる? ダガートさんが隠蔽魔法を掛けてくれてるよね? 魔物に会いたくないって強く念じてね」
リリアちゃんは泣きながらもしっかりと頷いた。
私への魔法を解除したあと、リリアちゃんに掛けてくれているはずだ。
とはいえ私たちからは魔物の姿は見えるから、怖いのは変わらない。
「じゃ、行くよ」
しっかりと手を繋いで建物から出て行く。
この子は絶対に私が守るんだ。
「ダガートさん!」
「リリアいたか! 親父!」
「俺は元気だからリリアを先に駐屯地へ!」
「無理はせずに年考えろ! あとは若者に任せてくれ!」
「年寄り扱いするんじゃない! それにエルシーさんから回復薬貰って飲んだからめちゃくちゃ元気だぞ」
「体力にも限界あるだろうが!」
「あー、もう、2人ともケンカはあとにしてください! リリアちゃんの避難が先でしょう!?」
放っておいたらいつまででも言い合いしそうな2人を一喝し黙らせる。気まずそうな表情の2人は目を逸らしてしまった。
「あとで部下を寄越すから」
「あいよ」
ダガートさんは店主さんの背中をじっと見る。
「死ぬなよ、……親父」
「そのまま返すぞ」
それから踵を返すと、リリアちゃんを抱きかかえた。
「エルシーさん、一旦学び舎まで走るから。まだいけるか?」
「大丈夫です。足手まといにならないよう気を付けます」
それを合図に再び駆け出す。
ダガートさんの背中がいつもより頼もしく見える。
騎士団長は部下に指示を出して動かすだけだと思っていた。けれどダガートさんはこうして自ら街を見て回り街の人の安全を守っている。
……もし、今回の件で責任を問われるようなことがあれば、私は迷わずダガートさんを援護しよう。
「学び舎だ! エルシーさんもう少し頑張って!」
学び舎まであとわずか。喉が焼けて鉄さびの味がするがあの中に入れば一旦落ち着ける。
そう、思っていた矢先のことだった。
私たちの上に、大きな影が差した。
辺り一面が真っ黒に染まる。
「え」
あと一歩、のところで、ドォオオン! という地響きがした。
「ダガートさん!」
私の、目の前に、真っ黒な巨体が立ち塞がる。
鱗はツヤがあり固そうだ。尻尾で叩かれたら痛そうだな、なんてぼんやりした頭で考えた。
人は恐怖が一定量を越えると、言葉を失ってしまうのだろう。ゆっくりと目線を上に向けると、まるで陰影で表現されたような姿のドラゴンがいた。
「ぐ……エルシー……さん……、リリアを……」
ドラゴンの足元に、ダガートさんが転がっていた。咄嗟にかかえていたリリアちゃんを庇いながら避けたのだろうが、避けきれずに倒れてしまったようだ。
リリアちゃんも気絶してしまったのか近くに横たわっている。
どうしたらいいか、足が竦んで動けない。
だが今ここで動けるのは私しかいない、と必死で足を動かした。
「ダガートさん! これを……あ……」
手持ちはシーラ印ではなく、私が作った回復薬だけだった。
ダガートさんはこめかみの辺りから血を流して、所々擦り傷だらけだ。完全に治るとは言い難い。
「ありがとう、エルシーさんの回復薬はよく効くんだ」
そう言って受け取ると、一気に飲み干した。
擦り傷程度のものは消えてしまったが、完全回復まではいかないようだ。
「エルシーさん、すまんがリリアを抱えて学び舎に入ってくれるか?」
「分かりました。ダガートさんは……」
「どうやら俺はボスを退治しなければならないようだ」
そう言ったダガートさんは、穏やかに微笑った。
ボス……って、目の前の、ブラックドラゴンを、1人で……?
「シーラさんがいたら援護をお願いしたいが、無理は言えねぇな」
「待って……ダガートさん、これ、ブラックドラゴンですよね? ダガートさんが言ってた、めちゃくちゃ強いっていう」
そんな魔物を相手にするの?
「男なら、1回は対峙してみたい相手だな」
「真剣に答えてください! 無茶ですよ。援軍を待ちましょうよ。シーラさんが言ってました。ブラックドラゴンは冒険者たちが真っ先に討伐するって。だから、彼らを待ってても、遅くは……」
「エルシーさん、それじゃ遅い。誰かが食い止めねぇと、街が破壊されちまう」
だって、それじゃあ、ダガートさんは。
「危険ですよ。あなたに何かあったら、リリアちゃんは……!」
ダガートさんの手が、そっと頭に乗せられた。
「死なねぇよ。約束する。俺は今まで1回も嘘言ったことがねぇなんて言わないけど、これだけは約束する」
そんなに穏やかに笑わないで。
大丈夫だって、ダガートさんは強いから、信じたいのに行かないで、と言いたくなる。
逃げればいいのに。学び舎に入ればいいのに。
けれど、それができない、しない人だと分かっている。
ダガートさんはマルセーズの騎士団長だ。
街を守るのが仕事だ。
「エルシーさん、すまんが隠蔽魔法を一旦切る。自己バフ使いたいから魔力を温存しときたいんだ。学び舎の敷地に入れば安全だから」
涙を拭いながら頷いた。
ダガートさんには戦いに集中してほしい。
「エルシーさん」
ダガートさんの背中を目に焼き付ける。
「ありがとうな」
けれど、視界が滲んでぼやけてしまった。
私は言われた通りにリリアちゃんを抱えて学び舎へ向かった。
あと少しの距離だ。見つからないようにドラゴンの視界に入らないように気配を絶ちながら慎重に向かった。




