32.黒歴史
「久しぶり……元気だった?」
「ええ」
ダリオは以前見たときよりは身なりが整っていた。私がいなくても、彼はきっと大丈夫なのだろう。
「今までどこにいたの? ずっと、心配して、探してた」
「そう」
ダリオが顔を強張らせて唇を引き結ぶ。
私の素っ気ない態度に二の句が告げないようで、目を瞬かせていた。
「実家にも、行ったんだ。でも、会ってないって、帰って来てないって言われて」
「そうだね」
「〜〜っ、なんも、言わないの? エルシーは、俺に会いたいと思わなかったの?」
「うん」
ダリオは信じられない、というように目を見開いた。
結婚したときはずっとダリオに会えるのが嬉しいとか、大好き、一緒になってくれてありがとう、って言ってたもんな。
思えば若い。いや、今でもまだ若いとは思うけれど、青い。青臭くて、滑稽で、バカみたいに愛していた。
「なんで……エルシーは、俺を愛してるって。世界中の誰もが敵になっても、俺の味方するって。辛いときも、そばにいるって、言ってたじゃないか」
「そうだね」
「じゃあなんで! どうしてそばにいてくれない?」
「もう、好きじゃないから」
ダリオの顔がこわばった。
「もう、あなたのこと、好きじゃない」
聞こえなかったかもしれないからともう1度重ねたら、ダリオの顔はぐしゃっとなってしまった。
「好きじゃないって、……どういう……? まさか、他に好きな男できたの?」
「それ、あなたに関係ある?」
「だって、俺たち夫婦で!」
「でも、あなたが裏切って壊したから離婚したよね?」
「壊すつもりなんかなかった!」
「でも、壊れちゃったよ。あなたを好きな気持ちも、大切にしたい心も、守りたかったものも、全部」
若くて、青臭くて、大人が見ればおままごとみたいな結婚生活だったかもしれないけれど、何もなければそのままだった。
ダリオの気持ちが私に向いてなくても、私は愛していたから一緒にいられて幸せだった。
「シアラと一緒に住んでたんだってね」
「それは……向こうが勝手に居座ってただけだよ」
「でも、突っぱねもしなかったんだ」
「だって、シアラは孤独なんだよ? 頼れる実家も無い。住んでた家も無い。戻れる場所が無いんだ。だから貸してあげてるだけだ」
「よかったね、頼られて。まあ、最終手段なのかもしれないけれど。お互い独身だし、戻って来たら今度こそそのまま一緒になればいいと思うよ」
「いや、俺は……」
ダリオは優柔不断だ。よく言えば誰にでも優しくて温厚で、ちょっと気が弱い。そういうところも可愛いと思った時期もあった。
けれど、実態は中途半端に優しくて、寄せられた好意に中途半端に応えるだけのどっちつかずの男だ。
「俺は、エルシーとまた一緒に過ごしたいと思ってる」
「無理だよ」
「無理じゃないよ。エルシーがいたから色々頑張れたし、楽しく過ごせたんだ。子どもだって欲しいし、なんなら今から作りたい」
ゾワッと悪寒が走る。熱はもう無いはずなんだけど、全身が粟立って思わず後退った。
「いや、無理。無理だよ、いやだ。え? どういうこと? シアラはどうするの? 今は監視下に置かれて、将来的に出所して、また頼られたら?」
「頼られたら、そりゃ、人として助けるかもしれないけど」
「助けるかもって、具体的に?」
「例えば、別に家を用意して、そこに住んでもらって」
「私と一緒になりたいって言いながらそこまでするのおかしくない? 恋人とか夫婦ならまだしも」
「ち、違うよ! もうシアラに気持ちとか無い。でも見捨てることはできないだろう? けど、俺はエルシーと暮らしたいんだ」
「それって私があなたを愛しているから? シアラは結局元騎士の人を愛しているから、あなたは相手にされないからそう言ってるんだよね?」
ダリオは忙しなく目を泳がせている。
この人にとって、私の存在って空気より軽いんだろうな。
「私はもうあなたを愛していない。さっき男がどうとか言ってたよね。いるよ、気になる人。一緒になりたいって言ってくれる人もいる」
「え……」
ダリオは緩く頭を振り、唇を震わせている。
まさかまだ私に好かれていると思っていたのだろうか。そんなわけないのに。
「それ、って、その男と再婚するとか、ってこと?」
「再婚するとかはまだ決めてない。そもそも相手に何も伝えてないし。でも、私はあなたとは再婚しない」
引き際も悪く、なんで、どうして、と繰り返すが、むしろどうしてまた一緒にいられると思ったのだろう。
「話はそれだけ? 終わりなら帰るよ」
「待って、待って、エルシー。本当に? 本当にそれでいいの? だって、好きだって、愛してる、って」
「前は、好きだったよ。でも、人の気持ちは変わるんだよ。あなたと離婚して、会わなかった時間で自分を見つめ直して、あなたへの思いを断ち切ったの。自分が苦しい恋はやめよう、って。辛いことを我慢しないでちゃんとやめよう、って」
どちらか一方が我慢する夫婦生活は、いつか破綻する。我慢しただけ執着して、分かっているのにやめられなくなる。
「あなたといるの、辛かった。だからやめたの」
どれだけ心を砕いても、シアラには敵わなかった。ならば、身を引くのも一つの手段だ。
惨めにしがみついても、幸せな未来はやってこない。
「さようなら。シアラと……お幸せに」
今度こそ決別と、踵を返す。
案外なんてことないと思えるのは、きっとシーラさんやダガートさんをはじめ、私を支えてくれた人がいるからだ。
「待って、待って、エルシー!」
「なに!? 離して……!」
ダリオに掴まれた腕を振り解こうともがくが、男女の力の差は歴然だ。ヒョロヒョロなのに、こういうときは力強く感じるのが腹が立つ。
「お願い、もう1回、もう1回だけチャンスをください。もう不貞はしないしエルシーだけと一緒にいるから」
「離してください。私はもうあなたと一緒にいたくありません」
「頼む。お願い、お願いします」
「だから離してって」
暴れるように抵抗して、ダリオの腕をなんとか振り解いた瞬間。
けたたましい音で鶏を絞めたようなサイレンが鳴った。
「な、なに!?」
「魔物だー! 魔物が来たぞ!」
気付けば魔物が大群で街中を闊歩していた。
「ま、魔物!? う、うわああああああ!」
あろうことかダリオは私からすぐに離れて一目散に逃げ出した。




