18.対峙
私は一度、結婚が失敗してしまった身だ。
結婚が必ずしも幸せになれるものではないと知っている。
ダガートさんも複雑な家庭環境にあったから、結婚に希望を抱いていないだろう。
それでも、店主さんはダガートさんに結婚を勧めるのだ。
「ダガート自身が結婚して、失敗したなら納得できるんだがね」
「身近な人で失敗例ばかり見ていたら、しない方がマシだという結論にいたっても仕方がないかな、と」
「まあ、そうなんだけどね……」
苦笑しながら、それでも結婚を勧める理由はなんだろうか。
誰かに裏切られるならば誰かを愛さないほうがいい。
信じていた人が豹変するか分からないなら、独りの方が気が楽だ。
私だってもう結婚はしなくていいと思っている。
「そんなに悪いものじゃないはずなんだ、結婚って」
……確かに、幸せな日もあった。
満たされて、喜びに満ち溢れていたこともあった。
だが、それを黒く塗り替えられてしまった。
また作り直せる気力なんて残っていない。
傷付くのが怖いのだ。
「いつか、ダガートと向き合える女性と出会えたらいいな、と思っているよ。親としてはね」
「……そうですね」
ダガートさんはいい人だ。
親身になってくれた優しい人だ。
いつか誰かを愛し、愛される関係になるかもしれない。
そう思うと、少しだけ喉奥に物が詰まったような感覚がした。
店主さんの部屋をあとにして、自室に戻る。
湯浴みを済ませ、ベッドに沈んでも、中々眠気はやってこなかった。
こんな夜は色んなことを考えてしまう。
昔読んだおとぎ話の結末は、男女が結ばれてハッピーエンドばかりだった。
不遇なヒロインを助けに来る王子様に愛されて、幸せな結婚をする。
愛し愛されてお金持ちになって、それが当たり前のように思っていた。
だが、実際自分が結婚して思ったのは、必ずしも幸せになれるわけではないということ。
自分が愛していても、相手は自分を愛しているわけではないということ。
好きだよ、大切だよ、と言われても、簡単に心変わりしてしまうこと。
どれだけ相手を振り向かせようと努力しても、相手の気持ちを変えるのは容易ではないこと。
夢見ていた幸せな結末は、結婚しても迎えられるわけではないことを知った。
そりゃあ、そうだ。
物語なんて、みんなを幸せな気持ちにさせるためにキレイにまとめられる。
ケンカばかり、浮気ばかり、なんて、そんな話を読みたいわけない。
現実を知りたいわけじゃない。
だから、おとぎ話はハッピーエンドばかりだ。
悪者は退治され、主人公は幸せになる。
幼い頃は、自分もそうなれると信じていたのにな。
ぎゅっとシーツを握り締める。
私だって普通に幸せになりたかった。
そうなれると信じていたから結婚したのに。
傷付くのはもう嫌だ。苦しくて悲しいのはもう嫌だ。
きっともう、私はこれから先1人で生きていくのだろう。傷付くくらいなら、もう1人でいい。
嫌な気持ちを払拭するように、きつく目を瞑った。
結局、眠りは浅くなってしまった。
翌日、寝ぼけ眼を擦って仕事の準備を始める。
結局買い物した物は忘れてきちゃったし、仕事終わりにカフェに取りに行かねば、と思いつつ氷室のふたを開く。
氷室の中に何もないことを言うと、店主さんから朝食に、と持たせてくれたものをありがたくいただいた。
寝不足気味だが仕事はある。両手でぱちんと頬を叩き、自分を叱咤して気持ちを切り替えた。
文具店の朝は店内清掃から始まり、ディスプレイを確認しながら商品を陳列していく。
そろそろ新学び舎生の準備が始まる頃だ。
新学生のために準備品の在庫を確認し、ふと目に入ったブラックドラゴンを見て思いがけず頬が緩んだ。
いつかダガートさんが言っていた通り、最近はクリスタルドラゴンの方が人気らしい。
ダガートさんは熱弁していたが、リリアちゃんが選んだのは小さくて可愛いキャラクターだったな、と思い出す。
たったひと月と少しくらいしか一緒にいなかったのに、2人のことがとても印象深く残っていた。
この街にいる限り、きっと私は2人に出会うこともあるだろう。
ダリオや、父とも。
これからも会わないつもりでいるが、このままずっと逃げ続けていいのだろうか、とも思う。
私はマルセーズから出るつもりは無い。
なんだかんだ生まれた街を気に入っているし、他の街を開拓する勇気も無い。
いつかのように街中でばったり出会って、逃げ帰ることを繰り返して、私はそれでいいのだろうか、とも思っている。
まあ、一番会いたくないダリオは姿は見たが向こうはこちらに気付いていないようだった。
これからもこそこそと逃げ回ることが、はたして正しいのか。そもそも私は悪いことなんてしていないのに、逃げ回る方がおかしくないだろうか。
あれから2年も経ったんだ。案外向こうも気にしていないかもしれない。
「エルシーさん、そろそろリリアが来るかもしれないから、在庫点検お願い」
「は、はい! 行きます!」
店主さんに促され、私は裏方に引っ込んだ。
在庫を確認しながら、品薄の物や売れ筋の物を洗い出していく。
今人気なのはリリアちゃんも選んでいた小さくて可愛いキャラクターのグッズのようだ。
おすすめしたとき、嬉しそうに笑っていたな、と思い出す。
たった1日一緒にいただけだった。
そのときの記憶が、やけにしみついて離れない。
「リリア? どうしたんだ、このケガは」
店主さんの驚いた声がして、咄嗟にそちらを見てしまった。
「……なんでもない、転んだだけ」
「転んだって、どこでだ? とにかくケガの手当をしよう」
店主さんはヨハンナさんに店を任せて裏方に向かって来るだろうか。
薬箱がある場所へ向かって取ると、リリアちゃんの手を引いた店主さんが裏方に入って来てしまった、という顔をした。
「あ、えと、あ、あっちでー……」
「お気になさらず。手当が先ですから」
気まずそうな表情の店主さんは、とにかく先に手当を、とリリアちゃんを裏方へ入れた。
だが私に気付いたリリアちゃんは、目を丸くして立ち竦んでしまっていた。
「あ……だい、じょうぶ。私……か、帰る!」
くるりと踵を返し、扉を開けようとするが店主さんが手を引いて制止した。
「リリア、帰るにしてもそのケガの手当をしてからだ」
心配そうな声の店主さん、俯いてしまったリリアちゃん。
きっとこれは転んだからできたケガではないのだろう。
私はぎゅっと目を瞑る。
逃げ続けても、いつかは向き合わなくてはならないときがある。それならば、早めに終わらせた方がいいだろう。
しっかりと目を開けて前を向く。
「店主さん、私が手当をします」
きっと私はこの子から逃げられない。
そんな気がした。




