第六試合 キックボクシングVSムエタイ 1
第六試合
Kムスタファン・加羅。ムエタイ。二十五歳。身長百七十八センチ、体重六十七キロ。トランクス、手足にバンテージ。
L天美水仙。キックボクシング。十九歳。身長一八一センチ、体重七十三キロ。トランクス、ボクシンググローブ、足にバンテージ。
『さあっ第六試合は、立ち技の、いわば正統派対決といえるでしょう! 近代キックボクシングの寵児、天美! 世代どころか、キックを代表する選手としてあまりにも有名になってしまった打撃の天才! 対するは連綿と続く立ち技最強の称号をその身に背負う、ムエタイのムスタファン!』
『ち、ムエタイか。今日までに空手が舐めさせられた苦渋は少々じゃ済まねえぜ』
『古くは、空手の最強を信じて海を渡った空手家がムエタイに圧倒され、心機一転ムエタイに打ち込み、チャンピオンになったという事例もありますね!』
『ケッ、面白くもねえ。ま、とにかくつええぜムエタイは』
審判による礼が終わった時、天美はムスタファンに語りかけた。
「加羅さん、でしたね。アジア人が欧米人に勝てる格闘技が、いくつあると思いますか?」
ムスタファンの、褐色の顔が僅かに歪んだ。
「何を言っている。私にはアジアもヨーロッパも関係ない。ただムエタイが勝ち、ムエタイが君臨する。昨日今日始まったキックボクシングが、歴史と伝統と共にある我々に勝てると思うな」
「僕も、そう信じていられれば良かったのですが」
「弱気な奴だな。それはお前に力が足りないからだ。この大会が終わったら、私の師匠を紹介してやろう。お前もそれで強くなれるだろう」
天美が苦笑する。
「何がおかしい!」
さすがに審判が割って入り、二人を黙らせた。
そして、試合開始のコールが会場に響く。
沸き立つ観衆は――しかし、開始二分を数える頃には、ひどく静かになっていた。
『こ、これは……』
『さすがに、予想してなかったなあ、これは』
『わ、私は、……いくら天美といえど、ムエタイがやや有利かと思っていました。以前から、ムエタイの強さは散々聞かされていたからです』
試合場の床には鮮血が散っていた。
あまりに一方的な試合ではあったが、まだギブアップもKOも宣告されていない。
『それが、こんな……』
『効率、だな』
『効率……といいますと』
『打撃の効率さ。よくフルコン空手とキックボクシング、どっちがつええのかが議論になる。答は「ルールによる」だが、顔面なしのルールでも空手が有利とは限らねえ。キックボクシングってのは、ボクシングと同じで、相手をぶっ倒すために練り上げられたプロの競技だ。人間の倒し方については、生半可な「体操空手家」とは追及度が違う。体の作り方も何もな。それこそ、人間を倒すための空手を学んでなくちゃ、キックの相手になれねえな。その意味で、あの天美に勝てる空手家なんぞ日本に何人いるか分からねえ』
『は、はあ』
『あのムエタイ野郎が、打撃の効率で、その天美の遥か上を行ってやがるのさ』
天美の額から、血が流れていた。まだ審判が止める流血量ではないが、そうなってもおかしくない。
傷んでいるのは額だけではない。天美の上半身は、そこかしこが腫れ上がっている。
天美には、既に左腕の感覚はなかった。折れているかもしれない。
以前、天美自身、まともな上段ガードもできない空手家の腕をハイキックでへし折ったことがある。それを今日は、逆に天海が、数発のミドルとあれを防いだだけで、もう防御にも使えないほど左腕が死んでしまっていた。
荒い息の中、己の脳が酸欠に陥っているのを感じる。
どうする。
先ほどムエタイに額を切られたように――あれは自分の油断だった、明確な――、今度は天美が肘を出してやるか。それなら逆転できるかもしれない。
だが、しくじれば――
恐らく、それで終わってしまう。
『ムエタイとキックボクシングはな、試合の採点方法が違うんだ。キックは有効打、つまりダメージのある打撃で採点される。それに対し、ムエタイは技の華麗さが採点に入る。そうすると必然、キックの打撃の方が、ぶっ倒し合いでは有利になると言われてる。ムエタイの方が物騒なイメージがあると思うがな。しかし、ムエタイでも「いかに効かせたか、倒したか」が重要視されるのも事実だ。その辺、一歩遅れを取るのが、いわゆるフルコン空手だな。相手に向かって押していく姿勢で評価されるんで、効こうが効くまいが、ただ押し合いへし合いするだけの中段突きの打ち合いになったりする』
唾を吐くような顔で、我終院が長々としゃべっている。この人なりに興奮しているのだ、とジョニイは察していた。
『そうなんですねえ……天美、上半身は真っ赤に腫れ上がり、下半身にはもはやフットワークはありません! 先ほどミドルを出した際、ムスタファンの膝で迎撃されて右足を痛めています! 左腕も上がらず、右腕一本で果たして攻防が可能なのか……逆転の芽はあるのでしょうか!?』
ムスタファンが動く。左ミドルが蹴られた。
フットワークのない天美は、やむなく右腕で止める。
ドゴンッーー!
かつて経験したことのない衝撃だった。バチンと高い音を立てる表面的な蹴りではなく、余すところなく衝撃を貫かせて来る蹴りだった。
右腕一本ではいなしきれず、天美の体勢が崩れる。これで、天美は右のパンチも死につつあった。
ムエタイと戦ったことは、今までにもある。しかし、このムスタファン・加羅という男の打撃は明らかに異質の強烈さだった。
(そして、この体勢では不可避のあれが来るのだろうな……!)
踏み込んで来たムスタファンの両手が、天美の首の後ろでサッと組まれた。首相撲である。グローブでも、しっかりとグリップさせる。
ムスタファンの飛び膝蹴りが、天美の顎に放たれた。再び、天美は右腕でブロックする。
がぎっ! ゴッ! ガヅンッ――……
膝の連撃が打ち込まれる。
天美の前腕に、斧を叩き付けられたような衝撃が何度も走った。さすがに初見の時――左腕を殺された時――とは違い、天美はヒット・ポイントを巧みにずらすことで、ダメージを多少は逃がす。
(どうする。ここから何ができる)
この数分で、もう何度そう思っただろう。そして、ようやく活路を見出す。
右膝は、この試合中はもう回復すまい。まともに蹴れもしない。そしてこの両腕では、手技だけでの逆転は不可能だ。
(危険でも、やるしかない)
一方、圧倒的に優勢なムスタファンも、少々の焦りを感じていた。一度目に首相撲を仕掛けた時、飛び膝で天美の左腕を壊し、振り払われた離れ際に出した肘で額をカットもした。
できすぎた戦果だった。
しかし既に、天美は首相撲に対応しつつある。これだけでは倒せない。
自分の打撃は、他のムエタイ戦士と比べても明らかに強力なのは自覚していた。
彼の素質に加え、師が優れていたのだ。角度、体重移動、体の操作。速く重く硬い効かせる打撃を、ムスタファンに徹底的に教え込んだ。
それが、ムエタイ慣れしているつもりだっただろう天才キックボクサーの意表を突き、多大な損害も与えた。
倒さなくては。早く。手負いの獅子が牙を剥く前に。
その時、天美が機敏に動き、僅かな緩みをついて、首相撲から脱出した。
(やるな! だがこいつの手足ではもう、私を倒せる打撃はない!)




