第五話
案の定というか、パトカーは雅明の運転する車と全く同じ方向に進んでいき、実家の前で止まった。
向かいの家の前で、そこの奥さんと話し込んでいた父が、パトカーから降りた警察官に駆け寄っていくのを見て、頭を抱えたくなる思いだった。
内心、行きたくない。しかし、無視するわけにもいかない。雅明は、早足で警察官と父の許に向かう。娘には、車の中にいるよう言いつけた。
「あ、どうも。佐伯さんの息子さんですか。」
「あぁどうも。いや、どうもどうも、えぇはい、そうです。」
ぺこぺこ頭を下げながらしどろもどろの受け答えであったのは、いい年をして情けなかったが許して欲しいと思った。雅明自身も、動揺していた。
若い男性の警察官が、軽く制帽に触れて、続ける。
「お父さんから通報ありまして、我々こうして現場に来させてもらった次第なんですが。お父さんの話では、なんだか人間の指のようなものが落ちていたとか。」
チラリと父の様子を窺う。父は、うんうんと頷き、もっと何かを言い募りたそうな素振りだ。
話しかけてきた若い男性警察官のすぐ横に、中年の女性警察官も立っていた。彼女がいなければ、おそらく父はすぐにでも話に割り込んだだろうと思った。厳しい表情もあいまって、なんとなく場を引き締めるような存在感がある人物だった。
向かいの奥さんが、心配と野次馬心半々といった表情でこちらを見ている。斜向かいの家からも、爺さんが門の影から覗いているし、二階の窓が開いているのは異変に気づいてこちらを覗っているからだろう。
「あっはっはっはっ〜。」
雅明は大きな声を出して笑った。それこそ、腹の底から声を出して、少しのけぞって見せて。警察官二人は微動だにしなかったが、父は、ギョッとした感じで雅明を見た。
「いや、申し訳ない。恥ずかしいなぁ。うちの父親も歳をとっちゃって。」
眉を寄せて、目尻を下げて。180センチ程もある身長が威圧感を与えないよう猫背になり、頭の後ろに手を当てかぶりを振る。
「さっき、僕もそうやって父から聞いたものだから、そちらの庭に入らせてもらって確認したんですよ。あ、言っちゃった、これって不法侵入とかになっちゃいます?でも父がね、絶対指があった!見間違いじゃない!なんて言い張るもんですから、まぁまぁ自分的には非常事態というか。そう非常事態。そういうわけで申し訳ないんですけど、不法侵入、させてもらって確かめました。父と自分で、裏庭の方まで回って見て。ちゃんっと確かめた結果、なんっにも、なかったんですよ。」
「あぁ、なるほど。」
若い警察官の方が、少し笑って頷いた。
「我々の方としても、そうですね、言われたように不法侵入になっちゃうんですよね。空き家であっても、勝手に立ち入って調査とかできません。…それなりの緊急性があれば別ですが。」
「ないない、ないですよ。」
雅明は、顔の前で大きく手を振りながら答えた。警察官はいくつか確認のような質問をしてきた。雅明は、そのどれもに要領良く答えた。「指なんてなかった」という向きで。
「うんうん。なるほど。う〜ん。」
全ての質問は若い警察官が担っていた。中年の女性警察官の方は、片手を腰に当てた姿勢のまま、黙って様子を見守っている。
「佐伯さんの…お父さん、足跡を不審に思ったという事だけど、それはどの辺に?」
質問係の方の彼は、ここで父に話を振った。父はここぞとばかりに張り切った声を出した。
「ここ、こっちの。」と言って歩み出そうとしたところで、「あ、敷地の中にまでは入らなくて大丈夫ですよ。」と釘を刺される。
「今はもう消えちまってるが、この、玄関に続く石畳の上にハッキリ見えたんだ。それが、石畳の上から横に逸れて、土の上にまで繋がっていってたんだよ。」
「今はちょっと見えないようだけど。」
と、警察官は少し屈んで庭の奥を覗きこむようにした。
雅明も調子を合わせて一緒にかがみ込んだが、心の内では焦っていた。雅明にとっては、この状況は年寄りの勘違いが引き起こしたものでしかなく、もうこれ以上は大ごとにしたくない。万一にも隣家の親族に実際に連絡をとって警察が敷地内を捜索…ましてや、それに付き合わされたりなど考えるだに煩わしい。
(そんなの、起きてもない事件捜索に付き合わされるようなもんだよ…)
父は、鼻息も荒く言い返す。
「濡れたみたいな足跡だったよ、水溜りを踏んだ後とかにつくような。だから、今は乾いちまったんだろう。」
「あぁ、昼過ぎには雨も降っていましたね。」
「いやでも、土の上の足跡なら残ってるはずじゃないですかね。」
雅明は、警察官の言葉に被せるように言った。
「まぁ、ずっと奥までは見えませんけど…ここから見える分には土も乾いているし…まっさらですよ。足跡みたいなものは見えないけどなぁ。」
若い警察官の方も、「確かにそうですねぇ。」と言い、水を向けるようにチラリと父の方を見る。
「いや、そうなんだが…それは俺もおかしいとは思ったんだが…庭に入った時も、俺の靴跡はつかなかったし…土はもう乾いちまっていて…。いや、だ、だけどな、ウチにもある線香の匂いが…。」
「あぁ、なんかお線香の匂いもしたと言っていましたね。ご自宅のものと同じ感じならソレは…まぁ線香の匂いなんてどこも一緒かなぁ。…まぁ、それで、奥に行った。そして指を見つけたと。でも、お二人で確かめに行った時には、見つけられなかったと。」
「俺だけで行った時には、確かにあったんだよ!息子と一緒に行っても見つけられなかったから、警察のアンタらを呼んだんだ!」
語気を強め、詰め寄るように一歩踏み出した父の様子に、年配の警察官がわずかに身動ぎする。心なしか鋭くなったような目線に、雅明はヒヤリとする。
「佐伯さん、落ち着いて…うん、わかりますから。確認しますけど、一度目にこちらの庭に入った時には指と思われるものがあって、動いていた。そして、二回目、息子さんと一緒に入っていった時には、なくなっていた、という事でいいですか?」
「そうだ。確かに俺が見たのは人の指だった。這うみたいに動いていた。二回目に入った時に見つからなかったのは、動いて庭のどっかに行っちまったからだろう。」
「うーん、切り落とされた指があったとしても…だとしたら、指は動かないと思いますね。指だったとしたら動かないし、動いていたとしたら別のもの、となるかなと。」
「…。」
「大きな虫とかを見間違えたんだと思いますよ。」
雅明はハッキリと声に出した。そして、やれやれというように、背筋を伸ばす。若い警察官もまた同じように姿勢をもとに戻した。「そうだなぁ…。」と言って、雅明の方に向き直る。雅明は畳みかけた。
「お巡りさん…は失礼かな?お兄さん…いや、どつちでもちょっと失礼になっちゃうかな、ハハ、すみません、えっと、お兄さんは都会育ちの方ですかね?僕はここが実家なんで、田舎育ちってほどではないけど、昔…子供の頃は結構いろんな虫がいて。バッタとか、こんな大きなの、家の裏で見つけたことありますよ。」
「私はS市の出で、海も山もある田舎で育ちましたから、わかります。うちの田舎は大きいだけでなくて、刺してくる虫もいましたよ。」
「うわ、刺す虫は怖いですね〜。」
父さん刺されなかっただけ良かったね、と雅明は父の方に顔を向ける。父はなんと答えたものかわからない様子で、雅明に話を向けられてもすぐには何も言わなかった。一拍置いてから、「そ、そうだな。」とだけ答えた。
中年の女性警察官の方が、うんといった様に頷いたのを見て、若い男性警察官が「お父さん、佐伯さん。どうです?いいですかね。」と、話しかける。父は押し黙っている。
その様子に多少心が痛んだが、ダメ押しのように「大丈夫だよな、父さん。」と水を向けると、父はただ反射のように、あぁ、と頷いた。
それまでずっと黙っていた中年の警察官が「見間違うことって、ありますからね。」と、なんでもない調子で呟いた。それがお開きの合図といったように、若い警察官が「それでは我々はこれで。ただ、何かありましたら、いつでも。」と言って、また制帽に手をかける。
最後に、「佐伯さん、暑くなってきましたし熱中症とか気をつけて下さいね。」と声をかけて、二人の警察官を乗せたパトカーは狭い路地を出て行った。
斜向かいの二階の窓がカラカラと閉められたのを見て、雅明はホッと胸を撫で下ろしたのだ。
それから父親の方を見た。さぞや不機嫌になっているかと思ったのだが、予想に反して、父は凪いだ表情をしていた。無表情に近い。そうして雅明が声をかける間もなく、黙って家の中へと入って行ってしまった。
父親を追いかけて行こうとしたところで、「まさ君。」と向かいの家の奥さんに声をかけられる。
「なんだか、大変そうだったけど…大丈夫だったの?」
「あぁ…すみません、お騒がせしてしまって…。」
「ぜんぜん!」
それから一瞬、目線を雅明からそらした。そして、困ったような、少し気づかわしげな笑顔を浮かべる。
「…お父さんももう年だと思うから…何か私達にも出来ることとかあったら、全然遠慮しないで声をかけて頂戴ね。」
大丈夫、お互い様なんだから、と続けて、彼女は自分の家に入っていった。
路地が、いつもの静けさをとり戻していた。
雅明は細く息をついて家の中に入った父を追おうとして、いや先に娘に声をかけよう、と車の前に来た。夏草は、雅明が声をかける前に車から降りてきた。一言、「ちょっとじーさんにひどいんじゃない。」と言った。
「ひどい?どの辺が?」
「なんか最初っから、じーさんの言うことなんて嘘だって感じだったじゃん。」
「嘘とまでは言ってるつもりはなかったけど。勘違いだろうとは思ってたよ。…聞こえてたなら、まぁ、わかっただろうけど。じーさん、指が落ちてるとか言い出してたんだよ。さすがにそれは勘違いだと、父さんは思うから。」
夏草は、むぅと唇を尖らせる。
「わかんないじゃん。」
どうしてか不機嫌になった娘が、大股で実家の中に入っていこうとするのを、雅明はとめた。娘はうんともすんとも言わず、胡乱げな表情でこちらを見る。雅明は財布から五千円札を一枚取り出して、渡した。
「悪いんだけど、これで晩ご飯買ってきてくれ。じーさんともまだちょっと話がしたいし、今日はちょっと晩ご飯作れなそうだから。あ、父さんの分もできれば。」
「…コンビニでいいよね。」
「うん、それでいいよ。」
むすりとした顔のままではあるが、雅明を無視はしなかった。いってらっしゃい、と娘を見送る。
(さて、父さんは…。)
実家の中は、静かだった。
今では父ひとりが住んでいるだけだから当然なのだが、なにか生気といったものを感じられなくて、雅明はぞくりとした。
(なにを馬鹿な。実家だぞ。)
靴を脱いで家の中にあがり、ずんずんと進む。
歳をとって二階まで上がるのが面倒だと、父は、一階の和室を寝場所にした。しかし、いない。居間も同様だった。
(そうであれば…。)
と、台所の前まできたところでハタと立ち止まる。かすかに、線香の匂いがした。すぐ先には、今は仏間として使っている小部屋がある。
その戸がカラカラと開いて、中から父が出てきた。手には、供え物の盆が乗っている。お茶碗によそわれた白米と、味噌汁が入ったおわん、漬物が数切れのった小皿に、水入れ…。
雅明に気付いた父は、顔を上げた。
「炊飯器、タイマーにしてあったよ。」と、言う。
「は?あ、あぁ、そうなんだ?」
それきり黙って、雅明の横を通り過ぎて行った。




