第四話
フリースクールから出てきた夏草は、車に乗り込むなり「お腹すいたー。」と言った。雅明は思わず笑う。
「悪いなぁ、遅くなって。昼ごはんのあと何も食べてなかったか。コンビニでなんか買っていくか。」
「そうなんだよね。なんか間食できるもの持っていけばよかった。でもコンビニはいいや。どうせすぐ晩御飯だし。」
「あー…それがさ、悪いんだけど、このあとじーさんの家に寄ってもいいかな。じーさん、なんか話…があるみたいで。」
歯切れの悪い言い方になった。しかし、どう話せばよいというのか。
『じーさんがひとりで歩いて家まで帰ったうえに、隣の庭に指が落ちてるって言い出してさ…』?それでは、父はまったく様子のおかしい老人である。
(それは、なんか、あんまり良くない気がする…。)
「あ、じーさんに何かあったって言ってたね。じーさん大丈夫だったの?」
「あぁ、じーさんは大丈夫。なんだ…隣の家の庭で変なものを見た、って電話があってな。それがちょっと普通じゃないような、興奮したような感じだったから、驚いて様子を見に行ったんだけど…まぁ、なんでもない、見間違いだったみたいだ。」
「何を見間違ったの?」
雅明としては、適当に濁して父の話は終わりにしたかったのだが…しかし娘は、なかなかに鋭く切り返してくる。
「…虫とかかなぁ。いや、ちょっと訳のわからない事を言ってたんだ…なんだろ、隣の家の庭になにかいる、って。でも、父さんとじーさんで確かめたんだけど、結局なにもなかったよ。だから、見間違いだったんだろーって言って。」
「なんか、じーさん、朝も変なこと言ってたもんね。それも隣の庭。…ねぇ、なんかあるのかな、お隣。」
最後は、ちょっと好奇心が隠し切れない風だった。
「ないない。言っただろ、父さんとじーさんで中に入って、ちゃんと確認したんだって。」
「中に入ったんだ。隣の庭って、奥の方はどうなってるの?杉の木以外に、なんかある?」
釘をさすつもりが、余計に煽ってしまったようだ。雅明は、自分の発言を少し悔やむ。
「おいおい、父さんたちはなにも、中に入りたくて入ったわけじゃないからな。別になにもないよ、普通の庭。ちょっと花壇とかもあるけど、空き家になって長いから雑草とかも生えてるし。」
車がちょうど曲がり角に差しかかる。
「あ、悪い。今ここ交差点は気をつけなきゃいけないからな。」体よく話を切った。
道路の先に、コンビニが見えた。「いいか?寄らなくても。」と、雅明は、娘に一応、聞いてみる。「うん大丈夫。」と答えがあった。
車が、赤信号で止まる。
正直なところ、雅明には、父や隣の庭のことよりも聞きたい話があった。
「それより、今日はどうだった?」
「どうだったって、何が?」
娘は、手を伸ばして車内オーディオを操作する。雅明がよく聞く、少し昔のロックバンドの歌が流れだす。
「ん~ミナミナ。どういうことしたの?」
「別に普通だよ。ゲームとか…いつもやってるやつを、場所変えてやっただけって感じ。」
「そうか。なら良かった。」
娘は助手席で肩をすくめた。
「なんか、さっき電話した時、スタッフの人から女の子と楽しそうにしてたって聞いたよ。」
あぁ、と夏草は呟く。
「かっちゃんっていう子なんだけど、その子もまだ新しく通いはじめたばっかみたいで。今月からとか?で、スクール内で使えるチャットアプリの使い方がわからないって言うから、一緒にやって。私の方が先に覚えてたから、教えてあげてた。」
「へぇ~すごいじゃないか!」
「まぁ、かっちゃん、まだ小5だしね。」
(小学生!)てっきり、同い年ほどの女の子と仲良くしていたものだと思っていた。
しかし、そうなのだ。ミナミナでは、授業形式のカリキュラムに参加する子どもたちは、小学生と中学生に分かれる。一方、授業へ出ない子どもたちは、年齢に関係なく、別の部屋でそれぞれが好きなことをして過ごす。
(家以外の場所で、他人と一緒にいれる…それだけですごいじゃないか。…『親が焦って、思いを押し付けない。』)
自分は思いの外、「娘には外で同年代の友人と過ごしてほしい」と期待しているらしい。いかんぞ、と自分を叱り、雅明はスクールカウンセラーからの言葉を復唱する。
オーディオから聞こえる声が、恋の歌を唄っていた。日本語の歌詞が、BGMになりきれず聞こえてきて、多少の煩わしさを感じる。
「いやいや、人になにか教えるって結構難しいことだぞ。その子、かっちゃんだって、嬉しかったんじゃないかな。」
どうだろね、と言って娘はスマホを弄りだした。これ以上はやめた方がよさそうだなと、雅明は思う。
信号が赤から青に変わるのを見て、ゆっくりアクセルを踏む。
「…どうだ、明日も行ってみるか?」
「いいよ、別に。」
「え?どっちの『いいよ』だ?」
「明日、行っても、いいよ、って言ったの。」
「そうか。」
本当は、叫びだしたくなるくらい嬉しかった。なんなら少し泣いてしまいそうだ。少し高揚した気持ちを紛らわたくて、オーディオの音楽に合わせて鼻歌をうたう。
左折レーンに入ったところで、一台前にはパトカーがいた。運転に集中しなければと気を引き締める。娘に了承をとり、オーディオの音量はしぼらせてもらった。
パトカーは、雅明たちと同じ方向へ進んだ。市道に入り、住宅街の狭い道になっても、まだ前を走っている。
夏草が、スマホから顔をあげて首をかしげる。
「めずらしいね。パトカーがここまで来るって。」
嫌な予感が、した。




