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殴る

 二発目は、大きかった。


 一発目は俺の顔くらいだった。これは俺の背より高い。平たくて、横に広がっている。避ける場所がない。


 手を前に出した。


 消える。


 消えて、消えきらなかった。


 真ん中はなくなったのに、端が残った。残ったやつが、俺の左の肩をなめていった。


 服が焼ける音がした。自分の服が焼ける音を、俺は初めて聞いた。


 ひざから力が抜けて、片手をついた。


 肩は見なかった。見たら動けなくなる気がした。


「……お、おい」


 男の声だ。


「消えたぞ。今のも消えたぞ」


「頭ぁ、あれ」


「黙っとれ」


 俺は立った。


 立ってから、自分が立ったことに気づいた。座っていろと頭のどこかが言っている。足はそっちを聞いていない。


 一歩。


 外套の男が、また手を上げた。


  


 三発目。


 これは丸かった。一発目と同じくらいの大きさだ。速い。


 手を前に出した。


 消えた。


 指の先が冷たくなる。二発目のときよりはっきり冷たい。


 二歩。


 四発目。


 同じ形だった。三発目と、寸分も違わない。


 この男は、同じ魔法を撃っている。


 三歩。


「なんでだ」


 男が言った。


「なんで消える」


 返す息がない。だから何も返さなかった。


 五発目。


 これも同じだった。


 消したところで、歯が鳴りはじめた。かちかち鳴る。かみしめても止まらない。


 寒い。火が四方で燃えているのに、寒い。


 四歩。


「消えるか、そんなもんが」


 男の声が高くなっていた。


「消えるわけがなかろうがァ!」


「なんで歩いてくる」


 男の声が、また高くなった。


「痛くないのか。熱くないのか。おい」


「熱いよ」


「なら止まれ」


「無理だ」


「無理とはなんだ」


「足が、止まらない」


 六発目。


 七発目。


 八発目。


 同じ形が、同じ速さで、同じ場所に来る。俺はそれを、同じやり方で消した。


 消し方を覚えたわけではない。手を出すと、消える。それだけだ。


 手が上がらなくなってきた。ひじから先が重い。腕に鉛を巻かれたみたいだ。


 九歩目で、視界の左が暗くなった。


  


「頭ッ」


 若いほうが叫んだ。


「もういいでしょ! 撤くさぁ!」


「うるさい」


「そいつ変ですって! やばいですって!」


「うるさいと言っとる!」


「だったら、だったらもう殴ればいいじゃないスかァ!」


 俺は、その声を聞いた。


 外套の男も聞いたはずだ。距離は俺のほうが遠い。


 男は手を止めなかった。


 十発目が来た。


 男は、殴るという言葉を聞かなかった。


 聞こえなかったのではない。あの男の中に、その選択が入っていない。


 殴るという手が、この男にはない。


  


 十歩。


 もう数えていない。数えられない。舌が上あごにはりついている。


 外套が、目の前にあった。


 男の顔が見えた。四十くらいの、どこにでもいる男の顔だ。まゆが太い。鼻の横に古い傷がある。


 その顔が、ゆがんでいた。


 怒りではない。恐怖でもない。


 自分の家に帰ったら、家がなかった。ずっとそういう顔をしていた。


「……なんなんだ、お前は」


「知らない」


 声が出た。自分でも驚くくらい、かすれていた。


「数を言え」


「ない」


「ないわけがあるか」


「ないんだよ」


 俺は、手を伸ばした。


 男の胸に触れた。


 服の上から、うすい膜みたいなものがあった。指で押すと、少しだけ返ってくる。


 それが、消えた。


 男が、下を見た。


 自分の胸を見た。ヨナスが自分の砂をかぶったときと、同じ顔だった。


「あ」


 俺は殴った。


 狙っていない。腕を後ろに引いて、前に出した。それだけだ。薪割りのほうがまだ形になっている。


 拳が、男のあごの横に当たった。


 ごり、と鳴った。


 男のひざが、内側に折れた。


  


 俺の手からも、音がした。


 男の音とは別の、乾いた音だった。


 指が三本、あらぬ方向を向いていた。


 痛みは、少し遅れて来た。


 男はあお向けに倒れて、そのまま動かなくなった。外套のすそが、砂の上に広がっている。


「……頭?」


「おい、起きてくださいよ」


「起きろって!」


 五人が、後ろへ下がった。


 一人が荷馬車のほうへ走り、二人がそれに続いた。残りの二人は、俺を見たまま下がって、それから背中を向けて走った。


 誰も、頭をかついでいかなかった。


  


 足音がした。


 引きずるような足音だ。この村で、こういう歩き方をする人は一人しかいない。


「ノア」


「ギースじいさん」


「立てるか」


「無理」


「そうか」


 ギースは俺の横を通り過ぎて、倒れている男のそばにしゃがんだ。剣を杖のかわりにしている。


 縄を出して、男の手首を後ろで縛った。手つきが早い。何度もやったことのある手つきだった。


 それから、男の顔を見た。


 長かった。


 縛り終わっているのに、ギースは立ち上がらなかった。しゃがんだまま、男の顔を見ていた。


「じいさん」


「なんだ」


「知ってる人か」


「……いや」


「今、けっこう長く見てた」


「見とらん」


 ギースは立ち上がった。左脚に体重を乗せないやり方で立ち上がった。


  


 広場に、俺だけが立っていた。


 いや、立っているのは俺と、あとは倒れている人たちだけだった。


 鐘がまだ鳴っている。誰が鳴らしているのか知らない。


 ひざをついた。


 折れていないほうの手で、砂を押さえた。


 吐いた。


 朝の焼き菓子が出てきた。焦げていないほうを選んだやつだ。


 もう一度吐いた。今度は何も出なかった。


 誰かが、声を上げた。


 歓声だった。


 一人が上げて、二人が続いて、それから広場のあちこちから上がった。俺の名前を呼んでいる人もいた。


 意味が、わからなかった。


 トトは、まだそこにいるのに。


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