第9話:手柄は、名前のある方へ
王宮の公示は、月に一度、城門の外の掲示板に貼り出される。人の輪ができていたので、わたしも足を止めた。魔石を仕入れに市場へ行く途中だった。
紙は二枚。一枚は税の話。もう一枚に、寮の名前があった。——王宮魔道具寮 五年間の保守実績報告。
項目が並んでいた。灯火系四百十二件。加熱系二百八十件。結界系二十件。
どれも見覚えのある数字だった。当たり前だ。全部わたしが数えて、報告書の下書きに書いたものだ。
結界系二十件。
その数字を、わたしは指で押さえた。
結界の調律は年に四度で、五年なら二十度になる。数は合っている。合っているけれど、二十度のうち十八度は、わたしが足場に登った。残りの二度は雨で延期になって、寮の別の者が代わりに行った。
報告書の下書きに、わたしは「実施者」の欄を作っていた。誰が登ったかを書いておかないと、次に登る人が前回の状態を知れないからだ。
公示に、その欄はなかった。いちばん下に、責任者の名前があった。王宮魔道具寮主任 ユリウス・ドラン。
それだけだった。
わたしは二度読んで、それから人の輪を離れた。輪の中で、誰かが言っていた。
「五年で七百件か。よう働くもんだ」
「侯爵家のご子息が、自分で灯りを直すのかね」
「指図するのが仕事やろ」
そのとおりだ、と思った。指図するのが仕事で、指図した人の名前で出るのが公示だ。誰も間違っていない。
間違いではない。寮の仕事は寮の名で出すものだ、と教わった。実際そのとおりで、直りさえすれば湯は沸く。誰の名前で沸いても、湯は湯だ。
市場までの道で、そのことを三回くらい考えた。三回目に、少し腹が立った。腹が立ったことに驚いて、四回目は考えるのをやめた。
魔石を六個買って戻ったら、工房の前にニナさんが立っていた。腕組みをして、片眉が上がっている。
「見た?」
「何をでしょう」
「公示。あれ、お姉さんの仕事でしょ」
「寮の仕事です」
「五年ぶん全部、あのぼんぼんの名前になってたよ」
ニナさんは、わたしより怒っていた。
「うちの父さんが読んできて、『ノルデンさんとこの娘さんは何をしとったんや』って言ってたんだけど」
「何もしていないことになりますね」
「なんで平気なの」
「平気ではありません」
言ったら、ニナさんが黙った。
「……あ、そう」
「四回考えました。三回目で腹が立ちました」
「回数まで数えてるの?」
「数えると、そのうち止まりますので」
「止まるの?」
「五回目には、たいてい飽きます」
ニナさんは、心底あきれた顔をした。
「あのさ。腹立ったときって、飽きるまで待つもんじゃないでしょ」
「では、どうするものですか」
「怒鳴る。物を投げる。悪口を言う」
「悪口は、書いた人の意見になりますので」
「口で言うぶんには残らないって」
「残ります。言った人の中に」
ニナさんは口を開けて、閉じた。
「……お姉さん、たまにこわいこと言うね」
ニナさんは呆れた顔をして、それから抱えていた包みを修理台に置いた。
「うちの呼び鈴。鳴らない」
「拝見します」
開けてみると、魔石の座に埃が詰まっていた。よくある症状だ。掻き出して、拭いて、戻す。押してみると、ちゃんと鳴った。
「三十ルグです」
「父さんが、壊れてないって言い張ってた」
「壊れておりました」
「だよね」
ニナさんは硬貨を数えながら、ぽつりと言った。
「うち、仕入れ値が上がったの。先月から」
「どちらの」
「金物。クレーマー商会が卸だから。うちみたいな小さい店は後回しでいいって」
「会頭の方針ですか」
「オズヴァルト・クレーマー。父さんが年に二回、頭下げに行ってる相手」
ニナさんは、その名前を吐き捨てるように言った。わたしは受領札のペンを止めた。
「お父様は、なんと」
「気にすんな、って」
半年前の秤と、同じ言葉だった。
「ニナさん」
「なに」
「秤の話は、お父様に」
「……まだ。だって、あれ言ったら、うち半年ぶん損してましたって話になるじゃん」
ニナさんは硬貨を修理台に置いて、札を受け取った。受け取ってから、それをじっと見た。
「これ、なんで毎回書くの」
「何かあったときに、誰が触ったか分かるようにです」
「別に、呼び鈴くらい」
「呼び鈴くらいでも書きます。書かないものを作ると、書かないのが普通になりますので」
ニナさんは札を財布にしまった。折り曲げずに、平らなまま。誰かと同じしまい方だった。
夕方、金物屋のご主人が魔石を三十個持ってこられた。約束どおりだ。修理台に並べて、一つずつ光にかざした。半刻かかった。
当たりが十七、外れが十三。ご主人は数を聞いて、しばらく黙っておられた。
「十三か」
「はい」
「……値ぇ下げて売りますわ。理由も言うて」
「損が出ますね」
「出ます。けど、三月後に十三人怒って来るよりましやろ」
わたしは札を書いた。品名、魔石三十個。症状、十三個に伸びる罅。お代、なし。保証、当工房で見分け済み。ご主人は札を受け取って、しげしげと見た。
「これ、店に貼ってもええですか」
「どうぞ」
「『見分け済み』言うて貼ったら、うちの魔石は安心やと分かりますな」
思いつかなかった使い方だった。
「……そうですね。ただ、次の仕入れの分は別ですので、そのたびに見せていただくことになります」
「毎回持ってきますわ」
ご主人は帰りぎわに、深く頭を下げていかれた。ニナさんによく似た目をしておられた。その晩、アイゼン殿は来られなかった。
七日続けて来ておられたので、来ないと工房が静かだった。静かなのが本来で、七日前まではずっとこうだったはずなのに、そう感じないのが不思議だった。
控えの紐を数えてみる。十四枚。うち五枚が携行灯。わたしは灯りを消して、二階へ上がりかけて、下りてきた。貼り紙の裏に、今日の日付を書き足した。
明日が、夜会だ。
腹が立ったら回数を数えて、五回目で飽きるのを待つ。ニナさんでなくても「それは違う」と言いたくなる対処法です。セリアは怒らないのではなく、怒りを数字に変換して処理しています。
「誰の名前で沸いても、湯は湯だ」。……本当にそうでしょうか。この問いは、あと二十話ほどかけて答えが出ます。
次回、夜会の晩。坂の上の窓が、まとめて暗くなります。




