第10話:灯りの落ちる夜会
王都のこの通りからは、坂の上に王宮がよく見える。
夜会の晩は、遠目にもすぐ分かる。大広間の窓が、他の窓より一段明るくなるからだ。西翼の階段灯が点いて、玄関の車寄せに灯が並んで、それから大広間に火が入る。順番まで決まっている。わたしは五年、その順番を守らせる側にいた。
その晩、わたしは工房の二階の窓辺に座って、坂の上を見ていた。
見ないでおこうと思っていた。思っていたのに、日が暮れる頃には窓を開けて椅子を寄せていた。西翼が点いた。車寄せが点いた。
大広間に火が入って、坂の上がひときわ明るくなった。
「……点いてる」
声に出してしまってから、自分が少しほっとしていることに気がついた。
わたしの予測では、今日が限界だった。限界というのは、今日は保つという意味でもある。
馬車の列が坂を上っていくのが見えた。灯りが一つずつ動いていく。招待客はたしか二百人ほどだったはずだ。厨房が三日前から動いて、氷室が回って、湯沸かしが回って——あれも全部、無署名だ。
わたしは膝の上で指を折った。
氷室が止まれば、明日の朝には魚が匂う。湯沸かしが止まれば、湯浴みができない。どちらも今日ではない。今日でなければ、明日でもない。
順番でいえば、いちばん先に来るのは吊り灯だった。わたしがそう考えているあいだも、坂の上は明るかった。半刻ほど、明るいままだった。
——落ちたのは、一瞬だった。大広間の窓が、まとめて暗くなった。
消えた、というより、抜けた、という見え方だった。四十八個のうち何個かが残っているはずだから、真っ暗にはならない。実際、窓の縁にうっすら明かりが残っている。人が動いているのが影で分かる。
わたしは立ち上がっていた。自分が何をしようとしたのか、少し考えてから座った。
坂の上から、音は聞こえない。距離が遠すぎる。悲鳴も、足音も、誰かが誰かを怒鳴る声も、ここには届かない。届かないまま、窓の縁の明かりだけが動いていた。
最初に思ったのは、階段のことだった。
夜会の大階段は、幅が六間ある。手すりは片側にしかない。設計したのは百年前の建築家で、当時は手燭を持った従者が客の前を歩く決まりだったから、それで足りた。いまは吊り灯があるので、従者は歩かない。
二百人が、暗い階段に同時に立っている。わたしは窓枠を握った。
握ってから、握ったところで何も変わらないことに気がついた。ここから坂の上までは、走って四半刻かかる。四半刻あれば、人はもう動き終わっている。
それに、わたしが行ったところで、灯りには触れない。
触れないのだ。あの品には署名がなく、署名がない品に手を入れれば責任がその者に移る。わたしはもう寮の人間ではないから、弁済を払う立場ですらない。ただの町の職人が王宮の吊り灯に触ったら、それは修理ではなく器物損壊になる。
規則は、こういうときに、いちばん正確に働く。しばらくして、窓の縁の明かりが動き方を変えた。
ばらばらだった光が、一列になった。誰かが並ばせている。列は、ゆっくり右へ流れていった。大階段は右側にある。手すりのある側だ。
わたしは息を吐いた。誰か、分かっている人がいる。通りに人が出てきた。近所の家の窓が開いて、みんな坂の上を見ている。
「なんだあれ」
「王宮が消えたぞ」
「夜会じゃなかったのか」
隣の家の窓から、ニナさんが身を乗り出していた。わたしと目が合って、口の形だけで何か言った。
「あ・れ・お・ね・え・さ・ん・の・や・つ」
わたしは首を横に振った。振ってから、頷いた。どちらでもある、と思った。
半刻ほどして、坂の上に別の灯りが動き始めた。小さくて、ばらばらで、揺れている。手燭だ。二百人ぶんの手燭が集まっても、吊り灯一つには届かない。
馬車が下りてきた。予定より、たぶん二刻は早い。
坂を下ってくる馬車の灯りを、わたしは数えた。三十七。二百人が三十七台に分かれて帰っていく。誰も転ばなかったかどうかは、ここからでは分からない。
三十七台目が通りを抜けたあと、坂の上から騎馬が一騎、下りてきた。早駆けではない。並足だ。
その一騎は、通りの入り口で止まった。それから、こちらを——たぶん、こちらの窓ではなく、工房の看板を見た。わたしは窓辺から動かなかった。
騎馬はしばらく止まっていて、それから坂の方へ戻っていった。顔は見えなかった。見えないくらいの距離だった。
ただ、外套の裾の垂れ方に見覚えがあった。通りの人が三々五々戻っていって、わたしは最後まで窓辺にいた。
残っている魔石が、あと何個かを数えていた。
窓の縁の明るさから逆算して、たぶん十四個。四十八個のうち十四個。それだけあれば、廊下を歩くくらいはできる。踊るのは無理だ。
直すのは簡単だった。澱んだ魔石を抜いて、新しいものに替えて、座を調律する。四十八個なら、二人がかりで一晩。わたし一人でも二晩あれば足りる。
部品は市場にある。人も寮にいる。ただ、その品には署名がない。
誰かが手を入れれば、そこから先の四十八個ぶんの責任がその人に移る。灯りが落ちて客が階段で転べば、それも移る。だから誰も触らない。触らないことが、規則に忠実だとされている。
わたしは窓を閉めた。階下に下りて、修理台の灯りを点けた。橙色の光が、四十いくつの引き出しを照らした。
自分の帳面を開く。今日の欄は空白だ。今日は何も直していない。少し迷ってから、日付だけ書いた。その下に、一行だけ足した。
——大広間の吊り灯。保証なし。書いてから、これは自分の台帳に書くことではないな、と思った。思ったけれど、消さなかった。
消し方を、わたしはあまり好きではない。
第一話の「あと十一日」を、十話かけて消化しました。
この回、主人公は何もしません。工房の二階の窓辺に座って、坂の上を見ているだけです。悲鳴も足音も、ここまでは届かない。届かないまま、窓の縁の明かりだけが動く。——留飲は、手を汚さない距離から眺めるのがいちばん効く、というのが持論です。
ばらばらだった光が一列になって、手すりのある側へ流れていきました。あれを誰がやらせたかは、書いていません。
次回、買い直した新品の吊り灯が二十台。箱から出しても、点きません。
ブックマークと☆をいただけますと、工房の作業灯に、もう一つ魔石が入ります。




