第11話:買い直しても、点きません
翌朝の市場は、噂で持ちきりだった。
「大広間が真っ暗になったんだと」
「侯爵家のご子息が真っ青でな」
「客は手燭で帰ったらしいぞ」
わたしは魔石の露店の前に立って、聞くともなく聞いていた。
クレーマー商会の露店には、いつもより人が少なかった。貼り紙が効いたのかもしれないし、たまたまかもしれない。店番の若い男が、こちらを一度見た。
朝いちばんの客は、下宿屋の女将さんだった。湯沸かしではなく、噂を持ってきた。
「聞いた? 昨日の夜会」
「坂の上が暗くなるのは見ました」
「うちの姪が厨房に入っとってね。大変やったって」
女将さんは修理台に肘をついて、身を乗り出した。
「灯りが落ちた瞬間に、若い騎士さんが客を一列に並ばせたんやて。手すりのある側だけ歩かせて、階段を一人ずつ下ろして。転んだ人はゼロやったって」
「……そうですか」
「そのあとがおかしいんよ。侯爵家のご子息が、その騎士さんを叱ったんやて」
「叱った」
「勝手に指図するなって。夜会の進行は寮の管轄やろって」
わたしはペンを置いた。
「その騎士の方は、なんと」
「何も言わんかったって。ずっと黙って、客が全員帰ってから、一人で階段の手すりを点検しとったって」
女将さんは、噂話として楽しそうに喋っておられた。わたしは楽しくなかった。昼前に工房へ戻ると、ハンネスさんが戸口で待っておられた。
今日は帽子を手に持っていなかった。かぶったままだった。それだけで、いつもと違うことが分かった。
「ノルデン嬢。買い直しております」
「何をでしょう」
「吊り灯です。丸ごと二十台」
わたしは戸を開けて、中へ入っていただいた。
「大広間の吊り灯は、四台では」
「東廊下と西翼と、医務室の分も合わせて二十台です。主任が昨夜のうちに発注なさいました。クレーマー商会から、今朝いちばんで納入されました」
早い。夜のうちに二十台を用意できる商会は、王都に一つしかない。
「壊れた品は直せない。ならば買い直せばよい、と」
「筋は通っております」
「……通りません」
ハンネスさんは椅子に座って、両手で顔をこすられた。
「新品が、点かんのです」
わたしは湯を火にかけた。
「箱から出して、吊って、魔石を入れて、点かんのです。二十台とも」
「そうでしょうね」
「ノルデン嬢は、ご存知でしたか」
「魔道具は、作った時点では動きません」
わたしは棚から予備の携行灯を一つ取って、修理台に置いた。
「魔石は、それぞれ癖があります。産地、粒の粗さ、澱み方。器の方も、鋳型の個体差で座の深さが違います。この二つを合わせるのが調律です。合っていないと、魔力が座を通らずに逃げます」
「それは、分かっております。私も職人です」
「では、なぜ買い直しが通ると思われましたか」
「……主任が、そう仰ったので」
湯が沸いた。わたしは茶を淹れた。
「調律をすれば、点きます。二十台なら三日ほどでしょうか」
「その調律に、署名が要ります」
「はい」
「触った者が、二十台ぶんの責任を負います」
「はい」
ハンネスさんは茶を受け取って、今日も飲まなかった。
「主任は、寮の若い者に順番に命じておられます。誰も受けません。ヨナスが辞めた話が回っておりますので」
「ハンネスさんは」
「私にも来ました」
その方は、しばらく茶碗を見ておられた。
「断りました。五十四で職を失うのは、正直、こわい。ですが、受けて壊したときの弁済は、死ぬまで払っても終わりません」
わたしは黙っていた。
「それで、主任が仰るには」
ハンネスさんは顔を上げた。
「——消したのは私ではない、と」
わたしは茶碗を持つ手を止めた。
「どういう意味でしょう」
「そのままの意味です。台帳の抹消を指示したのは自分ではない、と。責任の所在の話になったとき、主任はそう仰いました。私は、そこにおりました」
あの日、大広間で羽根ペンを持っていたのはゲルハルト様だ。「ノルデン嬢の署名を、抹消する」と言ったのもゲルハルト様だ。命じたのが誰かは、わたしは見ていない。
ユリウス様の言い方は、いつも自分に都合よく曲がる。だから、これも曲がっているだけかもしれない。
ただ、二十年前の台帳には、次席だった方の名前があった。
「ハンネスさん。二十年前、抹消を指示したのはどなたですか」
「……存じません」
「本当に」
「本当に、存じません」
その方は今度こそ茶を飲んで、立ち上がられた。
「私は、いつも、何も見ておりません」
その言い方は、自分を責めるときの言い方だった。戸口まで送ったところで、ハンネスさんが振り返られた。
「新品の二十台は、どうなりますか」
「箱に戻すのがよろしいかと。吊ったままですと埃が入ります」
「……そうですな」
「あと、代金はもうお支払いでしょうか」
「昨夜のうちに、全額」
わたしは頷いた。
点かない灯りを二十台、代金だけ払って買った。それが昨日の夜会の答えだった。
昼過ぎ、客が四人来た。夜会の噂を聞いて来た人が半分、貼り紙を見て来た人が半分だった。
四人目は、若い男の人だった。紺の上着を着ていない。着ていないけれど、立ち方で分かった。
「ヨナスさん」
「……お久しぶりです」
寮を辞めた三年目の職人が、修理台の前で頭を下げた。
「雇っていただけませんか」
わたしは正直に答えた。
「払える給金がありません」
「知っております」
「本当に、ありません。今日の売上が百二十ルグです」
「では、無給で」
「それは、王宮と同じことになります」
ヨナスさんは口を閉じた。わたしは帳面を開いて、こちらへ向けた。今日までの十七行。金額の欄がぜんぶ埋まっている。
「ここは、直した分だけ書く場所です。無給の人は、ここに書けません」
「……はい」
「三月お待ちください。客が倍になれば、二人ぶん出ます」
「三月」
「その間に、魔石の見分けを覚えていただけますか。憶えて帰って、ご自分の町で開いてもよろしいので」
ヨナスさんは、変な顔をした。それから、笑った。
「ノルデン嬢は、競争相手を増やす気ですか」
「見分けられる人が増えれば、罅のある石が売れなくなります」
ヨナスさんは三日後に来ると言って帰っていった。ハンネスさんが帰ってから、わたしは修理台の隅に積んだ二十年前の写しを引き寄せた。
「査収済」の書き込みを、もう一度見た。
魔石の受け入れ検査。母の署名が消された、その日。誰が検査したのかは、どこにも書いていない。
魔道具は、作った時点では動きません。魔石にも器にも個体差があって、その二つを噛み合わせるのが調律です。——この設定を一行で受け取っていただくために、新品を二十台まとめて買わせました。代金は、昨夜のうちに全額。
「消したのは、私ではない」。この台詞は、二十年前の台帳とつながっています。
次回、控えの札に「異常なし」が並び始めます。書いている本人だけが、気づいておりません。




