表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第1章 保証の終わり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/30

第5話:寮からの使者

 ハンネスさんは、帽子を膝に置いたまま切り出された。


「寮に、戻っていただけませんか」


 わたしは湯を沸かす手を止めた。結局お茶を淹れることにしたのは、その方が帰る気配を見せなかったからだ。


「わたしの署名は、抹消されました」

「復活させられます。寮長の裁量で」

「では、寮長のご意向ですか」

「……いえ」


 ハンネスさんは首を横に振られた。


「私が、勝手に参りました」


 湯が沸いた。わたしは茶を淹れて、ひとつを差し出した。ハンネスさんは受け取って、飲まずに膝に置かれた。


「昨日から、寮が回っておりません」

「そうですか」

「東廊下の灯りが二本落ちました。三本目が今朝です。若い者が直そうとしましたが——」

「触れませんね」

「触れません」


 ハンネスさんは、茶碗の縁を親指でなぞっておられた。


「無署名の品に手を入れれば、責任がその者に移る。壊れれば弁済です。灯り一本の弁済なら、まだ払えます。ですが、あれは全部繋がっている。東廊下の灯りは配線が王族棟の湯沸かしと共通で、その先に厨房の氷室がある。一本触って全体が落ちたら、若い者ひとりの給金では二十年かかっても足りません」


 わたしは頷いた。そのとおりだ。だからわたしも、五年のあいだ順番を考えて触ってきた。


 王宮の魔道具は、一点ずつ独立してはいない。灯りの列は一本の魔力線を分け合っていて、その線は上流で暖房や湯沸かしと繋がっている。どこか一点の座がずれると、そのぶんの負荷が隣へ回る。隣が耐えられなくなると、また隣へ回る。


 わたしが五年かけて覚えたのは、直し方ではなく順番だった。どこから触れば連鎖が起きないか。どこは冬まで待てるか。台帳の並び順は、そのまま触ってよい順番になっている。


 二十年変わっていない並び順を作ったのが誰なのかは、考えたことがなかった。


「今朝、若い者に触らせようとした方がおられました」

「主任ですか」

「……はい」


 ハンネスさんは、そこで初めて茶を一口飲まれた。


「その者は、断りました。断って、辞表を出しました」


 わたしは自分の茶碗を持ったまま、しばらく黙っていた。


「お名前は」

「ヨナスです。三年目の」

「存じております。手が丁寧な方でした」


 覚えている。魔石の座を磨くとき、必ず二度拭く癖のある子だった。一度で足りるのに、と言ったら、一度だと自分が信じられないので、と答えた。


「ノルデン嬢」ハンネスさんは顔を上げられた。「戻っていただければ、全部元に戻ります。灯りも、ヨナスの辞表も」


 わたしは茶を飲んだ。


「戻りません」


 言ってから、思ったより静かな声が出たことに自分で驚いた。


「……お怒りですか」

「いいえ」


 怒ってはいなかった。これは本当だ。


「戻ったところで、同じ台帳に同じように署名を書くだけです。書けば、また消せます。次に消されるときにまた同じことが起きて、そのときにはヨナスさんはもう寮におられません」


 ハンネスさんが、口を開いた。何も言わずに閉じた。あの日、大広間で見たのと同じ動きだった。


「戻れば、私が困らなくなります」


 しばらくして、そう仰った。


「ヨナスが戻り、灯りが点き、主任は面目を保ち、寮長は何もなかったことにできる。困るのはノルデン嬢だけです」

「そうですね」

「……ひどい話を、しに来ました」

「ハンネスさんが考えたことではないでしょう」

「私が考えて、私が歩いてきました」


 その方は膝の帽子を握り直された。


「二十年前も、同じでした。誰かが決めて、私は歩いただけだと思っておりました」


 わたしはその言葉を、そのまま通り過ぎるところだった。


「二十年前」

「……いえ」


 ハンネスさんは首を振られた。振り方が速すぎた。


「わたしは、この台帳に書きます」


 わたしは修理台の上の帳面を指した。開いたままの頁に、三行だけ書いてある。携行灯、携行灯、秤。


「三点しかありませんが、ここに書いたものは消えません。消しに来る方がいませんので」


 ハンネスさんは、その帳面をじっと見ておられた。それから、ひどく小さな声で仰った。


「……セレスティア様も、同じことを仰いました」


 わたしは顔を上げた。


「母が?」

「いえ」


 ハンネスさんは急に立ち上がって、帽子をかぶられた。


「失礼しました。お邪魔を」

「ハンネスさん」

「茶を、ありがとうございました」


 止める間もなく、戸が閉まった。わたしは開いたままの戸口を見ていた。それから、飲みかけの茶碗が二つ残った修理台を見た。


 母は王宮の首席調律士で、わたしが物心つく前に辞めた。理由は訊いたことがない。訊いても、そういうこともあるのよ、としか言わない人だった。


 午後は、客が二人来た。


 一人は近所の下宿屋の女将さんで、湯沸かしの温度が上がりすぎるという話だった。座が深く沈んで、魔石が接点に押しつけられている。厚みの合う敷板を挟んで直した。四十ルグ。


 もう一人は、通りがかりの荷馬車の御者だった。荷台の照明が点かない。見たら魔石が入っていなかった。落としたのだろう。予備を一つ売って、十八ルグ。


 どちらも札を書いた。秤の分と合わせて、控えの紐が五枚になった。女将さんは帰りぎわに、貼り紙のない窓を見て、看板はどうするのかと訊かれた。


 考えていなかった。母の頃の看板は、外の壁に打ちつけたまま残っている。塗りが剥げて、字がほとんど読めない。


 夕方、脚立を出して看板を下ろした。布で拭くと、下から母の字が出てきた。


 ——ノルデン工房。


 その下に、小さく一行。——直せるものは、直します。わたしはしばらく、その一行を見ていた。打ち直して、元の場所に掛けた。


 その晩、アイゼン殿は三挺目の携行灯を持ってこられた。開けて、魔石を見て、接点を見て、枠を振ってみた。どこも悪くなかった。


「……異常が、ありません」

「そうか」

「点検料として五ルグいただきますが、修理はしておりませんので、お返しした方が」

「いい。取ってくれ」


 わたしは五ルグの札を書いた。


「アイゼン殿」

「なんだ」

「壊れていないものを持ってこられても、五ルグしか書けません」

「それでいい」

「……そうですか」


 その方は札を受け取って、しまわれた。戸口で、一度だけ振り返られた。


「王宮の灯りが落ちたら、どうなる」


 唐突だった。


 わたしは少し考えて、答えた。


「大広間の吊り灯でしたら、まず暗くなります。それだけです」

「それだけか」

「はい。ただ、暗い場所で二百人が同時に動くと、階段で人が転びます。夜会の階段は、手すりが片側にしかありませんので」


 アイゼン殿は頷いて、出ていかれた。その頷き方が、たぶん、答えを知っている人の頷き方だった。


 書きながら、ハンネスさんの言葉が引っかかっていた。セレスティア様も、同じことを仰いました。


 母は何を言ったのだろう。そして、なぜハンネスさんは、それを言いかけて逃げたのだろう。

 「戻れば、私が困らなくなります」。ハンネスさんは、ひどい話をしに来たことを自分で分かっている人です。分かっているから、その言葉を自分の口で言う。この作品でいちばん書きにくい人でした。

 塗りの剥げた看板の下から出てきた一行は、母親の字です。——直せるものは、直します。この一行は、最後まで効きます。

 次回、温まらない暖房具。壊れていないのに温まらない品を、皆さまならどう直しますか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ