第41話:台帳の一行目
関に着いたのは、三日目の昼だった。
関というのは、門と、番所と、荷を検める台が三つあるだけの場所だった。台の上で荷を開けて、役人が中を見て、紙に書いて、通す。それだけの場所に、荷馬車が二十台ほど並んでいた。
わたしたちの荷は、三つとも小さい。順番が来て、役人の方が箱を開けて、工具を一本ずつ持ち上げて、戻された。母の帳面は、油紙のまま通った。
「三人。通行料、三十六ルグ」
アイゼン殿が、ご自分の十二ルグを先に置かれた。わたしが自分の十二ルグを置いて、ニナさんが十二ルグを置いた。ニナさんは置くまでに、硬貨を二度数えた。
隣の台では、大きな荷が開けられていた。魔石の箱だった。木の箱に藁を詰めて、石が二十ほど並んでいる。箱の蓋の裏に、札が一枚貼ってあった。
白い札だ。上に、印がある。輪が二重で、外の輪の内側に切り込みが一つ。
わたしは、その札を見て、それから石を見た。
澱んでいる。二十のうち、上から見えるだけで六つは澱んでいる。澱んだ石は、光を通すと中に濁りが出る。昼の光でも分かる。
「その札は」
わたしが訊くと、荷主の方は、こちらの言葉で答えられた。
「組合の保証や。あったら検めが要らん」
「中は、見ておられますか」
「見んでええから札を買うんやろ」
役人の方が紙に書いて、荷は通った。石が二十。うち六つ以上が澱み。札は一枚。札があれば、通る。
アイゼン殿が、わたしの横で、荷の去ったほうを見ておられた。
「三年前と、同じ音がした」
その方は、それだけ仰った。わたしは、荷車の車輪の音のことかと思った。思ってから、そうではないと分かった。あの方は、石の音を仰ったのだ。澱んだ魔石は、揺れると鳴る。
組合のある町に入ったのは、五日目の朝だった。
館は、思っていたより大きかった。石造りで、三階建てで、入口の上に組合の印が彫ってある。輪が二重。門の前に、上着の裾の長い方が立って、両手を広げておられた。
「ノルデン先生。ようこそ、我々の第一条のお嬢様」
テオドール・ブラント代表は、招請状の字と同じ声をしておられた。太くて、線が長い。
「遠路、ご苦労さまでございました。まず、台帳をご覧いただきましょう。そのために、お越しいただいたのですから」
台帳は、館の奥の部屋にあった。二十冊ほどが、棚に並んでいる。代表は、いちばん左の、いちばん古い一冊を出して、机に置かれた。
「一冊目でございます。二十年前の」
わたしは、表紙を開けた。
一行目は、書いてなかった。貼ってあった。
小さな紙が一枚、頁の上端に糊で留めてある。紙の色が、周りの頁と違う。こちらの紙だ。こちらの紙に、こちらの文字で、五つの欄がある。
品名 道具箱 留め金 一点
症状 根元で折れ
お代 ——
日付 二十年前の冬の初め
直した者 セレスティア・ノルデン
母の字だった。
斜線は、無かった。
わたしは、その札を三度読んだ。三度目に、日付の欄を指で押さえた。母の署名が二十三行、定規で消された日と、同じ日付だった。
同じ日に、母は、一行書いている。
二十三行消した手で、その日のうちに、一行書いた。書いたのは、他国の職人の道具箱の留め金だった。お代は取っていない。
「お母様の手ずから、でございます」
代表が、横で仰った。
「我が組合の創立者ライナルト・エッシュが、この札を頂いて帰り、台帳の一行目に貼りました。この一行があるので、我々の台帳は、お母様の帳面の続きでございます」
わたしは、頁をめくった。
二行目からは、エルツの文字だった。読めない。読めないが、五つの欄があるのは分かる。右端の欄の字が、行ごとに違う。何人もの職人が、自分の手で書いている。
一冊目、二冊目、三冊目。同じだった。
九冊目のあたりで、右端の欄の字が、変わった。同じ字が続くようになった。太くて、線が長い字だ。字の前に、小さな印が一つ添えてある。
「この印は」
「代理、でございます」
代表は、少しも声を落とさずに仰った。
「調律者が不在の品につきましては、組合が代理で記帳し、保証を負います。第十一条にございます」
「この字は、どなたの」
「私でございます」
いちばん新しい二十冊目を出していただいた。開いた。右端の欄は、一頁とも同じ字だった。次の頁も。その次も。わたしは、頁を数えるのをやめた。
「ノルデン先生」
代表が、椅子を勧めてくださった。わたしは座らなかった。
「本題を申し上げます。あなたの署名を、この台帳に置いていただきたい」
「一行、と招請状にございました」
「一行で結構です。第一条のご息女の署名が一行あれば、代理署名は第一条に適う、と若い者に示せます。二日後に総会がございまして、その、少々騒がしい者どもがおりますので」
わたしは、母の札を見た。
二十年前、この国は母の名前を消した。この国は、母の名前を一行目に貼った。貼って、その下に、自分の字を二十冊ぶん書いた。
名前が欲しかったのだ。どちらの国も。
「二日、考えます」
「もちろんでございます」
「それから、代理の札のついた品を、一つ見せていただけますか」
代表は、少し首を傾けられた。
「品、でございますか」
「札は、品につくものですので」
「札は帳場にございます。品は、お客様がお持ちでして」
帳場は、館の一階にあった。長い台の向こうに男の方が一人いて、台の上に、白い札が束で積んであった。輪が二重の印が、上から押してある。品は、一つも無かった。
ニナさんが、束から一枚つまみ上げた。
「——で、いくら?」
帳場の方は、こちらの言葉が分からない。ニナさんは、札をひらひらさせて、指を擦り合わせた。それは、どこの国でも通じる。
帳場の方が、指を三本立てた。
通訳の子が、横から言った。
「三百ルグほど、と」
ニナさんは、札を置いた。置いてから、腕を組んで、片眉を上げた。
「高っ。直してないのに?」
アイゼン殿は、帳場の脇の壁に、荷を足元に置いて立っておられた。立ったまま、こう仰った。
「関の荷と、同じ印だ」
宿は、館の裏手にあった。組合が持つと言った宿で、部屋は三つ、窓は北向きだった。
わたしは、母の帳面の十冊目を出して、最後の頁を開いた。読めない一行。その下の、輪が二重の印。今日、一日じゅう、この印を見ていた。
戸を叩く音がした。
開けたら、女の人が立っていた。十九か、二十くらい。背が高い。両手で、木の箱を抱えていた。古い箱で、角が全部丸くなっていた。
「ノルデン、いますか」
こちらの言葉だった。単語を一つずつ置くような話し方で、助詞が落ちる。
「わたしです」
「わたし、マレーネ。エッシュ」
組合の台帳の一行目は、書いてなくて、貼ってありました。二十年前の冬の初め、母が二十三行を定規で消した、その日の日付です。消した手で、同じ日に一行書いて、お代は取っていません。
その下に二十冊。九冊目のあたりから、右端の欄が同じ字になります。
ニナの「——で、いくら?」は、言葉が通じなくても通じます。指を擦り合わせるのは、どこの国でも同じだそうです。
次回、道具箱の留め金。二十年前に母が作った物です。




