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「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第7章 国境の向こうの台帳

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第38話:第一条

 封の中には、紙が二種類入っていた。


 一枚は招請状で、こちらの文字で書いてあった。もう一枚は綴じた冊子で、そちらは二段になっている。右の段がエルツの文字、左の段がこちらの文字。同じ内容を並べて書いてある。


 訳を作った人は、法の言葉を知っていた。ただ、こちらの言葉の敬語の使い方がところどころ古い。二十年ほど前の書き方だった。わたしは、招請状を後回しにして、冊子のほうを開いた。


 題は「調律者署名法」。


 第一条から始まっていた。


  第一条 調律者の署名は、調律した者に属する。組合、官庁その他いかなる者も、これを移し、預かり、又は抹消することができない。


 わたしは、その一行を三度読んだ。読んで、指で押さえて、それからもう一度、最初から読んだ。


 国が預からない、と書いてある。預かることができない、と書いてある。書いた人は、預かるという言葉を、わざわざ一つの語として並べていた。移し、預かり、抹消する。三つとも同じ扱いにしてある。


 条は全部で十九あった。ほとんどが手続きの規定で、退屈だった。品に打つ番号の桁数とか、帳面の保存年限とか、そういうことが細かく決めてある。読むうちに、これを書いた人が、実際に工房で手を動かしたことのある人だと分かった。


 最後に、注が一つついていた。


  本法第一条乃至第七条は、ノルデン工房 セレスティア・ノルデンの帳面の記帳方式に拠る。


 わたしは、そこで手を止めた。


 母の名前が、他国の法に書いてある。


 書いてあるだけではなく、法の骨のところが母の帳面に拠っている、と書いてある。品名、症状、お代、日付、直した者の名前。あの五つの欄のことだ。


 冊子の最後に、日付があった。二十年前。


 母の署名が二十三行、定規で消された年と、同じ年だった。


 招請状のほうを開いた。


 こちらは短かった。ノルデン工房の当主を、エルツ調律士組合の館へ招きたい。滞在の費用は組合が持つ。関の通行の手配も組合がする。組合の台帳に、ノルデン工房の署名を一行いただきたい。


 いちばん下に、署名があった。


  エルツ調律士組合 代表 テオドール・ブラント


 その字は、冊子の訳文の字と違った。訳文の字より新しく、線が太い。招請状を書いた人と、冊子を訳した人は、別の人だった。わたしは、二枚を並べて、しばらく見ていた。


 それから、母の十冊目を出して、修理台に置いた。


 綴じが緩んでいる。十年、抽斗の底にあって、この一月半でわたしが何度も開いた。開いた回数のぶんだけ、糸が伸びた。最終頁は、もう半分外れかけている。読めない一行が書いてある、あの頁だ。


 直すことにした。


 綴じ直すには、まず古い糸を全部抜く。抜いてから、穴を見る。母は五つ穴で綴じていた。五つのうち、上から二つ目の穴が広がっている。ここに力がかかる綴じ方だ。広がった穴は、細い紙縒りを差して埋める。埋めてから、新しい糸を通す。


 糸は、麻の細いのを使った。工房の在庫の、いちばん上等なのを出した。通しながら、最終頁を持ち上げた。


 読めない一行と、その下の、輪が二重の印。届いた封蝋と、同じ印。


 この人は、母の帳面の最後の頁に、自分の印を押した。押して、それから何をしたのか。何もしなかったのか。しなかったのなら、なぜ母の帳面の記帳方式が、他国の法の骨になっているのか。


 糸を引いた。締めすぎると頁が開かなくなるので、指一本ぶんの余裕を残す。母もそうしていた。結んで、余りを切った。


 帳面は、閉じてもきちんと平らになった。


 戸が鳴った。


 顔を上げたら、フォス主査が立っておられた。手に、綴じた冊子を持っておられる。二段組みだった。右の段が、エルツの文字だった。


「同じものが、院にも届いております」


 その方は、修理台の上のわたしの冊子を見て、それから自分のを置かれた。並べると、装丁まで同じだった。


「他国に前例がある、と申し上げました」

「……はい」

「二十年です。二十年、この法で回っている国が、関の向こうに一つございます。事故の報告は一件もございません」


 フォス主査は、椅子に座られた。座ってから、こう続けられた。


「ノルデン嬢。私は先日、あなたの言葉を院内で読み上げました。預かれるものは、消せます、と。次の日に、これが届きました」

「偶然でしょうか」

「偶然ではないと思います。あちらは、私どもの案を知って出したのでしょう」

「なぜ、そうお考えに」


 その方は、冊子の最後の注を指で押さえられた。


「ここに、あなたのお母様の名前がございます。私どもの案が通れば、この国の調律者の署名は国が登録することになる。そのとき、この注の意味が変わります」


 わたしは、その指の先を見た。


「どう変わりますか」

「『この国が捨てた方式で、二十年うまくやっている国がある』が、『この国もようやく方式を持った』に変わります。どちらが本当かは、法文からは分かりません」


 フォス主査は、冊子を閉じられた。


「私は、あちらを見に行くつもりでおりました。ただ、私が行くと視察になります。視察には日程と、随員と、報告書がついてまいります」


 その方は、立ち上がられた。


「あなたが行くと、修理になりますね」


 それだけ仰って、冊子をわたしの側へ押して、出ていかれた。


 夕方、アイゼン殿が来られた。携行灯が一つ。どこも悪くなかった。札を書いてお渡ししてから、わたしは机の上の冊子を指した。


「アイゼン殿。この法の第一条に、母の名前がございます」


 その方は、しばらく紙を見ておられた。読めない字ではない。こちらの文字の段もある。


「二十年前だな」

「はい」

「こちらで消えた年だ」

「はい」


 その方は、それ以上何も仰らなかった。


 残された二冊の冊子は、装丁が同じで、厚みも同じだった。ただ、フォス主査のほうには、頁の端に細かい書き込みが、もう入っていた。

 第一条だけ、もう一度置いておきます。「調律者の署名は、調律した者に属する。組合、官庁その他いかなる者も、これを移し、預かり、又は抹消することができない」。二十年前に書かれた、他国の法です。骨は母の帳面の五つの欄で出来ています。

 母の名前は、この国の台帳からは消えました。関を一つ越えたところでは、法の注に残っていました。

 フォス主査は敵ですが、この人は嘘をつきません。「私が行くと視察になる。あなたが行くと修理になる」というのは、たぶん、この方なりの後押しです。

 次回、工房を三十日空ける相談をします。四百七十二点は、誰が直すのか。

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