↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第6章 四百七十二点

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/45

第37話:封蝋の形

 十七日目の朝、わたしは工房にいた。王宮ではなく、工房にいた。それが自分でも少し不思議で、朝のうちに二度、荷馬車の支度をしそうになって手を止めた。


 王宮ぶんは、ハンネスさんとヨナスさんが荷馬車で出ていった。二人が門前で受け取り、二人が直し、二人が札を切る。わたしが行かなくても回る。回るように作ったのだから当たり前なのだが、当たり前になるまでに十七日かかった。


 台帳(二)は、百八十六行まで埋まっている。予定は百七十行だ。先行しているぶんは、ヨナスさんが朝の並びを整理するようになったぶんだった。その代わり、わたしは町の品に戻れた。


 鍋、蝶番、水差しの注ぎ口、子どもの玩具の車輪。一点あたり三ルグから十ルグの品を、一日に十四点。王宮の吊り灯より、こちらのほうが手が汚れる。


 玩具の車輪は、軸が木で、受けが鉄だった。木のほうが減るので、普通は木を替える。ただ、その車輪の木には、持ち主の子が墨で名前を書いていた。書いた字が軸の減った側にかかっていて、替えると名前が消える。


 わたしは受けの鉄のほうを削って、軸の減った形に合わせた。手間は木を替える倍かかって、代金は同じ三ルグになった。母の帳面にも、こういう直し方が何十件もある。母は理由を書いていない。書いていないので、こちらが勝手に、同じ理由だろうと思うことにしている。


 午後、辻の集配箱の錠を見てほしいと言われて出かけた。


 箱は辻の角の石の台に据えつけてあって、鍵穴が下向きについている。下向きの鍵穴は水が入る。入った水が錆を呼んで、錆が舌を膨らませて、鍵が回らなくなる。


 この形の集配箱は町に十九ある。十九のうち十七は、鍵穴が横向きだ。横向きなら水は入らない。下向きが二つだけ残っているのは、据えつけた石の台の向きが先に決まっていたからで、箱の側では直せない。


 十二年前に母が留め金を替えた記録が、七冊目にあった。留め金だけ替えて、鍵穴の向きには手をつけていない。手をつけられなかったのだと思う。


「三日、開いとらんのや。中に手紙が溜まっとる」


 集配人の方が、箱を揺すって見せてくださった。紙の音がした。


 錆を落とすには、まず舌を抜く。抜くには、面の四本の螺子を外す。四本のうち二本は、頭が潰れていた。潰れた螺子は回らないので、溝を切り直してから回す。ここが半刻。


 舌を抜いて、錆を落として、油を差して、戻した。鍵を入れる。回った。


「六ルグです」

「安いな」

「螺子は次に潰れます。そのときは十二ルグになります」


 箱を開けると、手紙が二十通ほど出てきた。集配人の方が仕分けて、束を三つに分けられた。


「ノルデン工房に一通あるで」


 わたしは受け取った。


 厚みのある紙だった。町の紙ではない。表に、こちらの文字で「ノルデン工房 当主どの」と書いてある。書いた人の字は、丁寧だが、こちらの文字に慣れていない。線の止め方が全部同じ強さだった。


 裏を返した。


 封蝋が押してあった。


 濃い赤の蝋に、輪が二重。外の輪の内側に、細い切り込みが一つ。


 わたしは、その場で立ったまま、しばらく動かなかった。集配人の方が何か仰ったが、聞こえなかった。


 工房まで戻る間、封は切らなかった。切らずに、手の中で表と裏を三度返した。返すたびに、輪の形を目で測った。


 紙は、こちらの紙より厚くて、繊維が粗い。透かすと、細い筋が縦にそろって見えた。漉き方が違う。この紙を漉く水は、たぶん冷たい。


 差出人の名は、表にも裏にも書いていなかった。書かない代わりに、封蝋を押してある。名を書かずに印だけ押すというのは、押した印で相手に分かるという前提の押し方だ。


 わたしには、分からないはずだった。


 工房に着いて、作業台の抽斗を開けて、母の帳面の十冊目を出した。


 いちばん最後の頁。下の隅の、読めない一行。その一行の、いちばん下の字の、さらに下。


 小さな印がある。三日前に写しを取ったとき、字の一部だと思って、そのまま写した印だ。輪が二重。外の輪の内側に、細い切り込みが一つ。


 同じだった。


 大きさまで同じだった。帳面の印のほうが十年ぶん薄いだけで、輪の太さも、切り込みの角度も、重ねたら合う。


「お姉さん」


 顔を上げたら、ニナさんが戸口に立っていた。地図を脇に挟んでいる。返しに来たのだと思う。


「何それ」

「書状です」

「どこから」


 わたしは、封蝋を上に向けて、その方に見せた。


「まだ開けておりません」

「なんで」

「開けたら、行くことになる気がしております」


 ニナさんは、修理台の横まで来て、封蝋を覗き込んだ。腕を組んで、片眉を上げた。


「これ、あの帳面のやつと同じ?」

「同じです」

「じゃ、もう行くじゃん」


 わたしは、封を持ったまま黙っていた。


 工房が回るようになった。町の品に戻れた。四百七十二点は先行している。制度案は二月ほど先に院の議に上がって、そのときわたしは、また同じ話を同じ言葉で繰り返すことになる。


 繰り返して、勝つのかどうかは分からない。母のときは、勝たなかった。


「お姉さん」

「はい」


 ニナさんは、地図を修理台に置いた。置いて、指で北の端を叩いた。それから、封蝋のほうへ顎をしゃくって、こう言った。


「——で、いくら?」


 わたしは、その方の顔を見た。


「まだ、何も書いてありません」

「書いてあるって。そういう封してくる相手は、だいたい先に値段の話をしないんだよ。父さんが言ってた。値段の話をしない客がいちばん高くつくって」


 戸口に、影が差した。アイゼン殿だった。手に、携行灯を一つ。


「三十二点目でよろしいですか」

「頼む」


 わたしは受け取って、開けた。どこも悪くなかった。その方は、修理台の上の封蝋を見ておられた。見て、こう仰った。


「北からか」

「エルツ調律士組合、と書いてございます」

「開けるのか」

「開けます」


 わたしは、封に指をかけた。


 蝋は硬かった。十年前の印と同じ形の蝋が、今日届いた紙の上で、まだ新しい艶をしていた。

 工房が回るようになるまで十七日でした。回るように作ったのだから当たり前なのですが、当たり前になるまでの十七日を書きたかったので、ここまで使いました。

 封蝋の輪が二重で、外の輪の内側に切り込みが一つ。十年前の帳面の隅に押してあった印と、大きさまで同じです。

 封を切る前にニナが値段を訊きます。この子の「——で、いくら?」は、だいたい正しい方向を向いています。

 次回、封の中身。第一条から始まる短い法文が入っております。

 台帳(二)の綴じ紐が、そろそろほつれてきました。次の一巻きは、皆さまのブックマークと☆で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。