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「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第6章 四百七十二点

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第35話:エルツの文字を読める人

 王都で、エルツの文字を読める人を探した。


 三日かかって、見つからなかった。まず、大通りの書字商に行った。看板に六か国語と書いてある。書いてあるだけだった。


 写しは、わたしが墨で引き写したものだ。引き写すために、その一行を半日かけて見た。字は全部で七つ、右から左へ流れて、四つ目と五つ目のあいだだけ間があいている。姓と名の切れ目だと思う。最後の字の下に、小さな輪が二重に重なった印が押してあった。印は、字よりも濃かった。


 ご主人は写しを受け取って、しばらく上下をひっくり返したあと、「これは南の文字ではありませんな」と仰った。それは、わたしにも分かっていた。


 次に、隣町の問屋へ行った。母の木箱を十年預かってくれた方だ。その方は帳場から出てこられて、写しを見て、こう言われた。


「北のもんは、うちは扱わんのや。関の税が高うてな」

「どなたか、ご存知の方は」

「昔は、関の宿場に代書屋がおったんやけどな。十年ほど前に畳んだ」


 十年ほど前。


 その数字を、わたしはこのところ何度も聞いている気がした。


 三日目は、王宮に行った。書庫の灯りが二点、点かなくなっているという依頼が回ってきていたので、ちょうどよかった。ちょうどよかった、というのは、口実になるという意味だ。


 書庫は、寮の三階の北向きの部屋だった。窓が小さく、昼でも暗い。灯りが二点とも死んでいるので、書記官の方が蝋燭を立てて仕事をしておられた。


 一点目は座の緩みで、四半刻で直った。二点目が悪かった。魔石は生きているのに、点いて、消えて、また点く。接点の裏に、指の脂が古く固まっていた。長い年月、同じ人が同じ持ち方で運んだのだと思う。


 拭いて、当て板を入れて、点けた。部屋が明るくなって、書記官の方が蝋燭を吹き消された。


「ありがとうございます。……いつからでしたかな、これ」

「二年は経っております」

「二年、蝋燭でやっておりました。誰も直せないと言うので、そういうものかと」


 わたしは札を書きながら、その方に訊いた。


「こちらの書庫に、北の国の文字の資料はございますか」

「エルツですか」

「はい」


 その方は、少し考えて、棚の並びを見渡された。


「無いはずです。国交はございますが、書き物のやりとりは関の税書だけでして。……ああ、ただ」


 立ち上がって、いちばん奥の棚へ行かれた。


「再点検の資料が、倉に下りております。過去二十年ぶんの納入検査記録を洗い直しておりまして、そのなかに、古い会議の綴りが混ざっておりました」


 倉は、書庫よりさらに暗かった。ラング寮長が鍵を開けて、灯りを二つ点けてくださった。点けてくださった灯りは、わたしが三日前に直した品だった。


「ノルデン嬢。ひとつ、伺いたい」

「はい」

「あなたが探しているのは、母上のことですか。それとも、フォス主査の言った前例のことですか」

「同じものかもしれないと思っております」


 その方は、それ以上訊かなかった。


 綴りは十二冊あった。二十年前の年のものは、いちばん下にあった。上の十一冊を順に床へ移して、いちばん下を引き出す。紙が湿気を吸って、束が厚くなっている。紐が乾いて、解こうとしたら、指をかけた場所で切れた。


 切れた紐を巻き取って、隅に置いた。倉で紐を切るのは失礼な気がしたが、そう思ったのはわたしだけで、ラング寮長は何も仰らなかった。


 中身は、退屈な記録だった。納入検査の日付。品目。数量。査収の可否。同じ書式が何十枚も続いて、時々、会議の記録が挟まる。わたしは、日付を探した。


 母の署名が消された日は、覚えている。二十年前の、冬の初め。ハンネスさんが一度だけその日付を口にされたことがある。


 あった。


 その日の綴りは、たった一枚だった。「魔石納入に係る異議申立ての取扱いについて」という題がついて、下に出席者の一覧が並んでいた。寮長。次席。主任。記録係。それから、書記が二名。


 いちばん下に、一行あった。


  参観 エルツ調律士組合 一名


 名前は書いていなかった。


 わたしは、その一行を指で押さえた。押さえたまま、しばらく動かなかった。


 母がその日、告発を取り下げた。取り下げて、自分の署名を二十三行、定規で消した。その部屋に、他国の職人が一人いた。


 いたのに、記録には名前がない。


「ラング寮長」

「はい」

「参観というのは、どういう立場でしょうか」

「発言権のない同席です。他国の視察団などが入るときに使います」

「視察団ではなく、一名です」

「……一名の視察団は、聞いたことがありませんな」


 その方は、綴りを覗き込んで、指で行を追われた。


「参観者の名簿は、別綴りになっているはずです。探させます。ただ、二十年前ですと、残っているかどうか」


 わたしは、その一枚を写させていただいて、倉を出た。寮の門を出たところに、アイゼン殿が立っておられた。荷馬車の脇に、いつもの位置で。


「終わったか」

「終わりました。お待たせしましたか」

「一時(ひととき)ほどだ」

「お待ちくださらなくて、結構ですのに」

「倉は暗い」


 その方は、それだけ仰って、工具箱を荷台へ上げてくださった。工房に戻ったのは、日が落ちてからだった。ハンネスさんが作業灯の下で、王宮ぶんの受け金を選り分けておられた。


 わたしは、写しを机に置いた。


「ハンネスさん。二十年前の、あの日のことです」


 その方の手が、止まった。止まってから、しばらく動かなかった。受け金を一つ、指で転がして、また戻された。


「……その紙は、どちらで」

「倉の綴りにございました。参観が、一名」

「一名」


 ハンネスさんは、眼鏡を外された。外して、目のあたりを押さえて、それからゆっくり仰った。


「覚えております」


 わたしは、椅子を引いて座った。


「あの日、部屋のいちばん後ろに、外套を着たままの人が一人おられました。誰も紹介しませんでした。私も、その方が誰かを存じません」


 その方は、そこで一度、息を吸われた。


「ただ——セレスティア様は、あの方をご存知でした」

 王都でエルツの文字を読める人は、三日探して一人も見つかりませんでした。読める人がいない文字が、母の帳面の最後の頁に一行だけある。それだけの話だったはずが、二十年前の会議の綴りに「参観 一名」と出てきます。

 名前は書いてありません。書かなくてよかったのか、書けなかったのか。どちらでも、母はその人を知っていました。

 次回、ユリウス様が吊り灯を二十台、納めに来られます。そして審査院の主査が、ハンネスさんに向かって、あの一言を言います。

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