第34話:売り先のない秤
ニナさんが分銅を六個、布に包んで持ってきた。包みを修理台に置いて、腕を組んで、片眉を上げた。そこまではいつもどおりだった。
「摩耗。二個、軽い。父さんが自分で量ったら軽かったって」
「お預かりします。四半刻ほどで」
「うん」
それで、終わった。
わたしは、手を止めた。
この方は、何を持ってきても必ず先に値段を訊く。鍋でも、蝶番でも、量りでも、まず「——で、いくら?」と訊く。訊いてから品を置く。順序が逆になったことは、二か月で一度もなかった。
「ニナさん」
「なに」
「お代を、訊いておられません」
「……別に。何でもない」
わたしは分銅を一つずつ天秤に載せた。二個が軽い。摩耗した面を見ると、片減りしている。片減りするのは、いつも同じ向きで置いているからだ。急いでいる人の置き方だった。
削って合わせるのは無理だった。分銅は減った側を削るのではなく、足りないぶんを足して直す。減った面に浅い座を彫って、そこへ鉛を流し、冷えてから面を平らに擦る。擦りすぎるとまた軽くなるので、天秤に載せては下ろし、載せては下ろしを繰り返すことになる。
手間は半刻、材料は屑鉄だ。金物屋の裏に山ほど積んである。
「お代は要りません」
「なんで」
「材料が屑鉄です。手間賃だけいただくと、その手間賃のほうが分銅より高くなります。うちの秤は、そういう値の付け方をしません」
「……そういうとこ、ずるいと思う」
ニナさんは、修理台の端に腰を預けた。工房の窓から、金物屋の店先が見える。この時間なら、前を通る人が四、五人はいるはずだった。誰も通っていなかった。通っていないのではなく、店の前で足を止める人がいない。
棚が、見えるところまで空になっている。
「ニナさん。お店の棚は」
「見えるんだ」
「見えます」
ニナさんは、片眉を下げた。下げるところを、わたしは初めて見た。
「釘とね、蝶番と、あと鋸の刃。この三つが入ってこない。父さんが問屋を三軒回って、三軒とも『来月から』って言われた」
「クレーマー商会は、王室の資格を失ったはずですが」
「王室のはね。町の卸は残ってる。うちに売らないだけ」
わたしは、鉛を溶かす鍋を火にかけた。
鉛は、溶けるまでが長くて、溶けてからが速い。速いので、目を離せない。目を離せないぶん、口だけが空く。母もよく、この鍋の前で長い話をした。話の中身はほとんど覚えていないのに、鍋の縁に膜が張る瞬間だけは、いまでも手が勝手に動く。
膜が張るのを待ちながら、頭の中で数字を並べた。
ハルト鉄具店は、一月ほど前に商会の使いを追い返している。追い返した先に、町が金物屋を選んだ。選んだのは客であって、卸ではなかった。客が選んでも、棚に品が来なければ、店は続かない。
「もつのは、どれくらいですか」
「父さんは一月って言ってる」
ニナさんは、そこで初めて、わたしのほうを見た。
「お姉さん。うちの秤、いいと思う?」
「思います」
「どのへんが」
「二か月前に直した一台が、一度も狂っていません。誤差二十匁で半年に三十七貫ずれていたものが、いまは日に一度の量り直しで済んでいます。狂わない秤は、直すところがないので、うちは儲かりません」
ニナさんが、笑った。笑ってから、鼻の頭を掻いた。
「うち、売り先を探しに行こうと思ってる」
「探しに」
「王都の中で売れないなら、外で売る。父さんは動けないから、あたしが行く」
「どちらへ」
「決めてない。決めてないけど、南は無理。南は港があるから、安いのがいくらでも入ってくる。うちの秤は安くないもん」
わたしは、鉛の鍋を火から下ろした。
「北は」
「北は魔石でしょ。魔石の国が、うちの秤買う?」
「買うかもしれません」
「なんで」
わたしは、しばらく分銅の面を均していた。均しながら、うまく言えないことを言おうとして、二回やめた。
「魔石が出る土地では、品は安く手に入ります。安く手に入ると、壊れたら買い直します。買い直す前提で回っている場所は——」
言いかけて、やめた。
いま考えていることは、まだ何の裏づけもない。母の帳面の最後の頁に読めない一行があって、フォス主査が北の国の名前を出しただけだ。それだけで、この人の家の一月を賭けさせるわけにはいかない。
「いえ。憶測です。忘れてください」
ニナさんは、しばらくわたしを見ていた。それから、こう言った。
「お姉さん、嘘つくとき、手が止まるよ」
わたしは、手を動かした。動かしたのが遅かった。
分銅は半刻で仕上がった。六個とも規定に合わせて、天秤で三度確かめた。ニナさんは布に包み直して、包み終わってから、思い出したように言った。
「地図、ある?」
「王都のですか」
「もっと広いの」
わたしは、作業台の下から母の古い地図を出した。母が町の点検口を一巡していた頃に使っていたもので、王都から北へずいぶん広く描いてある。折り目が擦り切れていた。
ニナさんは、それを広げて、しばらく黙って見ていた。北の端を、指でなぞっていた。関の記号のあたりで、指が止まった。止まってから、また少しなぞった。何度もなぞった。
「これ、借りてっていい?」
「どうぞ」
「——で、いくら?」
わたしは、顔を上げた。久しぶりに、その言葉を聞いた気がした。
「無料です。母のものですので」
「じゃ、返すね」
ニナさんは地図を畳んで、脇に挟んで出ていった。入れ違いに、アイゼン殿が来られた。手ぶらではない。手燭が一つ。
「異常が、ありません」
「そうか」
「アイゼン殿。北の国のことを、ご存知ですか」
「関の向こうか」
「はい」
「三年前、街道の警備で関まで行った。それだけだ」
その方は、少し黙ってから、こう仰った。
「あそこの荷は、安い」
戸が閉まってから、わたしは机の上を見た。地図が置いてあった場所に、埃の形が残っている。四角い形の、上の縁のところだけ、指の跡で黒くなっていた。
北の端だ。
ニナが値段を訊かなかった回でした。この子は何を見ても先に値段を訊く子なので、訊かないときは、こちらが心配していい合図です。
金物屋の棚は、客が選んでも、卸が来なければ空になります。商会は王室の資格を失いましたが、町の卸の系統までは失っていません。この差が、このあとしばらく効いてきます。
地図の折り目と、指で黒くなった北の端。次回、その北の文字を読める人を探しに、寮の古い記録を引っ張り出します。




