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「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第6章 四百七十二点

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第32話:第七基の足場

 見積書を出した翌日、ラング寮長が工房まで歩いて来られた。歩いて、というのは本当に徒歩という意味で、上着の裾に王都の泥がついていた。


「ノルデン嬢。ひとつ、伺いたい」

「はい」

「千二百ルグの内訳です。調律そのものは、いくらですか」

「二百ルグです」

「では、残りの千は」

「足場です」


 その方は、見積書を膝に置いて指で押さえた。風が出ていた。


「足場で千。……調律の五倍ですか」

「第七基は、南の塔の外壁の、地上から十二丈のところにございます。梯子では届きません」

「石工に頼めば、いくらになりますか」

「八百ルグと、十日です」


 ラング寮長は、しばらく計算しておられた。この方は損得を隠さない。隠さないので、こちらも数字だけ置けばよかった。


「十日は待てません。結界は十二基で一つの膜です。一基欠けた膜が四十日もっているのは、単に運がいいだけでして」


 わたしがそう申し上げると、その方は書類を丸めて立ち上がられた。


「——ということになりますが、よろしいか、と私が誰かに伺う先がありませんな。決裁は私です。千二百で通します」

「ありがとうございます」

「損です。ただ、損なぶんは私の決裁で通ります」


 三日前に同じ話を、わたしはこの方の横でした。あのとき「損なぶんだけ、消せなくなります」と申し上げた。その言葉を、この方は使い方まで覚えて帰られたらしい。


 足場の話をヨナスさんとしていたら、その日の夕方に第二騎士団の荷馬車が二台、工房の前に停まった。降りてきた副長らしい方が、荷台の幌をめくった。丸太と縄と、板が積んである。


「団長より。塔の足場に使えとのことです」

「……あの、これは」

「街道の橋の補修用です。今季は橋が壊れておりませんので、遊んでおります」


 わたしは荷台を見上げた。丸太の数を数えた。十二丈なら、足りる。


「お代を、お支払いします」

「団長は、隊の資材に代金は取れないと申しております」

「では、組み賃を」

「組むのも隊です」


 わたしは、しばらく荷台の前に立っていた。ニナさんが金物屋の店先から出てきて、腕を組んで片眉を上げた。


「お姉さん。あれ、断るつもり?」

「断るというより、お代の付け方を考えております」

「あの人たちさ、たぶん代金取ったら怒るよ」

「怒られたことがありません」

「怒らないから怖いんじゃん」


 結局わたしは、足場の千ルグを見積書から引いた。ラング寮長に届けた新しい見積書は、二百ルグになった。その方は、それを見て一度だけ笑われた。


 足場が組み上がったのは二日後の朝で、思っていたより高かった。


 十二丈というのは、下から見上げているうちは数字だ。登り始めると数字ではなくなる。板の継ぎ目ごとに風の音が変わって、四段目からは王宮の屋根が下に見えた。


 第七基は、外壁に埋め込まれた石の輪だった。輪の内側に魔石が七つ。うち二つが罅で澱んでいる。仮止めの当て板は、四十日前にわたしが応急でねじ込んだままだった。


 わたしは工具を並べた。並べてから、手が止まった。


 結界の調律は、二人がかりでする。


 片方が輪を押さえて基準の音を出し続け、もう片方が石を替える。一人でやろうとすると、押さえながら替えることになって、音が途切れる。途切れた分だけ、膜に細い皺が残る。


 母の代は、ハンネスさんが押さえておられたそうだ。いまのハンネスさんは、五十四で、梯子の四段目から上がだめになっている。ヨナスさんは工房で王宮ぶんの十点を回している。


「どこを持てばいい」


 声がした。


 振り向いたら、アイゼン殿が三段下の板に立っておられた。いつ登ってこられたのか、足音がしなかった。


「危のうございます」

「隊が組んだ足場だ」

「……そういう意味では」


 その方は答えずに、わたしの横まで上がってこられた。わたしは、輪の左の縁を指した。


「ここを、両手で。わたしが良いと言うまで、動かさないでください。それから、音を」

「音」

「わたしが最初に一度、棒で叩きます。その音を、口で出し続けていただきます。低い方で、途切れないように」

「……歌えということか」

「歌でなくて結構です。息が続く限り、同じ高さで」


 その方は、しばらく黙っておられた。それから輪の縁を両手で持って、こちらを見た。


「叩け」


 わたしは調律棒で輪を一度叩いた。低い音が、風に乗って一度だけ鳴った。


 その音が、返ってきた。


 わたしは澱んだ石を外した。座を掻いて、拭いて、新しい石を落とし込む。二つ目を外すとき、音が少し下がった。息継ぎだ。息継ぎの分だけ、こちらの手を止めて待つ。待って、音が戻ってから、続きをやる。


 四半刻で終わった。一人でやったら、二時(ふたとき)はかかったと思う。


 最後の石が座に落ちた瞬間、輪の内側が白く光って、光が壁を伝って左右へ走った。膜の縁が、空の高いところで一度だけ揺れた。


 アイゼン殿が手を離して、指を開いたり閉じたりしておられた。


「痺れております」

「少しな」

「押さえてくださって、助かりました」


 その方は、王都のほうを見たまま仰った。


「二人がかりだと、先に言えばいい」

「……はい」

「言わない癖がある」


 わたしは、板の上に工具を並べ直した。


 訊くなら、いまだと思った。丸一日と、それからもう一日が過ぎている。足場の上には二人しかいなくて、風の音がして、下の音は届かない。


「アイゼン殿」

「なんだ」


 留め具のこと。頂き物には保証をつけられないと申し上げたこと。考えておく、と仰ったこと。


「……足場、いつまで置いていただけますか」

「要るだけ置く」

「ありがとうございます」


 訊けなかった。


 降りながら、四段目のあたりで、自分の言い方の下手さについて考えた。考えても直らないので、板の継ぎ目を数えて下りた。四十二段あった。

 高いところで二人が黙って作業する回でした。結界の調律が二人がかりだという設定は、ここで初めて実物として出てきます。片方は押さえて音を出すだけ——何もしていないように見えて、それが無いと膜に皺が残る。この作品はだいたい、そういう話ばかりしています。

 セリアは訊けませんでした。三十七段ぶん後悔しています。

 次回、王室調達審査院から人が来ます。丁重で、有能で、数字で話が通じる方です。

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