第31話:一日十点、四十七日
二日目の朝、門の前に六十四人並んでいた。
数えたのはわたしではない。荷馬車の御者台に立ったまま数えたのはヨナスさんで、その方は数え終わってから降りてきて、修理台の脚を据えるわたしの横にしゃがんだ。
「ノルデン嬢。一日十点と申し上げましたが、本日ぶんはもう埋まっております」
「何点まで来ていますか」
「三十一点です。昨日ぶんと合わせて六十三点」
わたしは脚の高さを合わせながら、その数字を頭の中に置いた。四百七十二点。一日十点で四十七日。昨日わたしは、それを寮長代理の——いえ、昨日づけで正式に寮長になられたそうなので、クヌート・ラング様に、はっきりそう申し上げたばかりだった。
その四十七日が、二日目の朝に崩れかけている。
「一日三十点なら、十六日で終わりますな」
ハンネスさんが台帳の箱を抱えて来られた。工具箱より重い。
「終わりません」
「終わりませんか」
「わたしの手が一日十点なんです。三十点持ち込まれても、二十点は明日に回ります。回した二十点に明日の十点が乗って、明後日には五十点が待つことになります」
ハンネスさんは、箱を置いて背を伸ばされた。
「ではノルデン嬢、四十七日は」
「守れます。ただ、六十四人にお帰りいただく必要があります」
わたしは立ち上がって、行列の先頭を見た。寮の若い職人が三人、書記官が一人、そのうしろは町の人だった。町の人は王宮の品を持っていない。持っていないのに並んでいる。
三人目の町の女将が、抱えた鍋を見せてくれた。
「うちのは急がへんよ。ただ、ここに並んどかんと、ノルデンさんが王宮に取られてしまうやろ」
わたしは、少し黙った。
「取られません」
「そう言うて、王宮が来たら順番は王宮からやろ」
「いいえ。順番は、持ち込まれた順です」
女将さんは、鍋を抱え直した。
「ほな、うちは十番目やね」
「十一番目です。昨日、東廊下の灯りが一点入っておりますので」
その方は笑って、鍋を修理台の端に置いて帰っていった。名前と品名を書いて、番号の札を渡した。茶色の札だ。町の順番の札は茶色、保証の札は白。工房が回らなくなった頃に決めた色分けを、そのまま王宮にも使うことにした。
昼までに、列は十七人に減った。減ったのは、わたしが六十四人と話したからではない。ヨナスさんが列の横を歩いて、一人ずつ品を見て、「これは三日後」「これは今日」と札を配ったからだ。
わたしは、そこで手を止めた。
「ヨナスさん」
「はい」
「いま、症状をご覧になりましたね」
「見ました。……差し出がましいことを」
「そうではなくて」
わたしは調律棒を置いた。三本目が、そろそろ減っている。
「見て、順番をお決めになった。それは、わたしがやっていた仕事です」
「ですので、差し出がましいと」
「お代は決められますか」
「……決められます」
「では、札は」
ヨナスさんが黙った。
札というのは、受領札のことだ。品名と症状とお代と日付を書いて、最後の欄に名前を書く。その名前が、保証を負う。二か月前にわたしが工房で始めたのは、その一枚を切ることだった。
「切れません」
ヨナスさんは、はっきりそう仰った。
「私の名前で保証を負うことになります。私は、ノルデン嬢の工房で働いている者ですので」
「工房が負うのです。わたしが負うのではありません」
「同じことでは」
わたしは、台帳を開いた。ノルデン工房 保証台帳(二)。白い表紙の、二冊目。
一行目に、東廊下の吊り灯。二行目からも昨日の王宮ぶんで、締めて三十二行が埋まっている。町の品は一冊目の続きに書くので、この帳面には入らない。全部の行の右端に、同じ字で名前が書いてある。わたしの字だ。
この帳面が四百七十二行になるまで、わたしの字が続く。続いたあと、わたしが倒れたらどうなるか。
母のときと同じになる。
「ハンネスさん」
「はい」
「二十年前、母の署名が消えたとき、母の直した品はどうなりましたか」
「……保証が、切れました。全部で二十三行ぶんです」
「一人の名前で四千件を負うと、その一人が消えた日に、四千件が消えます」
わたしは、台帳の右端の欄に、線を一本引いた。欄が二つになった。
「名前の欄を、二つにします。直した者の名前と、工房の名前。保証を負うのは工房です。直した者の名前は、誰の手つきかを残すために書きます」
「工房の名前とは」
「ノルデン工房です。わたしではありません」
ハンネスさんが、しばらく帳面を見ておられた。それから、ゆっくり仰った。
「ノルデン嬢。それでは、あなたが消えても消えませんな」
「はい」
「……二十年、そういう帳面を見たことがありません」
その日の午後、ヨナスさんが札を三枚切った。ハンネスさんが二枚切った。わたしは七点直して、七枚切った。締めて十二点。一日十点のはずが、二点多い。
夕方、門の脇に立っている人がいた。両手に携行灯を持っておられる。
「三十二点目でよろしいですか」
「頼む」
わたしは受け取って、開けた。どこも悪くなかった。
「異常が、ありません」
「そうか」
二十ルグを置かれた。札を書いて、半分に切ってお渡しする。アイゼン殿は外套の内側に、折らずにしまわれた。しまってから、こちらを見て、何も言わずに立っておられた。
昨日わたしが「頂き物には保証をつけられませんので」と申し上げて、その方が「考えておく」と仰った。それから丸一日が経っている。
「アイゼン殿」
「なんだ」
「……いえ。お気をつけてお帰りください」
その方は頷いて、帰られた。訊けなかった。訊けなかったことを、荷を積みながら三度思い出した。
工房に戻ったのは、日が落ちきってからだった。ハンネスさんが作業灯の下に残っておられたので、わたしは母の帳面を十冊、机に積んだ。
十冊目の、いちばん最後。白紙だと思っていた頁の下の隅に、一行ある。母の字ではない署名。
「ハンネスさん。これを、お読みになれますか」
ハンネスさんは眼鏡を上げて、しばらく紙に顔を近づけておられた。
「読めます」
わたしは、手を止めた。
「読めるのですか」
「読める、というのは正しくありませんな。文字の形に見覚えがある、という意味です。これはエルツの文字です」
「エルツ」
「北の国です。関を一つ越えて、荷馬車で三日。魔石の出る土地でしてな」
その方は眼鏡を下ろした。
「ただ、意味は分かりません。私は形しか存じません」
わたしは、その一行を見た。日付だけが、こちらの数字で書いてある。母が死んだ年だ。
エルツ。
母の口から、その名を一度も聞いたことがない。
二日目にして四十七日の計画が崩れかけましたが、崩れたのは計画ではなく「一人で全部やる」という前提のほうでした。名前の欄を二つに割ったところがこの話の芯です。保証を一人に紐づけると、その一人が消えた日に全部消える——二十年前に母がやられたのは、まさにそれでした。
王宮の門前で始まった帳面が、少しずつ工房の形を変えていきます。ちなみにセリアの調律棒は三本目がそろそろ限界です。四本目の代金は、皆さまのブックマークと☆で賄われております。
次回、王宮の結界十二基のうち第七基へ。足場が要ります。足場代を含めて千二百ルグの見積りです。




