第30話:王宮の魔道具保証は、本日で終了です
朝の門前には、人が集まっていた。寮の職人が十数人。書記官。新しい寮長代理。それから、なぜか野次馬が三十人ほど。号外のせいだと思う。
わたしは荷馬車から修理台を下ろした。ヨナスさんとハンネスさんが工具箱を運び、ニナさんが台帳を抱えている。
「ノルデン嬢。お返事を伺いたい」
寮長代理が、そう仰った。
「復職は、お請けいたしかねます」
「理由を」
「王宮の台帳に署名を戻していただくと、また消せるからです」
わたしは、はっきり言った。
「二十年前に一度、消えました。二か月前にもう一度、消えました。三度目が無いとは、どなたにも約束できません」
寮長代理は、何か言いかけて、やめた。
「ですので、こういたします」
わたしは修理台を門の脇に据えて、台帳を開いた。新しい一冊。白い表紙に、ノルデン工房 保証台帳(二)と書いてある。
「王宮の四百七十二点を、当工房の依頼としてお預かりします」
寮長代理が、目を見開いた。
「依頼、とは」
「町の鍋と同じ扱いです。一点ずつ持ち込んでいただき、見て、直して、お代をいただき、この帳面に書きます。保証は当工房が負います」
「四百七十二点をですか」
「はい。一日十点で、四十七日かかります。それより早くはできません」
書記官が、慌てて何か書き始めた。
「お代は、一点あたり見積りのうえで。安いものは三ルグ、結界は足場代を含めて千二百ルグほどになるかと」
「……王宮が、町の工房に修理を頼むのですか」
「はい」
わたしは頷いた。
「王宮の魔道具保証は、本日で終了です」
二か月前と、同じ言葉だった。あの日、わたしはそれを大広間で言った。言ったあと、行き先が無かった。今日は、修理台が目の前にある。
「本日から、この四百七十二点は、ノルデン工房の保証になります」
誰も、すぐには動かなかった。最初に動いたのは、寮の若い職人だった。抱えていた灯りを一つ、修理台に置いた。
「あの、これ、東廊下の三本目です。二か月、誰も触れなくて」
わたしは受け取った。枠を開ける。座を見る。魔石は生きている。接点に緑青。当て板が薄い。
「直ります。二時ほど。三十四ルグです」
「三十四ルグ」
「高いでしょうか」
「……安いです」
わたしは掻いて、拭いて、当て板を替えた。
点けた。
光が点いた。
門前の三十人から、声が上がった。わたしは札を書いた。品名。症状。お代。日付。最後の欄に、名前を書いた。半分に切って、若い職人に渡した。
その人は札を両手で受け取って、しばらく見ていた。それから、外套の内側にしまった。折り曲げずに、平らなまま。
二点目が持ち込まれた。三点目が来た。四点目のとき、寮長代理がわたしの横に立った。
「ノルデン嬢。ひとつ、伺いたい」
「はい」
「この方式ですと、王宮は毎回、代金を払うことになります」
「はい」
「復職していただければ、給金だけで済みます」
「済みます」
「では、王宮にとっては損では」
「損です」
わたしは手を止めずに答えた。
「ただ、損なぶんだけ、消せなくなります」
寮長代理が、黙った。
「給金でお雇いになると、雇うのをやめれば署名が消えます。二か月前と同じです。依頼としてお受けすれば、消すには代金を返していただくことになります」
「……返させると」
「返していただかなくて結構です。返せない仕組みだから、消せない、という話です」
その方は、しばらく修理台を見ておられた。
「あなたの母上も、こういう理屈をこねられたのですか」
「母をご存知ですか」
「名前だけは。台帳の再点検で、二十年前の写しを見ました」
わたしは、手を止めた。
「写しには、母の名前はありません」
「ありませんでした。ですので、原本を出させました」
寮長代理は、少し疲れた顔で言った。
「原本には、斜線の下に読める字が残っております」
昼までに、十七点になった。列ができた。列の後ろに、寮の職人が並んでいた。途中で、荷馬車が一台入ってきた。箱が二十。あの新品の吊り灯だった。
降ろしてきたのは、ユリウス様だった。主任ではなくなったので、上着に飾りがついていない。荷を降ろす手つきが、慣れていなかった。
「……これも、頼めるか」
「お預かりします。二十台で、八日いただきます」
「代金は」
「侯爵家に請求書をお送りします」
ユリウス様は、少し笑った。笑ったのを、初めて見た気がした。
「請求書か」
「はい。お支払いいただかないと、札が切れませんので」
夕方になって、人がだいたい引けた。わたしは修理台の前に座って、その日の帳面を数えていた。三十一点。初日にしては多い。
顔を上げたら、門の脇に立っている人がいた。
アイゼン殿だった。
両手に、携行灯を持っておられる。
「……三十二点目でよろしいですか」
「頼む」
わたしは受け取って、開けた。どこも悪くなかった。
「異常が、ありません」
「そうか」
その方は、いつもの位置に立たれた。門前でも、立ち方は同じだった。
「二十ルグです」
硬貨が置かれた。
札を書いて、半分に切って、お渡しする。アイゼン殿は外套の内側にしまわれた。折り曲げずに、平らなまま。
しまってから、その手を戻さずに、こちらへ差し出された。手のひらの上に、小さなものが載っていた。
留め具だった。
工房で使う、いちばん細い型。三ルグもしない部品だ。
「……これは」
「工房の在庫が切れていた。昨日、隣町で買った」
「わざわざ、ですか」
「ついでだ」
ついでで隣町へ行く人はいない。わたしは留め具を受け取った。受け取ってから、こう言った。
「アイゼン殿。この留め具の分の札は、お切りできません」
「なぜだ」
「頂き物には、保証をつけられませんので」
その方は、しばらく黙っておられた。
「では、どうする」
「どうしましょう」
「……考えておく」
日が落ちて、門の灯りに火が入った。
二か月前に落ちた大広間の吊り灯は、まだ直っていない。あれは四百七十二点のうちの一点で、順番でいえば、だいぶ後ろの方だ。
わたしは荷を片付けて、荷馬車に修理台を積んだ。最後に、その日の帳面を閉じようとして、手を止めた。
母の九冊目に挟まっていた紙のことを、ふと思い出したからだ。工房に戻って、母の帳面を全部出した。十冊。一冊ずつ、最後の頁まで開いた。
十冊目の、いちばん最後。亡くなる三日前の「傘の柄の留め具。二ルグ」の、その次の頁。白紙だと思っていた頁の下の隅に、小さく一行あった。
母の字ではなかった。
署名だ。誰かの。
読めない文字だった。この国の文字ではない。
日付だけは読めた。
母が死んだ、その年。
第一部「魔道具修理工房編」、これにて完結です。ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございました。
「壊れたら買い直せばいい」と言われた日に台帳を閉じた人が、二か月後、王宮の四百七十二点を自分の工房の依頼として引き受けました。戻ったのではありません。立場が入れ替わっただけです。給金で雇えば、雇うのをやめた日に署名は消せる。依頼として受ければ、消すには代金を返さなければならない。——損なぶんだけ、消せなくなります。
留め具ひとつに、札は切れません。頂き物には保証をつけられませんので。あの「考えておく」の続きは、いずれ。
そして母の十冊目、最後の頁の隅に、読めない署名がひとつありました。この国の文字ではありません。日付だけが読めて、それは母が死んだ年でした。
もし、セリアたちの続きも見たいと思ってくださいましたら、ブックマークと☆で背中を押していただけますと——次の帳面の、一行目が書けます。
それでは、また、工房の作業灯の下で。




