第29話:納入資格の、剥奪
審査院の結論は、八日後に出た。クレーマー商会の王室納入資格を、剥奪する。理由は、粗悪品の納入ではなかった。
——納入検査の記録に、検査実施者の署名を欠く状態を二十年にわたり継続し、王室調達の記録要件を満たさなかったこと。
商会は罰金を科されなかった。刑事の処分もない。ただ、王室に納められなくなった。
その一点だけだ。
新聞屋が号外を刷って、通りで売っていた。買ってみたら、記事の半分は「元婚約者に捨てられた令嬢が王宮を止めた」という書き方をしていた。
わたしは何も止めていない。止まったのは、署名がなかったからだ。その日の午後、寮から使いが来た。
ユリウス様が、寮主任を解かれたという知らせだった。
「主任は、公示の実績報告に虚偽があったとして」
「虚偽ですか」
「五年ぶんの保守実績を、自身の名で公示なさいました。実施者の欄を削って」
削った、と使いは言った。わたしは、大広間で見た斜線のことを思い出した。消すのが好きな職場だったのだと思う。
「主任は、なにか仰いましたか」
「『実施者の欄は、もともと下書きにしか無い』と。……その下書きを書いたのが誰かを訊かれて、答えられませんでした」
答えられなかったのではなく、答えたくなかったのだと思う。答えれば、わたしの名前を言うことになる。使いが帰ったあと、ハンネスさんが呟いた。
「ノルデン嬢は、何もしておられません」
「はい」
「何もしていないのに、全部倒れていきますな」
「倒れているのではないと思います」
わたしは、修理台の札の紐を見た。
「支えていたものが、抜けただけです」
その日の午後、クレーマー商会から使いが来た。支配人ではなく、下働きの若い男だった。手紙を一通置いて、返事はいらないと言って帰った。
開くと、二行だけだった。——産地の窯を四つとも改める。今後の検査には、実施者の署名を入れる。——魔石の売り先は、王室以外に残っている。
署名は、オズヴァルト・クレーマー。わたしはその手紙を、修理台の隅の三通の隣に置いた。
仕入れを断ってきた三通には、名前がない。この一通には、ある。同じ人の指示で出た紙が、二か月で名前を持つようになった。
それだけが、この件でわたしが得たものだった。夕方、王宮から二人目の使いが来た。今度は、封蝋の押された書状だった。
工房の前の列に並んでいた人たちが、いっせいに静かになった。わたしは、その場で開いた。
——王宮魔道具寮 保証台帳 再作成につき、調律士としての復職を要請する。条件が書いてあった。
正規の調律士。位あり。給金は、いまの工房の売上の三倍。四百七十二点の再調律と、署名の入れ直し。期間はおよそ一年。そのあとに、一行あった。
——なお、貴殿の署名の抹消については、記録上の誤りとして取り消す。
誤り。
二か月前、あれは規則だった。目の前で羽根ペンが動いて、しゃ、しゃ、と音を立てて、四百七十二行に線が引かれた。いま、誤りになった。
列の人が、わたしの手元を見ていた。
「ノルデンさん、それ、王宮の」
「はい」
「戻れって話ですか」
「そのようです」
誰も何も言わなかった。言わないのが、いちばんこたえた。わたしは書状を畳んで、修理台に置いた。
「明日、お返事します」
「今日中に返せとは書いてないんですか」
「書いてあります」
書いてあった。本日中に、と。
「では、今日中にお返事します」
ニナさんが、わたしの手元を覗き込んだ。
「三倍って書いてある」
「書いてありますね」
「三倍だよ。うち、それだけあったら潰れないんだけど」
「潰れませんね」
わたしは書状をもう一度読んだ。給金は、いまの工房の売上の三倍。位あり。一年で四百七十二点。
条件としては、悪くない。悪くないどころか、二か月前のわたしなら飛びついている。飛びつかない理由を、うまく言葉にできなかった。
「お姉さん」
「はい」
「三倍もらったら、うちの店に金物入るようにしてくれる?」
「できません」
「だよね」
ニナさんは、あっさり言った。
「じゃあ意味ないじゃん」
その一言で、言葉になった。
王宮に戻れば、給金は三倍になる。三倍になっても、ハルト鉄具店の棚は空いたままだ。西通りの水路も、老夫婦の暖房具も、荷馬車の照明も、誰が見るのか分からなくなる。
三倍の給金は、わたし一人にしか効かない。わたしはペンを取って、白い紙を出した。書き始めて、三行でやめた。
三行では足りない。かといって、長く書けば言い訳になる。しばらく考えて、書き直した。
——お請けいたしかねます。理由は、明朝、王宮の門前にてご説明いたします。それだけ書いて、使いに渡した。
「明朝、というのは」
「持って参ります」
「何をです」
「台帳を」
その晩、工房は遅くまで灯りが点いていた。
ハンネスさんが四百七十二点の一覧を書き出して、ヨナスさんが工房の在庫と突き合わせて、ニナさんがなぜか横で数を読み上げていた。
わたしは、母の十冊を横に置いて、新しい帳面を一冊おろした。白い表紙に、いつもの言葉を書いた。——ノルデン工房 保証台帳(二)。
一行目は、まだ空けてある。
「お姉さん」
「はい」
「明日、何する気なの」
「請けます」
「請けないって書いたんでしょ」
「王宮の調律士としては、請けません」
わたしはペンを置いて、明日の分の道具を並べた。細と粗の調律棒。当て板。押さえ金。留め具。
「工房の客として、請けます」
剥奪の理由は、粗悪品を売ったことではありませんでした。——納入検査の記録に、検査実施者の署名を欠く状態を二十年にわたり継続し、王室調達の記録要件を満たさなかったこと。罰金なし、刑事の処分もなし。それだけです。
名前のなかった三通の隣に、名前のある一通が並びました。同じ人の指示で出た紙が、二か月で名前を持つようになった。この作品のざまぁは、たぶんこれで全部です。
給金三倍の復職要請には、ニナさんが一言で答えを出してくれました。「じゃあ意味ないじゃん」。
次回、第三十話「王宮の魔道具保証は、本日で終了です」。門前に、修理台を据えます。
ブックマークと☆をいただけますと、四百七十二点ぶんの当て板が、そのぶん早く揃います。




