第28話:受領札の束
立ち上がったのは、アイゼン殿だった。いつ入ってこられたのか、分からなかった。傍聴席のいちばん後ろに、外套のまま座っておられた。
「第二騎士団長、ヴィルヘルム・アイゼン」
審査官が、少し慌てて姿勢を正した。
「三年前の暴発について、当該隊の責任者として証言する」
会頭が、ゆっくり座り直した。
「暴発した携行灯の整備担当は、当時の隊の兵站係だ。名はエリク・ハウザー。暴発の三日前に点検を終え、記録に署名している」
アイゼン殿は、机の前へ歩いてきた。
「エリクは、暴発で死んだ四人のうちの一人だ」
「隊の記録には、誰が調律したかが書いてある。書いた者が死んでも、記録は残る。俺は三年、その記録を持っている」
その方は、外套の内側から紙束を出した。三年ぶんの点検記録だった。
「隊の側には、全部ある。無いのは、納入検査の側だけだ」
審査官が、記録を受け取った。わたしは、その紙束を見ていた。
厚みがある。指の腹くらいの——いや、それより厚い。あの隠しには、それだけ入っていた。アイゼン殿は、もう一度、外套の内側に手を入れた。
今度は、別のものを出された。紐で束ねた、小さな紙の束。
わたしの札だった。
「これも、記録だ」
その方は、机の上に置かれた。
「二か月ぶんある。三十一枚だ」
審査官が、いちばん上の一枚を取って読んだ。
「……携行灯。異常なし。二十ルグ」
次の一枚。
「携行灯。異常なし。五ルグ」
次。
「携行灯。異常なし」
審査官は、五枚ほど読んで、手を止めた。
「アイゼン団長。これは、修理の記録ですか」
「修理していない」
「では」
「壊れなかった記録だ」
わたしは、机の上の三十一枚を見ていた。
「三十一挺、二か月で持ち込んだ。うち十九挺は、どこも壊れていなかった。俺は壊れていないことを確かめるために持っていった」
傍聴席で、会頭が口を開いた。
「団長。それは、記録ではなく買い物の控えでは」
「代金を払った控えだ」
「魔道具の修理代の領収書が、納入検査の何を証明します」
「壊れていない、という判断に、名前が入っていることを証明する」
アイゼン殿は、札の一枚を持ち上げられた。
「この札には、見た者の名前がある。見た日がある。見て、どこも悪くないと判断した者が誰かが分かる」
その方は、会頭を見た。
「三年前、俺の隊の魔石を『問題なし』と判断した者の名前は、どこにも無い」
会頭は、何も言わなかった。
「壊れなかった記録に名前が要るなら、壊れたものの記録にも要る。それだけの話だ」
アイゼン殿は、そこで一度、言葉を切られた。
「三年前は、それをしなかった」
誰も何も言わなかった。
「壊れてから直す仕組みでは、七人は戻らない。壊れる前に見る仕組みには、金がかかる。一挺二十ルグだ。三十一挺で六百十ルグ」
その方は、審査官を見た。
「安いか、高いか、審査院で決めてほしい」
審査は、そのあと半刻ほどで終わった。結論は後日、と告げられた。人が出ていって、部屋に残ったのはわたしとアイゼン殿だけになった。
わたしは、机の上の三十一枚を集めていた。集めながら、手が止まった。
「アイゼン殿」
「なんだ」
「十九挺は、壊れていなかったのですね」
「ああ」
「では、なぜお持ちになったのですか」
訊いてしまった。
二か月、訊けなかったことを、こんな場所で訊いてしまった。アイゼン殿は、しばらく黙っておられた。それから、こう仰った。
「壊れたものしか持っていけない決まりだと、四十挺で終わる」
わたしは、顔を上げた。
「四十挺、いつか無くなる。無くなったら、行く理由が無くなる」
その方は、外套の内側を軽く叩かれた。
「点検なら、何度でも行ける」
わたしは、札の束を持ったまま、動けなかった。
「……アイゼン殿」
「言うつもりはなかった」
その方は、正面を向いたまま仰った。
「工房が回り始めた。列ができた。俺が毎日行けば、その時間、他の客が入れん」
「三十件で締めておりますので」
「知っている。だから昨日まで言わなかった」
わたしは、束の紐をほどいた。三十一枚。全部そろっている。折れ目が、ひとつもない。
順番も、日付どおりに並んでいた。いちばん上が今日の分で、下へ行くほど古くなる。途中の一枚に、指が止まった。
二十四枚目——ニナさんの店に商会の書類が入った日の札だ。あの日、わたしは手が信用できないと言って、直せなかった。その札には、こう書いてある。
「携行灯。預かり。お代なし。翌日返却」
わたしが書いたものだ。書いたことを覚えている。書いてから、お代のない札を切るのは初めてだと思ったことも覚えている。
この方は、お代のない札まで取ってあった。
「アイゼン殿。この一枚は、お代をいただいておりません」
「預かってもらった記録だ」
「記録にはなりません。何もしておりませんので」
「……預かってもらった」
その方は、同じことをもう一度言われた。言い方が、少しだけ違った。
「これ、一枚も折っておられません」
「札だからな」
「二か月、平らに持ち歩かれたのですか」
「そうだ」
わたしは、いちばん下の一枚を見た。最初の日の、二十六ルグ。
あの日、保証の欄に自分の名前を書くのに、ずいぶん時間がかかった。書けば責任が来る。責任は、前の日にわたしを王宮から追い出したものだった。
書いた。
書いた札を、この方は二か月、折らずに持っていた。
「アイゼン殿」
「なんだ」
「明日も、点検にいらしてください」
わたしは、札の束を差し出した。
「四十挺では足りません。隊の魔石も、暖房も、湯沸かしもございます。全部見ますと、年に二度でも足りません」
アイゼン殿が、こちらを見た。
「……何度でも来ていいのか」
「来ていただかないと、困ります」
「困るのか」
「困ります」
わたしは、はっきり言った。その方の口元が、動いた。二か月見てきて、初めて見る動き方だった。
「壊れたものしか持っていけない決まりだと、四十挺で終わる」。
第十二話でニナさんが気づき、第二十一話でハンネスさんが察して、第二十八話でようやく本人が訊きました。長らくお待たせしました。三十一枚、折れ目ひとつなく、日付の順に。お代のない一枚まで取ってあります。
「壊れなかった記録だ」——第十三話であの人が値上げを要求した理由が、ここでようやく書類になって効きます。点検料二十ルグが安いか高いかは、審査院ではなく読者のみなさまに決めていただければ。
次回、審査院の結論が出ます。
ブックマークと☆をいただけましたら、点検料として、ありがたく受領札をお切りします。折らずに、平らなままお持ちください。




