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「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第4章 公開調律

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第22話:うちは、看板を下ろさない

 ハルト鉄具店の棚が、目に見えて減っていった。十日で、金物の棚が三分の一空いた。二十日で、半分になった。


 ご主人は毎朝、店の前を掃いておられた。掃く場所は減っていないのに、掃く時間は長くなっていた。わたしにできることは、なかった。


 できることがないので、代わりに毎日、店の前を通るときに挨拶をした。それだけだ。二十二日目の朝、商会の人が三人で来た。


 わたしは工房の窓から見ていた。ニナさんが店の奥から出てきて、ご主人の隣に立った。紙が差し出された。ご主人が受け取って、読んだ。


 それから、破いた。


 三人が何か言った。ご主人が首を横に振った。三人が、もう一度何か言った。そのとき、ニナさんが前に出た。距離があるので、声は聞こえなかった。


 ただ、ニナさんが腕を組んで、片眉を上げたのが見えた。それから、口が動いた。短い言葉だった。三音か、四音。三人は帰っていった。


 昼過ぎ、わたしは店の前へ行った。ご主人が、看板を見上げておられた。


「ノルデンさん」

「はい」

「これ、傾いとりませんか」


 見ると、たしかに右に傾いていた。留め具が腐食している。金物屋の看板が金物で傷んでいるのは、少し可笑しかった。


「直せます。魔道具ではありませんが」

「直してもらえますか」

「お代はいただきません」

「取ってください」

「では、留め具の実費だけ」


 脚立を出して、看板を下ろした。留め具は四つとも駄目になっていた。裏側に、古い留め具の跡がある。前に一度、打ち直してある。


「これ、いつ打ち直されましたか」

「十二年前ですわ」

「どなたが」

「ノルデンさんの、お母さんです」


 わたしは手を止めた。


「母が」

「開店したときにね、看板が傾いとったんです。そしたら、隣の工房のご主人が——お母さんですけど——脚立担いで来て、勝手に直してしまわれた」

「勝手に、ですか」

「勝手に。お代も取らんと。『傾いた看板は、店が傾いて見えるから』言うて」


 ご主人は笑った。


「うちの家内が、そのとき妊娠しとりましてね。生まれたのがニナです」


 わたしは古い留め具を外して、手のひらに載せた。四つとも、同じ型だった。工房の二十九番目の箱にあるのと同じ。母の在庫と、同じ型。


「ご主人。この留め具は」

「お母さんが打ったやつですわ」

「十二年、もっておりますね」

「金物屋の看板が十二年もたんかったら、恥ですやろ」


 わたしは笑った。声を出して笑ったのは、久しぶりだった。新しい留め具を四つ打った。水平を見て、少し右を上げて、もう一度見た。


「終わりました」

「ええ看板になりましたわ」


 ご主人は、しばらく看板を見上げておられた。


「ノルデンさん」

「はい」

「うちは、たぶん、あと二月です」


 わたしは何も言えなかった。


「金物が入らんのですわ。他所から引こう思うたら、値が倍になる。倍の値で売ったら、誰も買わん」

「……申し訳ありません」

「謝らんでください」


 ご主人は首を振られた。


「あの秤の話を聞いてから、うちは値札を全部書き直しました。正しい重さで。売上は落ちましたわ」


 わたしは、ニナさんが言っていたことを思い出した。


「そのぶん、常連が増えた。前は月に八十軒やったのが、いま百二十軒来ます」


 ご主人は、指を四本立てた。


「百二十軒のうち、四十軒はよそから移ってきたお客です。『ハルトの秤は正しい』言うて」


 その方は、看板を指した。


「うちが潰れるとしたら、それは仕入れが止まったからです。値札を直したからやない」


 わたしは頷いた。


「だから、看板は下ろしません。潰れる日まで、傾いてない看板を掛けときます」


 その言い方が、ニナさんとよく似ていた。工房に戻ったら、ニナさんが修理台に座っていた。


「見てたでしょ」

「見ておりました」

「あの三人に何て言ったか、聞きたい?」

「聞きたいです」


 ニナさんは、腕を組んで、片眉を上げた。


「『うちは、看板を下ろさないから』」


 わたしはしばらく黙って、それから言った。


「よい台詞です」

「でしょ。三日考えた」

「三日」

「言う日が来るって思ってたから」


 ニナさんは、修理台の隅の帳面を見た。母の十冊が、そこに積んである。


「それ、おばさんの?」

「はい。十年ぶんの、四千件です」

「四千」


 ニナさんは一冊を手に取って、めくった。


「鍋。三ルグ。……安すぎない?」

「安すぎます」

「なんでこんな安いの」

「たぶん、払える額にしたのだと思います」


 ニナさんは、頁をめくる手を止めた。


「ハルト鉄具店って書いてある」

「四十七回、出てまいります」

「四十七」

「開店祝いの看板が、いちばん最初です。お代は『なし』でした」


 ニナさんは、その行をじっと見ていた。


「……わたし、生まれてない」

「その年に、お生まれになったそうです」

「父さんが言ってたの?」

「はい。看板を直しているときに」


 ニナさんは帳面を閉じて、両手で持ったまま、しばらく黙っていた。それから、こう言った。


「うちの店って、最初から傾いてたんだ」

「傾いていたのは看板だけです」

「同じでしょ」

「違います」


 わたしは、いつもの答えを返した。ニナさんは、笑った。ニナさんは、そのまま何頁かめくって、それから急に手を止めた。


「お姉さん。これ」


 差し出された頁を、わたしは覗き込んだ。九冊目の、後ろの方。挟まっていたのは、折りたたんだ紙だった。倉の箱の底にあったものと、同じ書式の。


 二枚目の異議申立書だった。

 「うちは、看板を下ろさないから」。三音か四音に見えた口の動きの正体が、これでした。三日考えたそうです。

 その看板の留め具を十二年前に打ったのは、母親でした。お代も取らず、「傾いた看板は、店が傾いて見えるから」と言って、勝手に。その年に生まれた子が、いま同じ台詞を言っています。血ではなく、留め具の型でつながっている話が書きたかった。

 次回、九冊目に挟まっていた二枚目を読みます。九年後に、母はおなじ書式でもう一度書いていました。

 ブックマークと☆は、留め具四つぶんの実費に充てさせていただきます。

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