第21話:並ぶ客、傾く商会
広場の三日後から、工房の前に列ができた。朝、戸を開けたら十二人並んでいた。昼にはそれが二十人になって、夕方に締めても四人残った。
三人でも回らなかった。
ハンネスさんが受付に立って、品名と症状を書き取る。ヨナスさんが魔石の見分けと軽症の品を担当する。わたしが重い品と、無署名の品を見る。
それでも、一日三十件が限界だった。
「ノルデン嬢。断る品を決めましょう」
三日目の夜、ハンネスさんがそう仰った。
「断りますか」
「断らないと、明日には四十件来ます。四十件を三人でやると、一件あたりの手が荒くなる。荒くなった品が半年後に壊れると、札にはノルデン嬢の名前が入っております」
そのとおりだった。
わたしは翌朝から、受付を三十件で締めることにした。締めたあとに来た方には、明日の札を渡す。
その札には、番号と日付だけを書いた。品名も症状も、まだ書けない。
「これは保証の札ではありません。順番の札です」と、一人ずつに言った。
言わないと、混ざる。順番の札と保証の札が混ざると、あとで「あのとき札をもらった」という話になって、誰が何を直したのか分からなくなる。
ハンネスさんが、紙の色を変えようと言い出した。順番の札を、少し厚い茶色の紙にした。保証の札は、これまでどおりの白。
「色で分ければ、間違えません」
「寮でも、そうしておられましたか」
「いえ。寮では、色が一種類でした」
その方は、少し笑われた。
「二十年、誰も分けようと言わなかった」
断るのは、思っていたよりつらかった。
「三十一人目の方が、いちばん困っておられるかもしれません」
「かもしれません」ハンネスさんは頷いた。「ですが、三十件を丁寧にやる方が、四十件を雑にやるより多くの人が助かります」
「……はい」
「これは、寮で覚えたことです。寮で唯一、覚えてよかったことです」
その日の午後、ニナさんが来た。珍しく、静かだった。修理台の端に座って、足もぶらぶらさせない。
「うちに、商会の人が来た」
「支配人ですか」
「ううん。もっと下の人。三人で来て、父さんに書類出してた」
わたしは手を止めた。
「書類」
「読ませてもらえなかった。父さんが、すぐ畳んだから」
ニナさんは、修理台の木目を指でなぞった。
「でも、一行だけ見えた。『取引の停止』って書いてあった」
わたしは工具を置いた。
「ニナさん。お父様は、なんと」
「何も。三人が帰ったあと、店の裏でずっと立ってた」
ハルト鉄具店は、金物の八割をクレーマー商会から仕入れている。止められれば、月内に棚が空く。
「わたしが伺います」
「来ないで」
ニナさんは、すぐにそう言った。
「お姉さんが来たら、父さんが余計に意地張る」
「ですが」
「それに、来られても困る。お姉さん、金物の仕入れ先なんて持ってないでしょ」
そのとおりだった。
わたしにできるのは、魔石を見分けることと、壊れた品を直すことだけだ。金物の卸をどうにかする力はない。
「……何もできません」
「知ってる」
ニナさんは立ち上がった。
「言いに来ただけ。お姉さんが知らないうちに店が消えてたら、そっちのが嫌だから」
戸口まで歩いて、振り返った。
「あのさ。お姉さんが貼り紙やめたら、うち、元に戻ると思う?」
「戻るかもしれません」
「やめないでしょ」
「やめません」
「だよね」
ニナさんは、笑った。笑ってから、少し泣きそうな顔をして、それを見せないように出ていった。その晩、アイゼン殿が来られた。二十四挺目だ。
わたしは手が動かなかった。枠を開けて、そのまま止まっていた。
「……どうした」
「申し訳ありません」
わたしは調律棒を置いた。
「今日は、手が信用できません」
言ってから、こんなことを客に言うものではないと思った。思ったけれど、言ってしまった。アイゼン殿は、しばらく黙っておられた。
「明日でいい」
「いえ、直します」
「明日でいい」
その方は、携行灯を修理台に置いたままにされた。
「預けていく。急がん」
「……はい」
「ノルデン嬢」
「はい」
アイゼン殿は、外套の内側に手を入れた。いつも札をしまう、あの隠しだ。入れて、少し止まって、それから何も出さずに手を下ろされた。
「……いや」
「アイゼン殿?」
「今日ではない」
そう仰って、帰っていかれた。わたしは、預かった携行灯を修理台の真ん中に置いた。置いたまま、しばらく座っていた。
ハンネスさんが奥から出てきて、茶を淹れてくださった。
「ノルデン嬢。あの方は、いつからです」
「工房を開けた次の日からです」
「毎日ですか」
「雨の日と、公示の日と、隣町へ行った二日を除いて、毎日です」
「……数えておられるのですな」
わたしは茶碗を持ったまま、答えられなかった。
数えていた。
三十一日ぶん、数えていた。
「ハンネスさん。おかしいでしょうか」
「何がです」
「客の来た日を数えるのは、帳面をつけていれば当たり前です。ですが、来なかった日を覚えているのは、帳面の仕事ではありません」
ハンネスさんは、茶を一口飲まれた。
「ノルデン嬢。私は五十四で、独り身です」
「はい」
「ですので、こういう話に助言できる立場ではありません」
「はい」
「そのうえで申し上げますが」
その方は、茶碗を置かれた。
「あの方は、三年前に七人を喪っております」
わたしは顔を上げた。
「ご存知だったのですか」
「寮におりましたので。北の街道の件は、寮でも噂になりました。魔石の暴発ですから」
ハンネスさんは、修理台の上の携行灯を見た。アイゼン殿が置いていかれた、二十四挺目。
「壊れていない灯りを毎日持ってくる人が、何を確かめに来ているか。……私には、想像がつきます」
わたしは、その言葉を受け取った。受け取ったけれど、想像はつかなかった。
「三十件を丁寧にやるほうが、四十件を雑にやるより多くの人が助かります。……これは、寮で唯一、覚えてよかったことです」。二十年勤めて、覚えてよかったことが一つ。ハンネスさんはそういう人です。順番の札を茶色い紙にしたのも、この方の発案でした。寮では二十年、誰も色を分けようと言わなかったそうです。
数えていたのは、客の来た日ではなく、来なかった日でした。三十一日ぶん。
次回、ハルト鉄具店の看板が、右に傾いています。




