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「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第4章 公開調律

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第20話:消せない署名

 工房に戻って五日、わたしは考えていた。母の異議申立書は、途中で消えている。誰が検査したのかを書く直前で、母は自分の手で線を引いた。


 書けなかったのではない。書かなかったのだ。書かなかった理由を、わたしはまだ知らない。


 ただ、二十年経ったいまも、同じ罅の入った石が市場に並んでいる。母が止めようとして止めなかったものが、そのまま続いている。


 わたしにできることは、たぶん、告発ではない。告発は、一度失敗している。できるのは、見分け方を配ることだった。


「広場でやります」


 朝、ヨナスさんとニナさんにそう言った。


「何をですか」

「調律を、人前で」


 ヨナスさんが、露骨に嫌そうな顔をした。


「見世物にするのですか」

「見世物にします」


 わたしは説明した。


 王都の広場は、十日に一度、市が立つ。人が集まる。そこに修理台を出して、持ち込まれた品をその場で直す。無料で。ただし、条件をつける。


 署名のない品だけを受ける。


「無署名の品は、寮の職人が触れません。触ると責任が移りますので。町の職人も、王宮の品には手を出せません」

「では、なぜノルデン嬢は」

「わたしは、責任を引き受けます。札を書きますので」


 ニナさんが口を挟んだ。


「それ、危なくない? 壊れたら全部お姉さんのせいでしょ」

「はい」

「じゃあやめときなよ」

「壊れないように直しますので」


 ニナさんは、頭を抱えた。市の日、広場の隅に修理台を出した。


 ヨナスさんが看板を立てた。「無署名の品、直します。お代はいただきません。札を書きます」。最初の四半刻は、誰も来なかった。


 半刻を過ぎた頃、老人が一人、鍋を持ってきた。


「これ、魔道具やないけど」

「直します」


 留め金を替えて、二十を数えるうちに終わった。札を書いて、お渡しした。その様子を、十人ほどが遠巻きに見ていた。


 二人目は、湯沸かしを台車で運んできた女の人だった。座が沈んでいたので、敷板を挟んだ。三人目は、子供の玩具。魔石の入れ方が逆だっただけで、直すというより教えるだけで終わった。子供が持ち帰るときに礼を言って、ニナさんが「ちゃんと言えたね」と褒めていた。


 四人目のとき、人だかりの数が三十を超えた。わたしは手を動かしながら、声を出して説明することにした。


「いま開けているのは、座です。ここに魔石が載ります。座が沈むと、魔石が接点に押しつけられて、熱が籠もります」


 誰も質問しなかったけれど、みんな聞いていた。


「熱が籠もると煤が出ます。煤が出ると通りが悪くなって、通りが悪くなると余計に熱くなります。ですので、煤を拭くのは掃除ではなくて、修理です」


 人だかりの後ろから、声が飛んだ。


「そんなん教えたら、あんたの仕事が減るやろ」


 笑いが起きた。


「減りません」


 わたしも答えた。


「拭いても、座は沈みます。沈んだ座は、素人には直せません。そこから先が、わたしの仕事です」


 また笑いが起きた。さっきより大きかった。六人目に持ち込まれたのは、灯りだった。王宮の紋が、枠に入っていた。


 持ってきたのは、寮の下働きの若者だった。顔を伏せている。


「これは、王宮の品ですね」

「……廃棄に回された分です。もう帳簿から落ちておりますので、拾っても叱られません」

「無署名ですか」

「はい。誰も触れなくて、そのまま」


 わたしは受け取って、修理台に置いた。人だかりの前列が、半歩詰めた。


 枠を開ける。座を見る。魔石は生きている。接点に、うっすら緑青が出ていた。掻いて、拭いて、当て板を一枚入れる。


 その手を止めて、わたしは顔を上げた。


「みなさん。ここを見ていてください」


 わたしは座の縁を指した。


「調律をすると、座の縁に痕が残ります。棒の当て方が人によって違いますので、痕の形も違います。わたしの痕は、少し右に流れます」


 人だかりが、修理台に寄ってきた。


「この灯りの座には、前の痕が残っております」


 わたしは古い痕を指した。


「右に流れております」


 しばらく、誰も何も言わなかった。


「これは、わたしが四年前に調律したものです」


 台帳から、わたしの署名は消えている。消えているけれど、この金属には、まだ残っている。


「署名は紙の上のものです。紙は、消せます」


 わたしは当て板を入れて、蓋を閉じた。


「けれど、誰が直したかは、品の方が覚えております」


 点けた。


 光が点いた。


 人だかりから、声が上がった。声というより、息の音がいっせいに出たような音だった。わたしは札を書いて、若者に渡した。


 保証の欄に、セリア・ノルデンと書いた。その日、無署名の品が十一点来た。十一点とも直した。十一枚の札を書いた。


 夕方、片付けているところへ、人だかりの奥から男が一人出てきた。仕立てのよい上着。クレーマー商会の支配人だった。


「ノルデン嬢。会頭からの言伝です」

「伺います」

「『たいへん結構な見世物でした。ただ、痕が残るのは調律の話であって、魔石の話ではありませんな』と」


 わたしは頷いた。


「そのとおりだとお伝えください」

「……そのとおり、ですか」

「はい。ただ、もう一言お伝えください」


 わたしは修理台を畳みながら言った。


「『魔石の検査にも、検査した人の名前を書く欄があります』と」


 支配人の顔から、表情が抜けた。その晩、工房に戻ると、戸口にハンネスさんが立っておられた。帽子を手に持って、荷物を足元に置いて。


「ノルデン嬢。今日、広場におりました」

「お見かけしませんでした」

「後ろの方でしたので」


 その方は、荷物を持ち上げた。


「寮を、辞めて参りました」

 「署名は紙の上のものです。紙は、消せます。——けれど、誰が直したかは、品のほうが覚えております」。

 この作品を思いついた瞬間に、この場面だけは先に決まっていました。台帳の署名は消せる。金属に残った棒の痕は消せない。右に流れる癖まで込みで、四年前の自分が証人になります。

 「そんなん教えたら、あんたの仕事が減るやろ」に笑いが起きるところ、広場の空気がいちばん良かったと思います。

 次回、工房の前に列ができます。朝、戸を開けたら十二人。

 ブックマークと☆をいただけますと、広場に出した修理台の脚が、一本ぶん丈夫になります。

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