表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「壊れたら買い直せばいい」と婚約破棄されましたので、王宮の魔道具保証は本日で終了です 〜修理工房を開いたら、無口な騎士団長が毎日壊れた品を持ってきます〜  作者: 灯野このは
第1章 保証の終わり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/30

第2話:十年ぶりの工房

 鍵は、まだ回った。


 母が亡くなってから十年、誰も触っていない扉だ。蝶番が悲鳴のような音を立てて、埃の匂いが押し出されてくる。わたしは咳き込みながら中に入った。


 修理台。工具棚。壁一面の部品箱。天井から下がった作業灯。どれも記憶のままの場所にあって、記憶のままの場所で錆びていた。


 作業灯の紐を引いてみる。反応がない。魔石が切れているのだから当然だった。


 鞄から細の調律棒を出して、灯りの根本の接点を掻いた。黒い粉が落ちる。ついでに手持ちの予備魔石をはめてみたら、じ、と小さな音がして、橙色の光が点いた。


 埃の粒が、光の中を漂っていた。


「うわ、十年ぶんの埃」


 振り返ると、戸口に女の子が立っていた。十四か十五くらい。腕を組んで、片方の眉を上げている。


「……どちらさまでしょう」

「隣。ハルト鉄具店の娘」


 顎で隣を指し示された。そういえば、記憶の中でも隣は金物屋だった。


「ニナ。で、お姉さんは?」

「セリアと申します。ここは、母の——」

「ノルデンさんとこの娘さんでしょ。知ってる」


 ニナさんは勝手に上がり込んで、修理台の埃をひと撫でした。それから指先を見て、顔をしかめた。


「お姉さん、王宮からクビになった人でしょ」


 わたしは手を止めた。


「どうして」

「昼過ぎからみんな噂してる。侯爵家のぼんぼんが婚約破棄したって。うち、御用聞きが早いの」


 王宮を出てから、まだ半日も経っていない。


「そうですか」

「そうですか、って」ニナさんは呆れたような声を出した。「泣いたりしないんだ」

「泣くと、手元が見えなくなりますので」


 ニナさんは何か言いかけて、やめた。それから思い出したように、抱えていた布包みを修理台にどん、と置いた。


「うちの秤。壊れてる」


 布を開くと、吊り下げ式の秤が出てきた。皿と、目盛り盤と、根本に小さな魔石がひとつ。町の店で使う、いちばんありふれた型だ。


「どう壊れていますか」

「重く出る。二十匁ぶんくらい」

「いつからでしょう」

「半年前くらい……かな。父さんは気にすんなって言うんだけど」


 わたしは秤を持ち上げて、目盛り盤の裏を覗いた。二十匁。多すぎず、少なすぎない。客が気づかない程度に、店が損をし続ける量だ。


「毎日、何回くらい使われますか」

「知らない。三十回とか、四十回とか」


 わたしは頭の中で数字を並べた。四十回。半年。二十匁。


「……三十七貫ほど、余分に渡しておられます」

「え」

「半年で、です。売値に直すといくらになるかは、そちらの方がお詳しいかと」


 ニナさんの腕組みが、ゆっくりほどけた。


「うそ」

「秤は、静かに壊れるんです。動かなくなれば誰でも気づきますけれど、ずれるだけのものは、誰も気づきません」


 わたしは魔石の座を調律棒の先で軽く叩いた。澱みではない。座の受け金が歪んでいる。魔石が正しい位置より、わずかに沈んでいる。


「直せます」

「ほんとに?」

「ただ、部品がありません。受け金が歪んでいますので、同じ寸法のものと替える必要があります」


 わたしは壁の部品箱を見上げた。母が並べた箱が、上から下まで四十いくつ。中身の一覧は、たしか母の帳面にあったはずだけれど、その帳面がどこにあるのかは分からない。


「探してみます。何日か、お預かりしても」

「——で、いくら?」


 ニナさんは即座にそう訊いた。腕を組み直して、値踏みするような目をしている。金物屋の娘だった。


「直ってからで結構です」

「そういうの、いちばん高くつくやつじゃないの」

「では、部品代の実費と、手間賃を八十ルグで。直らなければ、いただきません」


 ニナさんは八十ルグ、と口の中で繰り返して、それから鼻を鳴らした。


「ふうん。まあ、いいけど」

「高いでしょうか」

「安い。だから訊いてんの」


 ニナさんは修理台に肘をついて、こちらを見上げた。


「お姉さん、王宮でいくらもらってたの」

「……部品代は、寮の予算から出ておりました」

「手間賃は?」

「調律士の務め、ということになっておりましたので」

「それ、ただ働きって言うんだけど」


 わたしは秤の目盛り盤を布で拭いた。埃が取れて、目盛りの線が出てきた。


「そういう言い方も、あるかもしれません」

「ある。ていうか、それしかない」


 言い方は乱暴だったけれど、出ていく前に、戸口で一度だけ振り返った。


「掃除、手伝おうか」

「いえ、大丈夫です」

「そう」


 戸が閉まって、すぐにまた開いた。


「うちの父さんには、まだ言わないで。秤の話」

「かしこまりました」

「……別に。驚かせたいだけだから」


 今度こそ、戸が閉まった。わたしは秤を修理台の真ん中に置いた。台の上に物が一つ載っただけで、部屋の意味が変わったような気がした。


 昨日まで、ここはただの空き家だった。物が一つ載ると、店になる。それから日が暮れるまで、部品箱を上から順に開けた。


 一番の箱は留め金。二番は蝶番。三番から七番までが接点の部品で、番号が進むにつれて細かくなっていく。十二番の箱を開けたところで、並びの規則が分かった。使う頻度の高いものが低い段にある。母は背が高くなかった。


 二十九番目の箱に、受け金が六種類入っていた。そのうち二つが、たぶん合う。母の字で「小 秤用」と書いた紙が、箱の底に貼ってあった。


 わたしはその紙をしばらく見ていた。


 母は、王宮の首席調律士だった。わたしが物心つく前に王宮を辞めて、この工房で町の品を直すようになった。理由を訊いたことはない。訊いても「そういうこともあるのよ」としか言わない人だった。


 十二のとき、母がこの修理台で誰かの湯沸かしを開けているのを、隣で見ていたことがある。手元を覗き込んだら、母は蓋を少しこちらへ傾けて見せてくれた。


 ——セリア。これ、どこが悪いと思う。


 ——わかんない。


 ——分からないときはね、動くところを全部押さえて、残ったところを見るの。その言い方が、なぜか十年経っても残っている。


 箱の紙を元に戻して、引き出しを閉じた。日が落ちてから、鞄の中身を修理台に並べた。


 調律棒が二本。替えの魔石が三つ。布と油。それから、この五年で残った給金が、四百二十ルグ。紙に書き出してみた。


 家賃はいらない。ここは母の名義のままで、借地料が年に一度だけ出ていく。次の支払いは春だから、当面は考えなくていい。食べるものと、灯りの魔石と、部品。


 部品が、いちばん重かった。母の在庫はあるけれど、四十いくつの箱の中身がいつまで持つかは分からない。仕入れを起こすには金が要る。金を作るには直さなければならない。直すには部品が要る。


 わたしは書いた紙を折って、抽斗に入れた。


 四十日。


 何もしなければ、それくらいで底が見える計算だった。


 悲観する数字ではない。四十日ぶんの余裕があるということでもある。母なら、動くところを全部押さえて、残ったところを見ろと言うだろう。動くところは押さえた。残ったのは、店を開けることだけだった。


 夜になって、作業灯の下で秤を分解し始めた頃、扉を叩く音がした。こんな時間に部品箱の話をしに来る人はいない。ニナさんが忘れ物をしたのだろうか。


「はい、どうぞ」


 返事はなかった。


 もう一度、叩かれた。同じ強さで、二回。

 「うわ、十年ぶんの埃」。ニナさん、初登場でいきなり主人公の生活を値踏みしてきます。まず値段を訊く子です。

 部品箱の並びに、母親の背丈が残っている——この一点だけは書きたくて書きました。使う頻度の高い箱ほど、低い段にある。それだけで、その人が背の高くない人だったと分かってしまう。

 次回、夜更けに扉を叩いた客は、代金を置いていきます。過不足なく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ