第16話:騎士団が、工房の前に立つ
朝、戸を開けたら、通りが塞がっていた。第二騎士団の隊列だった。
工房の前から、通りの角まで。二十人ほどが、二列で立っている。全員が黙って立っているので、余計に多く見えた。わたしは戸口で立ち止まった。
「……おはようございます」
誰も答えなかった。代わりに、列の先頭が一歩下がって道を空けた。その奥から、アイゼン殿が出てこられた。
「昨日、寮長が来たな」
「来られました」
「何を言われた」
「戻れと」
「他には」
わたしは少し迷った。
「母のように消えたくはないだろう、と」
アイゼン殿の顔は、ほとんど動かなかった。ただ、右手が一度、握られて開いた。
「今日から、二人置く」
「え」
「日中に二人、夜に二人。交代で工房の前に立たせる」
わたしは慌てた。
「困ります。客が入れません」
「……そうか」
アイゼン殿は少し考えて、隊の方を振り向かれた。
「離れろ。角と、裏の路地だ」
隊列が、二十人ぶんの音を立てずに動いた。三十を数えるうちに、通りは元どおりになった。角に二人だけ残っている。
「これでどうだ」
「……ありがとうございます」
「礼はいい」
角に残った二人は、若い隊士だった。わたしはお茶を持っていった。断られると思ったら、両手で受け取って、二人とも一気に飲んだ。
「お邪魔でしたら、離れます」
「邪魔ではありません。ただ、立ちっぱなしはお辛いでしょう」
「慣れております」
年上の方が、そう答えた。
「団長から、無理をするなと言われております。座ってよい、飯も食ってよいと」
「では、椅子をお出しします」
「いえ、それは」
結局、木箱を二つ出して置いた。二人は座らなかったけれど、茶碗を置く台にはしていた。
「あの、失礼ですが」
若い方が、遠慮がちに言った。
「ここの工房の方が、団長の携行灯を直しておられるのですか」
「はい」
「……そうですか」
二人は顔を見合わせた。
「何か」
「いえ。隊で、話が出ておりまして」
「どのような」
「団長が、毎晩どこかへ行かれる、と」
わたしはお盆を持ったまま、しばらく動けなかった。
「三年、あの方は隊舎から出られませんでした」
年上の方が、静かに言った。
「非番でも隊舎におられました。ずっとです。それが、二月ほど前から、毎晩お出かけになる」
わたしは何も言えなかった。
「いい傾向だと、みんなで話しております」
アイゼン殿は工房に入って、いつもの位置に立たれた。今日も携行灯を持っておられる。十六挺目だ。わたしは受け取って、開けた。
どこも悪くない。
「異常が、ありません」
「そうか」
「アイゼン殿」
「なんだ」
訊こうと思った。なぜ毎日来るのか。なぜ壊れていない灯りを持ってくるのか。訊こうとして、訊けなかった。
訊いてしまうと、来なくなるかもしれない、と思ったからだ。そう思った自分に、わたしは少し驚いた。
「……二十ルグです」
「ああ」
硬貨が置かれた。二十枚硬貨がひとつ。
札を書いて、半分に切って、お渡しする。アイゼン殿はそれを外套の内側にしまわれた。折り曲げずに、平らなまま。
しまう手つきを、今日はよく見ていた。内側の隠しに、紙の束が入っていた。厚みがある。指の腹くらいの厚みだ。
「アイゼン殿。それは」
「……なんだ」
「その隠しに入っているのは」
「札だ」
それだけ仰った。
わたしは訊くのをやめた。午前中の客は、いつもより少なかった。
角に騎士が二人立っている店に、気安く入ってくる人は多くない。三人来て、二人が入口で引き返した。昼前に、ニナさんが様子を見に来た。
「なんで騎士がいるの」
「昨日、寮長が来ましたので」
「それで騎士団呼んだの?」
「呼んでおりません。勝手に来られました」
ニナさんは、角の二人をしげしげと眺めた。
「あの人たち、お茶飲んでるけど」
「お出ししました」
「敵じゃないんだ」
「敵ではありません」
ニナさんは、腕を組んだ。
「お姉さんさ、自覚ある?」
「何のでしょう」
「王都の第二騎士団が、私設の見張りみたいになってる」
言われてみれば、そうだった。
「困りますね」
「困ってる顔じゃないよ」
昼過ぎ、隣町からヨナスさんが戻ってきた。荷を背負っている。思っていたより多い。
「買えました。当て板が二百、押さえ金が百五十、留め具が三百」
「よく売っていただけましたね」
「隣町の問屋は、クレーマー商会の卸ではありませんでした」
「そうでしたか」
「ただ」
ヨナスさんは荷を下ろして、額の汗を拭いた。
「隣町の問屋が、妙なことを言っておりました」
「なんでしょう」
「十年前まで、この工房と取引があったそうです」
「母の代ですね」
「はい。毎月、決まった量を。……それで、こう言われました。『セレスティアさんは、うちに預けたものを取りに来ないままだ』と」
わたしは、荷を数える手を止めた。
「預けたもの」
「木箱がひとつ、倉に残っているそうです。十年、そのままだと」
「中身は」
「開けていないので分からない、と。ただ、重くはないそうです」
紙の重さだ、と思った。
「ヨナスさん。明日、もう一度行っていただけますか」
「行きます。ただ」
ヨナスさんは、少し言いにくそうにした。
「引き取りには、遺族であることの証明が要るそうです。ノルデン嬢ご本人が行かれないと」
「では、二人で参ります。工房を二日閉めます」
言ってから、閉めるという言葉が喉に引っかかった。この工房は、十年閉まっていた。
二日閉めるくらい、何でもない。何でもないはずなのに、母が閉めたまま死んだ扉のことを考えると、鍵をかけるのがこわかった。
その晩、わたしは修理台の前で、母の白紙の帳面をもう一度開いた。いま、四十三行まで埋まっている。
母の十年ぶんの帳面は、隣町の倉にあるのかもしれない。あるとして、なぜ母はそれをここに置かなかったのだろう。
書いたものを、家に置いておけない理由が、母にはあったということだ。
「三年、あの方は隊舎から出られませんでした」。若い隊士のこの一行が、この回でいちばん書きたかったところです。本人が語らないことは、たいてい部下が喋ります。
外套の内側の隠しに、指の腹ほどの厚みの紙束。あれが何かは、あと一話で分かります。
次回、焦げた匂いのする携行灯が一挺。三年前のものだそうです。




