第14話:会頭が、工房に来た
その日は、朝から雨だった。雨の日は客が減る。減るぶん、溜まった品を片付ける。ヨナスさんと二人で修理台を分け合って、朝から十二件を回した。
ヨナスさんは仕事が速い。速いというより、迷わない。座を見て、接点を見て、駄目なら替える。判断に時間をかけないのは、判断の基準がはっきりしているからだ。
「ヨナスさん。寮では、どのくらい任されておられましたか」
「三年目でしたので、灯りの末端だけです。上流は触らせてもらえませんでした」
「触りたかったですか」
「……いえ。こわかったです」
わたしは笑いそうになった。
「わたしも、最初の二年はこわかったです」
「ノルデン嬢でも」
「上流を一つ間違えると、下の四十点が落ちますので」
昼過ぎ、雨が小降りになった頃、表に馬車が止まった。
黒塗りの、四頭立て。この通りに入ってくる大きさではない。車輪が石畳の溝に嵌まりかけて、御者が二度ほど声を上げた。
降りてきたのは、白髪の紳士だった。
六十くらい。仕立てのよい外套。傘は従者が差している。歩き方が、ゆっくりしていた。急がなくてよい人の歩き方だ。
「こちらが、ノルデン工房で」
声も、ゆっくりしていた。
「はい」
「オズヴァルト・クレーマーと申します」
ヨナスさんの手が止まったのが、視界の端で分かった。
わたしは椅子を出した。会頭は座らなかった。工房の中を、ひととおり見回された。部品箱の列。修理台。壁の貼り紙。貼り紙のところで、足が止まった。
長いこと読んでおられた。
「よく書けている」
やがて、そう仰った。
「五行だけで、素人が見分けられるようになる。うちの仕入れ担当に読ませたいくらいだ」
「……恐れ入ります」
「ノルデン嬢。うちの魔石を、悪くお書きにならなかったのはなぜです」
「悪い魔石ではありませんので」
会頭は、初めてこちらを正面から見られた。目が、笑っていなかった。笑っていないのに、口元だけが穏やかだった。
「では、なぜお書きになった」
「同じ袋に、当たりと外れが混ざっているからです」
「魔石は自然の物ですからな。粒に当たり外れがあるのは、避けようがない」
「はい。避けようがありません」
わたしは頷いた。
「ですので、混ざっていること自体は、どこの商会でも同じです」
会頭の口元が、わずかに動いた。
「ですが、外れの石だけ、刻印の位置が揃っております」
雨の音が、屋根の上でだけ鳴っていた。
「……ほう」
「下から三分の一のところに、同じ角度で。当たりの石は、位置がばらばらです」
「それが、何を意味するとお考えです」
「分かりません」
本当に、分からなかった。
「意味は分かりません。事実だけです。事実だけを貼り紙に書くつもりでしたが、刻印の位置は書きませんでした」
「なぜ」
「書くと、位置を変えられますので」
会頭は、しばらく黙っておられた。その沈黙のあいだに、わたしは自分が何を言ったのかを考え直していた。
刻印の位置が揃っている。それは事実だ。事実だけれど、事実には二通りの読み方がある。罅のある石を選り分けて後から刻印を押した、という読み方と、たまたま同じ職人が同じ日に押した、という読み方。
わたしは前者だと思っている。思っているだけで、証拠はない。
「クレーマー様。いまの話は、憶測を含みます」
付け足した。
「同じ日に、同じ職人が押しただけかもしれません。その場合は、わたしの見当違いです」
「……ご自分で崩されるのですか」
「崩れるものは、先に崩しておいた方が安全ですので」
会頭は、初めて声を出して笑われた。それから、笑いをおさめて、笑わずに言われた。
「同じ日に押した、という説は成り立ちません」
「なぜでしょう」
「うちの刻印は、産地の窯で押します。窯は四つあり、職人は十一人おります。同じ日に同じ職人が押した石が、王都の一軒の露店にだけ九個並ぶ確率は、まずない」
わたしは会頭を見た。教えてくださったのだ、と気づくのに、少し時間がかかった。
「……なぜ、それを」
「私の商いを、正確に読んでいただきたいのですよ」
会頭は、また肩だけで笑われた。
「ノルデン嬢。あなた、王宮では何をしておられた」
「調律士です」
「もったいない」
会頭は懐から紙を出して、修理台に置かれた。
「この工房を、買わせていただけませんか」
わたしは紙を見た。数字が書いてある。桁を二度数えた。
三万ルグ。
この工房で、一日百二十ルグ稼いで、二百五十日ぶん。
「うちの魔道具部門を、あなたに任せたい。給金は別に出します。工房はそのまま残して、看板も好きにお使いください」
「わたしは何をすればよろしいのですか」
「いまと同じことを。直して、札を書く。ただ、うちの名でやっていただく」
わたしは紙を見たまま、少し考えた。
「札の保証欄には、誰の名前が入りますか」
「……クレーマー商会、と」
「では、お断りします」
会頭の眉が、初めて動いた。
「理由を伺っても」
「商会は、人ではありませんので」
わたしは紙を折って、会頭の方へ押し戻した。
「壊れたときに、商会は謝りに来られません。来るのは、そのとき雇われている人です。三万ルグは、その仕組みを買う値段としては、安すぎます」
会頭は紙を受け取って、懐に戻された。帰りぎわ、戸口で一度だけ振り返られた。
「ノルデン嬢。壊れぬ品を売って、商いが続くとお思いですか」
「続かないでしょうね」
「では、私は間違っておりますか」
「間違っておられません」
わたしは正直に答えた。
「ただ、続かない商いを続けようとすると、どこかで人が死にます」
会頭は何も言わずに出ていかれた。馬車が坂を下りていく音が、しばらく聞こえていた。ヨナスさんが、奥から出てきた。顔が白かった。
「……三万ルグを、断られました」
「はい」
「三万あれば、この工房は十年もちます」
「もちますね」
わたしは修理台を拭いた。会頭が置いた紙の跡が、うっすら残っている気がした。
「ヨナスさん。もし受けていたら、明日から札の保証欄に何と書きますか」
「クレーマー商会、と」
「それを、三年前の暴発で人を喪った隊に見せられますか」
ヨナスさんは、答えなかった。
「わたしは、見せられません」
言ってから、なぜ自分が三年前の暴発を引き合いに出したのか、少し不思議だった。
アイゼン殿は、隊のことをまだ何も話しておられない。話していないのに、わたしは何かを知っている気になっている。
知っているのは、あの方が「壊れてからでは遅い」と言ったことだけだ。翌朝、いつもの問屋から仕入れの断りが来た。三軒とも、同じ日に。
文面も、三軒とも同じだった。「当面、在庫の都合により御用命に応じかねます」。
同じ文面が三通届くのは、三軒が示し合わせたか、上に同じ人がいるかのどちらかだ。わたしは三通を並べて、修理台の隅に置いた。
捨てなかった。
いずれ、誰が書いたものかを確かめる日が来るかもしれない。書いた人の名前は、どこにも入っていなかった。
オズヴァルト・クレーマー会頭。この人には、こちらの推理を一つ潰させたうえで、正解のほうを自分の口で補強させました。丁重で、教えてくれて、こわい。——悪役に嘘をつかせないほうが、たいてい強くなります。
三万ルグを断る理由が「商会は、人ではありませんので」の一言で済むところが、この主人公の芯です。
次回、空が光ります。雷ではありません。




