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 団長と別れたあと、私は彼についてもっと知りたいと思った。

 次に会うときは、取材対象としてではなく、敬意を持って、友人として接したい──そんな気持ちが自然と湧いていた。


 オフィスに戻り、パソコンを開き、「トニー・ウィックス」「Tony Wicks」と検索した。


 画面に並んでいたのは、称賛の言葉ばかりだった。


「淋しい幼少期を過ごしたトニーは、世界中の子供たちを笑顔にしたいと願い、サーカスの道を選んだ」

「彼の演目は、大人も魅了する」

「観客の心を癒やす不思議な力がある」


 どの記事も、どのインタビューも、団長トニーの献身的で善良な人柄を描いていた。


 彼の出身地は、イギリス北部の小さな町。両親と父方の祖母とともに暮らしていた。

 幼少期、その両親が離婚し、父に引き取られる。父は忙しくてあまりトニーに構わず、主に祖母が面倒を見たが、祖母はトニーをよく思わず冷たく接した。

 トニーは、孤独な少年時代を過ごしていた。その中で出会った移動サーカスが、彼の人生を変えた。


「子供たちの笑顔が、私の生きる理由です」


 そんな言葉が、いくつもの記事に引用されていた。


 私は、カフェでの彼の優しさを思い出した。あの穏やかな声、私の話を否定せずに聞いてくれた姿勢。

 彼が世界中の子供たちを笑顔にしたいと言うのなら、それは本心なのだろうと思えた。


 団長トニー・ウィックスの記事をひととおり印刷して目を通していると、ひとつ、妙なものが混ざった。


「精神障害を持つ青年、Tony Wicks事件」


 なんだろうか、これは。

 団長とたまたま同じ名前の人物の記事を、一緒くたにして印刷してしまったようだ。記事内に、白黒の写真が挿し込まれている。

 画質は粗く、輪郭もぼやけているが、写っている人物の表情だけは、妙にはっきりしていた。


 大人の男が、子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。

 口角が大きく上がり、目は細く、まるで誰かに「笑って」と言われた幼児みたいな表情だった。


 彼の名前は、Tony Wicks。

 十九世紀のイギリスの人物だ。


 彼は精神発達に遅れがあり、社会に馴染めず見世物小屋に売られた。そこで観客を笑わせる役として扱われていた青年だという。


 ――見世物小屋。

 十八世紀から十九世紀頃のイギリスにあった、サーカスの前身である。

 当時は障害のある人々や孤児、身体的特徴のある者たちが、観客の好奇心を満たすために展示されていたと聞いたことがある。


 白黒の写真の無邪気な笑顔を見ると、背すじに冷たいものが走った。好奇の目に晒されていることを、理解できていない――そんな顔だ。


 トニー・フレンズ・サーカスの団長のトニーとは、偶然名前が同じというだけで、別人である。だが、私はその子供みたいな顔の青年に妙に引きつけられて、記事に目を走らせていた。


―――


 トニー・ウィックス(Tony Wicks, 生年月日不詳)

 十九世紀イギリスの見世物小屋で展示されていた青年。

 精神発達に遅れがあり、外見は立派な成人男性でありながら、行動や感情表現は幼児のようだった。


■外見は成人、心は幼児


・背が高く、体格も成人男性として充分

・しかし、振る舞いは幼児そのもの

・喜ぶと手を叩いて跳ねる

・怒ると地団駄を踏む

・悲しいと大声で泣く

・褒められると、子供のように無邪気に笑う


 そのギャップが、当時の観客にとっては「珍しいもの」「面白いもの」として扱われていた。


■マスコット的に愛されていた


 トニーは観客に飴を配る、子供と一緒に踊る、舞台の端で手を振り続けるなど、愛される存在として人気があった。

 観客は彼をかわいそうな子供として扱い、同情と興味の入り混じった視線を向けていた。


■無邪気すぎる笑顔


 目が細く、口角が大きく上がりすぎている、大人の顔に似合わない幼児の笑顔。しかし、どこか空っぽにも見える。見ている側がぞわっとする不自然さがある。


―――


 白黒の写真に写る青年の笑顔に、私は息を呑んだ。カフェで団長が見せた、一瞬の幼児的な表情を重ねてしまう。


 いや、これは十九世紀を生きた人物の記事だ。現代の団長、トニー・ウィックスとは別人だ。

 無関係だ。偶然だ。


 そう自分に言い聞かせながらも、私はその写真から、何度も視線を逸らしてしまった。

 どこか、見てはいけないもののように感じている。

 記事を捲り、続きを読む。


―――


■嘲笑が引き金になった「癇癪」


 ある公演の日、トニーはいつものように観客の前に立ち、無邪気な笑顔を浮かべて手を振っていた。

 その日の観客が野次を飛ばした。


「大人なのに子供みたいで、気持ち悪い」


 トニーはこのとき、自分は人を笑わせているのではなく、「嗤われている」のだと気がついたと思われる。


 彼は幼児の如く、感情がそのまま表に出る性質を持っている。馬鹿にされれば悲しくなり、悲しくなると怒りに変わる。

 トニーは突然大声を上げ、舞台の上で暴れだした。


 心は幼児でも、体は成人男性である。力も強く、体格も大きい。

 彼が癇癪を起こして暴れれば、周囲の人間は簡単に押し倒されてしまう。複数の観客が負傷した。


■マスコットから一転、「危険な怪物」へ


 それまでトニーは、かわいそうで愛らしい存在として扱われていた。しかし暴力事件を起こしたことで、その評価は一瞬で覆った。


 危険だ。制御できない。見世物にしてはいけない。


 見世物小屋の運営者たちは、トニーを舞台に立たせることができなくなった。


■精神病院へ送られる


 トニー・ウィックスは事件後、精神病院へ収容された。その後の記録は、正式には殆ど残っていない。


―――


 同姓同名など珍しくない。

 トニー・フレンズ・サーカスの団長トニーはあれほど穏やかで、子供たちの笑顔を願う優しい人物だ。なによりこの記事のトニー・ウィックスは二百年も前の人物である。


 だが、気になってしまう。

 トニー・フレンズ・サーカスの発祥も、十九世紀に遡る――公式サイトにはそう書かれていた。


 サーカスは、見世物小屋が形を変え、現代の社会に合うように順応したもの。だから、トニー・フレンズ・サーカスも当時の見世物小屋から始まったのだと考えても、不自然ではない。

 たまたま、団長と同じ名前の見世物がいたとしても――。


 私は、資料を閉じて深く息をついた。

 関係ないだろう。関係はないだろうが、これは個人的な好奇心だ。私はもう一度パソコンに向かい合い、気づけば再び検索窓に「Tony Wicks」「見世物小屋」と打ち込んでいた。


 出てくるのは、断片的な情報ばかりだった。 個人の考察ブログ、海外フォーラムの噂話、歴史マニアのまとめサイト。

 いずれも信憑性は低いが、読み進めてしまう。少し調べるだけのつもりが、深みに嵌っていく。差別の時代に好奇の目で観られた、その存在を、現在の私が好奇の目で追いかけている。


 あるブログでは、トニー・ウィックスの出身地や家族構成、生まれ育ってきた環境が、興味本位にまとめられていた。


 彼の出身地は、イギリス北部の小さな町。両親と父方の祖母とともに暮らしていた。

 幼少期、その両親が離婚し、父に引き取られる。父は忙しくてあまりトニーに構わず、主に祖母が面倒を見たが、祖母はトニーをよく思わず冷たく接した。

 トニーは、孤独な少年時代を過ごしていた。その中で出会った移動サーカスが、彼の人生を変えた。


 文字を目で追う私は、いつの間にか息をするのを忘れていた。


 出身地、家族構成、育った環境、どれを取ってもトニー・フレンズ・サーカスの団長と一致している。


 名前だけなら偶然かもしれないと思えたが、ここまででは「たまたま」では片付けられない。

 こんな偶然があるわけがない。十九世紀のトニーの情報が当時から語り継がれているものであれば、現代の団長が語る経歴が虚偽――十九世紀のトニーのオマージュとして、そういう設定にしているということか。

 しかし、なぜ? 団長に直接話を聞くか?

 なんて? 十九世紀の精神障害者とあなたはどういう関係ですかと、直球に聞くのか? 聞いてなにになる? では、どうする?


 冷や汗が止まらない。それなのに、マウスのホイールをスクロールする指もまた、止まらない。


“He was taken to an asylum after the fire.”

“The asylum burned down years later.”


 トニーは暴力事件の後、精神病院に送られた。その精神病院は、今では火災で焼失している。


 これが、どの情報源にも必ず書かれている。

 病院名は伏せられていたり、曖昧な表記になっていたりして、特定できない。


 私は、トニーのいた見世物小屋の所在地を調べた。ロンドン郊外。巡業していた地域。当時の地図。

 そこから、移送可能な距離にあった精神病院をいくつかリストアップした。


 そのうちのひとつに、火災で焼失し、跡地に資料館ができたという病院があった。


 根拠はない。ただ、直感的に「ここだ」と思ってしまった。

 私は、メモ帳にその病院名を書き留めた。

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