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オフィスに帰ってから、私はサーカス団のパフォーマーたちの名前を検索し、犯罪歴や、子供を誘拐するような趣味を仄めかしていないかを調べた。
しかし、全員が見事に潔白であった。「トニー・フレンズ・サーカスが来ると、行方不明者が出る」そんな噂を半分信じて、サーカス団を疑った自分が、馬鹿らしく思えるほどにだ。
取材の帰り際を思い浮かべる。団長は最後に、丁寧に頭を下げた。
「お嬢さんとすぐにまた会えますよう、祈っています」
団長だけではない。団員たちは皆、朗らかで、善良に見えた。サーカスを疑ってしまった私は、どうかしていたのだ。疲れて神経が過敏になって、無関係の彼らに八つ当たりしたようなものだ。
娘の失踪とサーカスは、関係がない。私はそう区切りをつけた。
翌日、私は、市内の探偵事務所に相談に行った。娘の足取りを追うためには、警察だけでは不充分だったからだ。
だが、返ってくる言葉は警察と同じだった。
「手がかりが少なすぎます」
そのひと言が、胸に刺さる。
「普段、娘さんはどこで遊んでいましたか? 仲の良い友達は? 悩みごとはありませんでしたか?」
どの質問にも、私は答えられない。娘がどんな場所を好み、誰と過ごし、なにを考えていたのか── 私はひとつも知らなかった。
「すみません。分かりません」
そう答えるたびに、探偵の表情が曇った。
「ご夫婦で情報を共有されていますか? 奥様とは連携を取れていますか?」
私の弱点を正確に突いてくる。妻とは、まともに会話ができていなかった。娘の失踪以来、余計にだ。
互いに責任を押し付け合うような空気があり、娘の話をするたびに、どちらかが黙り込むか、感情的になるかだった。
探偵は深くため息をついた。
「お父さん。娘さんのことをいちばん知っているのは、ご家族のはずなんですよ」
正論だった。 逃げ場がなかった。
私は、娘のことを知らなかった。
親であるはずの私が、娘の世界にほとんど触れていなかった。
仕事を理由に、家族の時間を後回しにし続けた結果が、今、目の前に突きつけられている。
「これ以上は、こちらでも動きようがありません」
警察も探偵も変わらない。いずれも娘の行方を追えないのだ。やはり、私自身が情報を集めるしかない。
その後、私は、娘の通っていた学校へ向かった。
まず担任の教師に話を聞いた。
「Aさんは……そうですね、手のかからない子でした」
それは褒め言葉のようでいて、関心の外にいたことを示す言葉でもあった。
「友達は?」
私が尋ねると、教師は少し言い淀みながら、目を逸らした。
「誰とでも仲良くできますよ。ええ、とてもいい子です」
その「誰とでも」という言葉が、娘が「誰とも深く関われていなかった」ことを示しているように思えた。
クラスメイトにも話を聞いた。
だが、返ってくるのは曖昧な返事ばかりだった。
「優しい子だったよ」
「怒ったところ見たことない」
「あんまり自分のこと言わない子だった」
娘がよく行く場所、仲の良い友達、悩みごと──誰も知らなかった。
私は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
娘は、空気を読むのが上手い子だった。家でも、学校でも、誰にも迷惑をかけないように、誰にも嫌われないように、いつも周囲の顔色を見ていた。
その結果、彼女は、誰からも特別に必要とされない子になってしまったのかもしれない。
親である私でさえ、娘がなにを考え、なにを望み、どんな気持ちで日々を過ごしていたのか、ひとつも理解していなかった。
娘には、理解者がいなかった。
それは、私自身も含めての話だ。
学校を出たあと、私は宛もなく歩き続けた。
娘の足跡は、どこにも残っていなかった。次はどこへ行けばいいのか、まったく見当がつかなかった。娘についてろくに知らない私は、彼女に関係する場所を、学校以外に知らない。
娘の足取りは途切れ、私自身の無力さだけが、胸の中で重く沈んでいた。
そのとき、背後から声をかけられた。
「御厨さん?」
振り返ると、そこに立っていたのは団長トニーだった。
メイクをしていなかったため、最初は誰だか分からなかった。だが、あの穏やかな目元と、柔らかい笑みと、少し発音の甘い日本語で、彼だと気づいた。
「大丈夫ですか。顔色が良くないですよ」
彼は英語でそう言った。
「取材のあとから、あなたのことが気になっていました。お嬢さんの件で、心労が溜まっているのではないですか」
「ああ……そうかもしれない」
「少し休みましょう。私で良ければ、話を聞きますよ」
団長はそう言って、近くのカフェを指さした。私は驚きつつも、断れず、頷いた。闇雲に動いて身も心も疲れていたのは事実だ。座って休んで、考えを整理したい気持ちはあった。
カフェの席に着くと、団長は私の話を静かに聞いてくれた。私がなにを言っても、否定しなかった。
「それは大変でしたね。辛かったでしょう」
と、まるで長年の友人のように、私の言葉を受け止めてくれた。
私は、気づけば胸の内を全て吐き出していた。娘を話、妻との関係、自分が父親としてなにもできなかったこと。
これまで誰にも言えなかった私の弱さを、団長は黙って聞いてくれた。
「あなたは、よく頑張ってこられました」
その言葉を聞いた瞬間、私は胸の奥がふっと軽くなった。誰かにそう言ってほしかったのだと、そのとき気づいた。
団長は、私の目をまっすぐに見て言った。
「娘さんは、きっとあなたを待っていますよ」
その声は優しく、温かく、子供に語りかけるような響きがあった。私は初めて、「自分を理解してくれる人間が現れた」と感じた。
だが今思えば、その優しさこそが、私をサーカスへと引き戻す最初の糸だったのかもしれない。
団長と別れ際、私は久しぶりに胸が少しだけ軽くなっていた。誰かに話を聞いてもらえるというのが、これほど救いになるとは思わなかった。
サーカスへの疑念も、もうほぼ完全に薄れていた。団長の誠実な態度を見れば見るほど、娘の失踪とサーカスは無関係なのだと、そう思えたのだ。
カフェを出て、店の前で軽く会釈を交わしたときだった。団長が、ふいに私の腕を掴んだ。
「帰っちゃうの?」
その声は、先ほどまでの落ち着いた大人の声ではなかった。幼い、拗ねた子供のような言葉遣いだった。
私は驚いて振り返った。 団長は、笑っていた。
「きゃはは。ふふふふふふっ」
その笑みはどこかぎこちなく、目の奥だけが笑っていなかった。
「お喋り、楽しいのに」
まるで、遊びを終わらせたくない子供のようだった。
私が返事に困っていると、団長は一瞬だけ表情を固くし、すぐに大人びた穏やかな笑顔に戻った。
「失礼。つい、取り乱してしまいました。あなたと話せて、あなたの本心を伺えて、安心したもので。……いや、お嬢さんが見つかっていないのに、こんな言い方をしては不謹慎ですが。お父さんの真剣な姿を見れば、きっとすぐに解決すると思えたんです」
団長はそう言って、軽く手を振った。
「また、サーカスにいらしてください。なにかヒントがあるかもしれない」
「ええ、また。今日はありがとうございました」
私は礼を言って、深く頭を下げた。
「団長と話して、少し心が軽くなりました。友人のように接してくださり、本当にありがとうございます」
「友人」
団長は、その言葉を初めて聞いた言葉かのように繰り返した。
「友人……、友達」
「それでは、失礼します」
私はそのまま歩き出した。背中に刺さるような視線を、しばらく感じていた。
「ふふふっ」
幼い声が聞こえた。私は振り返ろうとして、目を泳がせ、やめた。




