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妻になにも告げなかった。
スーツケースは、かつて海外取材で使ったものだ。その中に最低限の衣類とノートパソコン、そしてメモ帳だけを放り込んだ。
パスポートは、仕事で海外に行ったときのまま有効期限が残っていた。それを確認すると、私は迷いなく空港へ向かった。
空港の早朝の出発ロビーは静かで、旅行客のざわめきが遠くに聞こえる。私は無言のまま搭乗手続きを済ませ、機内へと乗り込んだ。
十数時間のフライトが始まる。窓の外に広がる雲海を眺めながら、私は何度もメモ帳を開いた。
十九世紀を生きたトニー・ウィックスに関する断片的な情報と、火災、精神病院、見世物小屋──そんな単語が乱雑に書き連ねられている。
眠れなかった。
目を閉じると、あの白黒写真の無邪気すぎる笑顔が浮かんでくる。
飛行機が着陸態勢に入るアナウンスが流れた。
空港を出ると、冷たい風が頬を撫でた。灰色の雲が低く垂れ込め、どこか湿った空気が漂っている。
道路には赤い二階建てバスが走り、石造りの建物が並んでいる。この街で暮らす人々の声、車のクラクション、遠くで鳴る教会の鐘。
そのどれもが、私には現実感の薄い音に聞こえた。
ロンドンに到着してから、私はホテルに荷物を置き、すぐに目的地へと向かった。
目的はひとつ──十九世紀のトニー・ウィックスが送られた精神病院について、さらに詳しい情報を集めることだった。
彼が収容された病院の跡地は、現在は資料館として公開されている。
公式サイトには、「十九世紀の精神医療の歴史を展示」「当時の見世物小屋に関する資料も所蔵」と書かれていた。
ここを見に行きたい。それだけのために、私はロンドンを訪れた。資料館に行き、かつてのトニー・ウィックスを知ることが、娘を見つけるいちばんの近道だと思った。
……いや、なぜ?
なぜ私はそう思ったのだろう。我ながら意味が分からない。
娘の失踪とサーカスは関係ないと、結論づけたではないか。まして、団長と十九世紀の精神病院も関係ない。
私は、なにをしている……?
自分で自分の行動が説明できなかった。理性と衝動が捻れている。思考が崩れかけている。
娘の捜索という目的が、ぼやけていく。
頭の中は騒がしくとも、私自身の身体は至って冷静に、資料館の地図を確認して、真っ直ぐにその土地へ向かっていた。私の意思とは別のところで、なにかが私を動かしているような、言葉にしがたい感覚である。
どこか遠くから呼ばれているような。
理屈ではなく、もっと原始的な衝動のように思えた。
ロンドンの冷たい風が頬を刺す。資料館の住所は、ロンドン中心部から少し離れた場所にあった。地下鉄を乗り継ぎ、さらにバスに揺られて向かう必要がある。
ロンドンの朝は冷たく、石畳の上を歩く靴音が、やけに大きく響いた。地下鉄のホームには、通勤客が無言で列を作っていた。私はその列に紛れ、メモ帳に書いた資料館の名前を見返した。
――◯○ County Asylum Museum
十九世紀の精神病院の跡地である。トニー・ウィップが送られた可能性のある場所。
当時の病院は、今とは比べものにならないほど閉鎖的で、記録も散逸しているものが多い。
此度見つけた病院、否、今となってはその跡地だが、ロンドン郊外の小規模な精神病院だった。見世物小屋の近くにあったそれは、実質、収容施設といえた。多くの患者を抱えたまま火災が起こり、そのまま役割を終えている。
私は、日本で失踪した娘を捜していたはずだ。それなのに私はいつの間にか、イギリスの精神病院の跡地へ向かっている。
私は、なにをしている?
自分の胸の内に問いかけても、答えは返ってこない。
地下鉄がホームに滑り込んできた。ドアが開くと、冷たい風が吹き込んだ。私はそれに乗り込み、揺れる車内で暗い窓の外を眺めた。
乗り換えを繰り返し、地下鉄を降りてバスに乗る。
バスの窓から見える景色は、だんだんと観光地の華やかさを失い、住宅街へ、そしてさらに郊外の静かな道へと変わっていった。バスを降りると、空気が一段と冷たくなった。
道路の向こう側に、古い煉瓦造りの建物が見えた。その前に立つなり、なぜか胸が締めつけられるような感覚に襲われた。
私は、まるで糸で引かれるように、資料館の門へと足を踏み出した。
資料館の中は、外観から想像したよりも静かだった。観光客の姿は少なく、廊下には古い建物特有の冷たい空気が漂っていた。
受付でパンフレットを受け取り、展示室へと足を踏み入れる。
壁には、十九世紀のイギリスで実際に行われていたフリークショー、即ち、奇形・障害者の見世物に関する資料が並んでいる。
パネルには、こう書かれていた。
十九世紀のイギリスでは、精神的・身体的に他と異なる人々は、見世物小屋で展示されることが多かった。
つまり、「病院に入れられるような人」は、まず見世物にされたということだ。
展示ケースには、当時のポスターが並んでいた。
「世界一小さな男」「髭の女性」「連体双生児」「小頭症の兄弟」……これらはすべて、19世紀のイギリスやアメリカで実際に人気を博したフリークショーの出演者たちだという。
フリークショーは単なる差別ではなく、当事者にとっては収入源であり、社会参加の手段でもあった。
パネルには医学との結びつきについての説明もあった。
当時のイギリスでは、フリークショーは医学界とも深く関わっており、医師が珍しい身体を研究対象として扱い、その知識を広めるためにショーに関与することもあったという。
異形の身体は、娯楽であり、研究材料であり、商品だった。
ふと、絵の一枚に目が止まった。 舞台の上に立つ大人の男。少年のように無邪気な笑顔。
絵の隅には、“Tony W.”とだけ書かれていた。
次の部屋には、十九世紀の精神医療についての説明パネルや、当時の道具が並んでいた。
当時の精神病院では、患者を落ち着かせるためとして、革製の拘束具や鉄製の枷が日常的に使われていた。展示ケースの中には、実際に使用されていた拘束椅子が置かれている。
手足を固定する革帯が残っており、その表面には擦れた跡が無数にあった。
患者を冷水に浸すことで興奮を抑える、という目的で行われていた冷水療法。パネルには、大きな木製の浴槽に患者を縛りつけ、頭から冷水をかけ続ける図が描かれている。
患者を椅子に縛りつけ、装置で高速回転させることで、精神を安定させると信じられていたという回転療法。嘔吐や失神を伴うことが多かったという。
なんて残酷な、と、思ってしまう。当時はそれが患者のためと信じられていたというが、現代の医療からは考えられないような処置ばかりだ。
トニー・ウィックスは、この場所で――。
展示室の奥に、「収容者の記録」という扉があった。私はその前で立ち止まった。
パンフレットによると、この先の部屋は当時の隔離室が再現されているという。私は深呼吸をして、その扉を開けた。
石造りの小さな部屋だ。窓はなく、厚い扉には小さな覗き窓があるだけ。
中は、音が吸い込まれるように静かだった。
壁には当時のものが、そのまま額に入れられて展示されていた。




