第5章 心の底へ沈む影(対峙の序章)
――境界の崩壊が始まる
胸の奥で、二つの鼓動が完全に重なったまま、 僕の視界はゆっくりと暗く沈んでいった。
暗闇ではない。
もっと深い、もっと重い、“心の底”のような場所。
耳鳴りがする。
自分の呼吸音が遠い。
身体の感覚が薄れていく。
ドクン……ドクン……ドクン……
鼓動だけが、やけに鮮明だった。
「ねえ……来て」
彼女の声が、耳ではなく、脳の内側から響いた。
その声に引きずられるように、僕は意識の底へ沈んでいく。
心の内部:影の世界
気づくと、僕は“白い部屋”に立っていた。
壁も床も天井も白い。
でも、どこか湿っている。
光があるのに、影が濃い。
ここは―― 僕の記憶の底。
「やっと来たね」
振り向くと、 彼女が立っていた。
でも、さっきまでの“彼女”とは違う。
輪郭が揺れている。
顔がぼやけている。
影が濃すぎて、形が安定しない。
まるで、 “彼女の記憶”だけが立っているようだった。
僕は息を呑む。
「……ここは……どこだ……」
「あなたの心の中。あなたが私を閉じ込めた場所」
彼女は一歩近づく。
そのたびに、床の影が波紋のように揺れる。
「あなたは私を忘れた。忘れた分だけ、私はここに沈んだ。暗くて、冷たくて、誰もいない場所に」
僕の胸が痛む。
鼓動が、彼女の鼓動と重なったまま震える。
「……俺は……忘れたかったわけじゃ……」
「ううん。忘れたかったんだよ」
彼女の声が、急に近くなる。
気づくと、目の前にいた。
顔が近い。
でも、瞳の奥は真っ黒で、底がない。
「あなたは私を捨てた。その罪悪感が怖くて、記憶を封じた。私を“影”にした」
僕は後ずさる。
でも、足が床に吸い付いたように動かない。
「……違う……俺は……」
「違わないよ」
彼女の声が、僕の声と重なった。
僕の声で、彼女が喋った。
「あなたは私を終わらせたかった。だから、私が倒れたとき……助けなかった」
胸の奥が冷たくなる。
心臓が、彼女の鼓動に引きずられる。
「ねえ……思い出して。本当のことを」
影の対峙:彼女の“本当の望み”の片鱗
彼女は僕の胸に手を当てた。その瞬間、視界が白く弾ける。
僕の記憶。
彼女の記憶。
二つの記憶が混ざり合い、どちらが誰のものか分からなくなる。
そして―― 彼女の声が、僕の脳の奥で囁いた。
『私はね……あなたに“思い出してほしい”だけじゃない』
僕は息を呑む。
『あなたの中で生きたいんじゃない』
影が、僕の足元から這い上がる。
『あなたの中で“続き”を生きたいの』
「……続き……?」
彼女は微笑んだ。
その笑顔は、優しくて、温かくて―― でも、底がない。
「そう。あなたと私の“続き”。あの日、途切れたままの……本当の結末を」
影が僕の胸に触れた瞬間、 心臓が跳ねた。
ドクン……!
彼女の声が、 僕の声と完全に重なった。
『さあ……続きを始めよう』




