第4章 影の脳室(侵食の第3段階・続き)
――人格が溶け、彼女と混ざり始める
視界が二重に揺れていた。
僕の見ている部屋と、彼女が見ていた過去の景色が、重なったまま剥がれない。
白い病室の壁が、僕の部屋の壁に滲むように重なり、彼女の泣き声が、僕の呼吸音に混ざって響く。
どちらが現実なのか分からない。
胸の奥で、二つの鼓動が完全に同期している。
ドクン……ドクン……ドクン……
そのリズムが、僕の脳の奥にまで響いてくる。
「ねえ……聞こえる?」
彼女の声が、耳ではなく、脳の内側から響いた。
『あなたの考え……今、全部見えてるよ』
僕は頭を押さえた。
「……やめろ……俺の頭から……出ていけ……!」
「無理だよ」
彼女は僕の肩にそっと触れた。
その手は、もう完全に“生きている人間の温度”だった。
「だって、あなたが“入れた”んだもん。思い出した瞬間、あなたの脳は私を受け入れた」
冷たさが、脳の中心―― 海馬(記憶の核)に触れた。
その瞬間、僕の思考が“二重”になった。
侵食の深まり:思考の混線
僕の思考の中に、彼女の声が混ざる。
僕の声 『逃げろ……逃げないと……』
彼女の声 『逃げないで。だって、ここはあなたの心の中だよ?』
僕の声 『これは俺の記憶だ……俺の頭だ……』
彼女の声 『違うよ。もう“私たちの”だよ』
思考が、どこまでが自分で、どこからが彼女なのか分からなくなる。
僕は震えた。
「……俺の……考えが……」
「混ざってるんだよ」
彼女は僕のこめかみに指を当てた。その指先が、皮膚をすり抜けて、脳に触れるような感覚が走る。
「あなたの思考の隙間に、私の影が入り込んでる。あなたの“判断”と“感情”が、少しずつ私のものになっていく」
僕は叫んだ。
「……やめろ……やめてくれ……!」
「やめないよ」
彼女は優しく、しかし確実に言った。
「だって、あなたが私を思い出したんだもん。思い出した瞬間、あなたの脳は私を受け入れた。脳が受け入れたら……次は人格だよ」
冷たさが、脳全体に広がった。
僕の感情が、僕の思考が、僕の“自分”が――
彼女の影に染まり始める。
人格の溶解:境界の消失
僕はふと気づいた。
胸の奥で響く鼓動が、僕のものなのか、彼女のものなのか分からない。
視界に映る部屋が、僕の部屋なのか、彼女の記憶なのか分からない。
そして―― 頭の中で響く声が、僕の声なのか、彼女の声なのか分からない。
「……俺は……誰だ……」
彼女は僕の頬に触れた。
その指先は、もう完全に“僕の一部”のように自然だった。
「あなたはあなた。でも、私でもある」
「……やめろ……」
「やめないよ」
彼女は微笑む。
その笑顔は、優しくて、温かくて―― でも、底がない。
「だって、あなたが私を思い出したんだもん。思い出した瞬間、あなたの人格は私と混ざり始めた」
胸の奥から、 彼女の声が直接響いた。
『ねえ……もうすぐ“ひとつ”になれるよ』
僕は震えた。
「……ひとつ……?」
「うん。 あなたと私の境界が消えるの。あなたの心臓はもう私のもの。あなたの記憶も、私のもの。あなたの思考も、私のもの。あとは――」
彼女は僕の額にそっと触れた。
「あなたの“自分”を手放すだけ」
その瞬間、僕の視界が完全に“彼女の記憶”に塗りつぶされた。




