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万年最下位だった聖女候補、5年目にして採点システムそのものが壊れていたと気づく  作者: 雨宮 彩月


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4/25

掲示の朝

結果掲示の朝。五年連続最下位が確定するが、得点が五年間ぴたりと同じ数字であることに、帳面をつけ続けたフィアの手が小さな違和感を覚える。

 回廊に出ると、人の流れが普段と違っていた。


 朝の冷気が襟の隙間から首筋を掠める。正廊のほうへ歩く法衣の背中がいくつも見える。


 どの足取りも速い。


 掲示の朝だった。


 東翼に行くつもりだった。治療室の鍵は袖の中にある。


 けれど足は、人の流れに逆らえなかった。正廊の手前の広間に出る。


 石壁の掲示板の前に人だかりができていた。


 聖職者の法衣と候補生の儀礼服が入り混じり、声が石天井に低く反響している。高窓から差す朝日が、羊皮紙の表面を白く照らしていた。


「五年の総括が出ましたな」

「長女殿は盤石だ。今年の紋数は過去最高ではないか」


 フィアは人の背中の後ろで足を止めた。


 大判の羊皮紙に、七人の名が縦に並んでいる。横には五年分の得点が年ごとに記されていた。


 一番上の行を読む必要はなかった。壇上の光を見た日から、姉の名がそこにあることはわかっている。


「今年は九三七紋ですか。去年でさえ驚きましたが」

「五百紋で一人前と言われますからな。九百台は稀でしょう」

「光量もさることながら、患部への集束が段違いだ」

「三席も四席も去年より伸びている。皆、最後の年で仕上げてきたな」

「毎年見ておるが、長女殿は本当に見事だ」

「それでも長女には遠い。今年で決まりでしょう」


 声が交差している。


 フィアの視線が下へ滑った。


 第二席。第三席。第四席——五年の間に数字が動いている。上がり続けた者もいれば、年によって波のある者もいた。


 第五席。第六席。


 そして一番下。


 第七席 ヴェルネイユ家次女。


 数字が五つ、横に並んでいた。


 三一二。三一二。三一二。三一二。三一二。


 周囲の声が遠退いた。


 息が、止まった。指先から温度が引いていく。


 最下位。五年、続けて。


「……そうですか」


 唇から零れた声は、誰にも届かなかった。


 人だかりの向こう側で、銀糸の裾が揺れた。


 姉が聖職者と言葉を交わしている。


「この五年のお導きがあったればこそですわ」

「ご謙遜を。次代の聖女に最もふさわしい光でした」

「まだ正式にはいただいておりませんもの。先走ることはいたしませんわ」

「いやいや、もはや揺るぎますまい」


 姉の視線がフィアに触れた。一瞬だけ。


 背筋にかすかな冷たさが走った。


 何も言わなかった。いつもと変わらない微笑みだけが頬に浮かび、すぐに聖職者のほうへ戻った。


「五年連続というのは珍しいですな」


 背後で声がした。落とした声のつもりだろう。けれど石壁は音をよく拾う。


「ご家門の名に傷がつかねばよいが」

「長女がおられる。家の面目は立つでしょう」


「フィア様」


 小さな声がした。


 第六席の少女だった。壇上で「頑張って」と袖を引いてくれた少女。目の縁がわずかに赤い。


 鼻の奥がつんと痛んだ。


「五年間お疲れさまでした」


 労いの言葉だった。もう競う相手にかける種類の言葉ではない。


「あなたもお疲れさまです」

「わたし、応援していました。ずっと」


 少女の声が震えていた。自分のことで泣いているのか、フィアのことでなのかはわからなかった。


 ——わたしのために、と胸のどこかが思った。


「ありがとうございます」


 少女は何か言いかけて口をつぐみ、小さく頭を下げて人だかりのほうへ戻っていった。


 フィアは掲示板に背を向けた。


 足元の石畳に、乾いた聖花の花弁がひとひら残っている。端が欠け、踏まれた跡があった。


「フィアさん」


 渡り廊下のほうから、レオが来た。


 癖毛が額に貼り付いている。走ったのか、息がわずかに上がっていた。


「見たんですね」

「通りかかっただけです」

「嘘が下手ですね」


 フィアは答えなかった。


 レオは手に持った布の包みを差し出した。


「薬草の補充です。東翼に置いておきます」

「ありがとう、レオ」

「咳の方が午前に来ますよ。一日早いですが、息が苦しいと言うので昨日伝えました」

「わかりました」

「先生もたまには休んだらどうですか。掲示の日くらい」

「先生ではないです」

「患者さんがそう呼んでいるんですから」


 同じやり取りだった。何度目だろう。


「掲示の紙は夕方に片づけるそうです。もう一度見るなら早いうちに」

「見ません」

「そうですか」


 レオは一拍黙り、掲示板のほうを振り返った。


「結果がどうあれ、東翼の方たちは待ってますよ」

「……ええ」


 レオは頷いた。一歩退きかけて足を止める。


「夕方に薬草の残りを持ってきます」

「無理しなくていいですよ」

「ついでですから」


 レオの視線がわずかに逸れた。前にも聞いた言い訳だった。


 レオは管理官の腕章を揺らしながら、渡り廊下のほうへ戻っていった。


---


 東翼の治療室に鍵を差し込んだ。


 金属の冷たさが指先を伝う。


 扉を開けると、薬草の匂いが壁の奥から迎えた。


 午前に咳の男が来た。


「先生、今日は楽なんですよ。階段上がっても苦しくない」

「それは良かった。芯がまた一段浅くなっています」

「何回目になりますかね、ここに通うの」

「四回目です」

「数えてるんですかい」

「帳面に書いてありますから」

「さすが先生だ。正廊じゃこんな数、数えないでしょう」

「次は三日後に来てください」

「はいはい。嫁にも自慢しときます」


 男は何度も頭を下げて廊下に消えていった。


 午後、廊下に杖の音が二つした。


「先生、隣の婆さん連れてきたよ」


 膝の老婆が扉を押さえ、後ろの女を招き入れた。


「ほら、この人が話してた先生だよ」

「ようこそ。どうぞ座ってください」


 隣人の女が小さく頭を下げた。


 二人を診た。老婆は帰りぎわに「また連れてくるからね」と手を振った。


 三人分の症状と処置を帳面に書き足した。ペンを置き、指先のインクを布で拭く。


 ——三一二。


 朝から、数字が頭の隅に残っている。


---


 閉じたままの帳面を引き出しから取り出した。


 机に広げ、蝋燭を寄せる。今日の記録は書き終えてある。


 頁を最初まで遡った。


 一年目の記録。字が大きい。行の間隔が広い。


 あの頃は手が震えた。光が患部から逸れ、一人の治療に蝋燭が二本消えるほどかかった。


 頁を繰る。二年目、三年目と進むにつれ字は小さくなり、紙の端まで使い切るようになっていく。


 四年目の冬——他の候補生が手に余る症例が、東翼に回されるようになった。


 五年目。今年の頁は余白がほとんどない。


 帳面の厚みが、五年分の変化を指に伝えていた。


 患者の数を数えた。


「一年目は……二十七」


 頁を繰る。


「二年目、四十一」


 さらに繰る。


「三年目、六十三。四年目は七十九」


 五年目——今年の頁は数えるまでもなかった。


「百を超えた」


 一人あたりの時間は短くなった。膝の老婆の治療は初年度の四分の一で済む。


 咳の男のような深い炎症も、焦点を絞って段階を踏めるようになった。


 帳面が、それを証明している。毎日、自分の手で書き足してきた記録が。


 ——なのに。


 掲示板の一番下に並んだ五つの数字は、どれも三一二だった。


 一年目も。五年目も。


 患者が二十七人だった年も、百を超えた年も。


 同じ数字。


 上がりもしない。下がりもしない。一つも揺れない。


 他の候補生は年ごとに変わっていた。上がり続けた者もいれば、波のある者もいた。


 フィアの欄だけが、五つとも同じ数字で埋まっている。


 変わらないことがありえるだろうか。


 聖秤は公正な装置だと、五年前に説明を受けた。治癒行為を自動で計測し、人の手は加わらないと。


 公正な装置が返す数字なら——変わるほうが自然ではないか。


 上がるか、下がるか。少なくとも、揺れるはずだ。


 帳面の最初の頁に戻った。


 右端の余白に、小さな墨字が残っている。


 一年目の掲示を見た日に書き留めた。得点を記録するつもりはなかった。帳面を開いていたから、目に入った数字を余白に。ただそれだけ。


 三一二。


 五年前の自分の字だった。今朝、羊皮紙の上に並んでいた数字と同じ。


 何かが引っかかっている。


 形にならない。名前のつかない、小さな棘。


 帳面は年ごとに厚くなった。掲示の数字は、一桁も動かなかった。


 疑いとは違う。不満でもない。


 ただ——数が、合わない気がする。自分の手で数えてきたものと、あの紙の上の数字との間に。


「——わたしは、数えてきた」


 五年間。毎日。一人ずつ。


 フィアは帳面を閉じなかった。


 指先が余白の墨字に触れていた。


 蝋燭の炎が傾いた。一年目の三一二が、残り火にうっすらと浮かんでいた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


三一二という数字を五つ並べたとき、自分でもぞっとしました。同じ数が五年分、一つも揺れずに並んでいる。これを不自然だと気づけるのは、五年間毎日帳面をつけてきたフィアだからです。書いていて「ああ、だからこの子は帳面をつけてきたんだ」と腑に落ちました。帳面が伏線だったこと、自分で書いて初めて知った気がします。


掲示板の場面で「……そうですか」をどこに置くか、最後まで迷いました。人だかりの中で、誰にも聞こえない声で。フィアはそういう子です。声を荒げない。でも数えている。ずっと。


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