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万年最下位だった聖女候補、5年目にして採点システムそのものが壊れていたと気づく  作者: 雨宮 彩月


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25/28

傷

姉の来訪から数日。フィアは治療を続けながら、姉への感情を整理できずにいる。ルカが管理棟奥の部屋の情報を委員会に伝え、メゼールの書斎から書類が発見される。その中にフィアの名前が——「第七席の得点は調整不要」という一行が見つかる。

 姉が東翼を訪ねてから、三日が経った。


 三日間、姉は来なかった。正廊ですれ違うこともなかった。フィアは東翼で患者を診て、紙切れに記録を書いた。一日に二枚の紙を使う日もあった。引き出しの中に、折り畳んだ紙が少しずつ溜まっていった。


 姉の言葉が消えなかった。


「あなたが怒ってくれたら」


 あの声が、治療の合間に浮かんだ。薬草を棚から出すとき。蝋燭を替えるとき。患者の名前を紙に書くとき。ふいに浮かんで、消えた。


 怒りが湧かないことが、自分でも不思議だった。五年間最下位に据え置かれたのは、ヴェルネイユ家の意図だった。姉はそれを知っていて止めなかった。怒るべき状況だと、頭ではわかる。


 でも、怒れなかった。


 姉の声を思い出すと、怒りではなく、胸の奥が重くなった。姉が壇上で微笑んでいたのは家のためだった。フィアが壇上に立てなかったのも、家のためだった。姉もフィアも、同じ糸に縛られていた。


 ただし、糸の端を握っていたのは姉ではなかった。父と、メゼールと、その上にいる誰かだった。


 嫌いになりきれない。


 五年間ずっとそうだった。壇上で拍手を浴びる姉を見ても、回廊で完璧な微笑みを向けられても、嫌いにはなれなかった。三つ編みを結んでくれた手を覚えているから。東翼に来て「ここなら少し息がつける」と言った声を覚えているから。


 でも今は、嫌いになれないことが自分を苦しめていた。嫌いになれたなら、怒れたなら——姉が望んだように——もっと早く何かが変わっていたのかもしれない。


---


 朝、患者が来た。


 若い女だった。先週足首の捻挫で来た人ではなく、別の女性。肩の痛みを訴えている。


「正廊の掃除をしていて、石柱に肩をぶつけてしまったんです」


「見せてください」


 肩に手を当てた。打撲だが、骨には異常がない。腫れが引くまで冷やしてから、患部に乳白色の光を集めた。


「先生の手、あったかいですね」


「治癒の光が集まると温かくなります。痛みが取れるまで少し待ってください」


 女性がじっとしていた。フィアの指先から広がる乳白色の光を、目を丸くして見つめていた。


「先生は、いつもこうやって一人で治療しているんですか」


「ええ」


「お一人で大変じゃないですか」


「大変ではありません。慣れています」


 嘘ではなかった。五年間、一人で治療してきた。大変だと思ったことはない。ただ、「慣れています」という言葉が、今日は少しだけ違う響きを持った。


 慣れたのではなく、慣れなければならなかったのかもしれない。壇上に立てず、他の候補生と一緒に実習することもなく、東翼の奥で一人ずつ診てきた。それが当たり前だと思い込んでいた。


 女性の肩の腫れが引いた。紙切れに記録を書いた。


---


 昼前、レオが駆け込んできた。


 いつもより顔色が違った。目が光っている。


「フィアさん。管理棟奥の部屋から書類が見つかりました」


「メゼールの部屋?」


「はい。ルカが委員会に情報を伝えてくれて、今朝、委員会の評議員が管理棟に入りました。メゼールが退任した後も残されていた私物の中に、書類の束が二つ。一つは管理局の内部通達の控え。もう一つは——」


 レオの声が低くなった。


「得点調整に関する覚書です」


「覚書」


「日付と候補生の席次が書かれた紙が数枚。第一席に関する記述が大半です。『第一席の得点を上方に修正する。基準値からの上方幅は年次により指定する』という内容が繰り返されています」


 フィアは椅子の背を握った。


「第七席については」


 レオがフィアを見た。まっすぐに。


「一枚だけ、第七席に関する記述がありました」


「何と書いてあったの」


「『第七席の得点は調整不要。現状の値を維持する』」


 フィアの指が白くなった。


「調整不要」


「はい。フィアさんの得点は——操作されていなかった可能性があります。三一二という数字が、聖秤の計測値そのままだったのかもしれない」


 フィアは黙った。しばらく何も言えなかった。


 五年間、三一二。最下位。操作されたから低いのだと——どこかで思い始めていた。調査が進めば、本来の得点が明らかになると。押さえ込まれていた数字が戻ると。


 でも、調整不要。現状の値を維持する。


 三一二は、フィアの本当の得点だったのかもしれない。


「……そうですか」


 いつもの相槌だった。動揺を飲み込む癖だった。でも今回は、飲み込みきれなかった。声がかすかに震えた。


「フィアさん」


「大丈夫です」


「まだ確定ではありません。覚書は一枚だけです。聖秤が停止している以上、計測値を直接確認する手段がない。覚書が全ての指示を網羅しているとは限らない」


「わかっています」


 わかっている。確定ではない。でも、可能性として——フィアの五年間の得点が、操作されていなかったという可能性が、紙の上に記されていた。


 百四人の患者を治療した。帳面に記録した。紹介元が増え、症例の複雑さも年々上がった。それでも得点は三一二のままだった。操作されていないのなら——聖秤はフィアの治療を正当に評価して、三一二と計測していたことになる。


 しばらく沈黙が続いた。紙切れの上の文字がにじんで見えた。


「レオ。聖秤の採点基準を知っていますか」


「公開されていません。聖秤は自動で計測し、人の手が加わらないとだけ説明されています。基準は候補生にも管理局にも開示されていない」


「では、三一二という数字が何を意味しているのかも、誰にもわからない」


「……はい。今はまだ」


 フィアは紙切れに目を落とした。今日の患者の記録。一人分の名前と症状。帳面なら、この横に得点を書くことはなかった。得点はフィアが書くものではなかった。聖秤が刻むものだった。


 その聖秤は止まっている。


---


 夕方、ルカが来た。


「先生、管理棟の部屋のこと聞いたっすか」


「レオから聞きました。ルカのおかげで書類が見つかったそうですね」


「俺は委員会に場所を教えただけっす。先生が言ってくれなかったら、言わなかったっすよ」


 ルカは入口に立ったまま、フィアの顔を覗き込んだ。


「先生、大丈夫っすか。目が赤いっす」


「蝋燭の煙です」


「……そうっすか」


 ルカはそれ以上聞かなかった。代わりに、上衣のポケットから何かを取り出した。


「先生、これ」


 掌の上に、銅のリュール貨が三枚あった。


「俺の今月の手当てっす。帳面代に足りないって言ってたっすよね」


「ルカ——」


「俺は手当てを使うところなんてないっす。飯は技師棟で出るし、上衣も支給っすから」


 フィアは口を開きかけて、閉じた。施しを受けるつもりはなかった。でもルカの手は真っ直ぐに差し出されていた。火傷の跡が薄く残る手の甲。フィアが治した手。


「貸してくれるの」


「あげるっす。先生が書けないと、俺の名前も書く場所がなくなるっすから」


 フィアの目が熱くなった。


「……ありがとう、ルカ」


 銅貨を受け取った。ルカの手の温度が残る三枚の銅貨は、掌の中で少しだけ温かかった。


---


 夜、自室の机で銅貨を数えた。


 引き出しの中の布袋に、今日のルカの三枚を加えた。帳面屋の一番安い革装丁の帳面の値段に、ちょうど届く。


 明日、帳面を買いに行ける。新しい帳面。白い頁。一年目の最初の患者のように、また最初の一行から書き始める。


 紙切れの束を引き出しから出した。この数日分の記録。折り畳んだ紙が六枚。新しい帳面を手に入れたら、この紙切れの記録も書き写そう。


 「調整不要。現状の値を維持する」


 あの一行が、夜の静けさの中で何度も戻ってきた。


 三一二は、本当の得点だったのかもしれない。姉の得点は操作されて上がった。フィアの得点は、操作されなかった。ただそれだけのことなのかもしれない。


 でも、百四人を治して三一二。帳面を五年間書き続けて三一二。毎年欠かさず東翼で患者を診て、一人ずつ手を当てて、記録を書いて。それでも三一二。聖秤は何を見ていたのか。何を測っていたのか。壇上の光の量か。治した人数か。それとも——


 わからなかった。聖秤の基準は、二百年前から誰にも開示されていない。


 帳面の表紙に触れた。完結した一冊。五年分の記録。三一二が本当の値であろうと操作された値であろうと、この帳面に書いた百四人の名前は変わらない。


 明日、新しい帳面を買いに行く。そして書き続ける。得点がいくつであっても。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


「調整不要」——この三文字がフィアに与えた衝撃は、得点が低く操作されていたという事実以上に深いものでした。操作されていたなら、本当の自分はもっと高かったと信じられた。でも操作されていなかったなら——五年間の得点は、そのまま自分の評価だったことになります。


ルカの銅貨三枚は、この物語の中で最も素朴な善意です。帳面を買う金を「あげる」と言い切るルカの手は、聖職貴族の政治とは無縁の場所にあります。ブックマーク、評価、感想をいただけると続きを書く大きな力になります!

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