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万年最下位だった聖女候補、5年目にして採点システムそのものが壊れていたと気づく  作者: 雨宮 彩月


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18/25

紋

評議の場でフィアの帳面とレオの写しが検証され、姉の得点に人為的な書き直しの痕跡があること、フィアの得点が五年間不動であることが公の場で明らかになる。

 マティアスが席を離れ、フィアの前に歩み寄った。


「拝見する」


 帳面を差し出した。両手から両手へ。革の表紙がマティアスの長い指に渡った瞬間、息が詰まりかけた。五年間、自分以外の手に渡したことがない。


 マティアスは帳面を机に戻さなかった。立ったまま、最初の頁を開いた。


 沈黙が落ちた。


 評議員たちの視線が帳面に集まっている。候補生の列も、壁際の管理局の者たちも、石のように動かなかった。


 頁をめくる音だけが響いた。


 マティアスの指が止まった。最初の頁。


「一年目の秋から始まっている。膝の関節の老婆。名前、症状、日付、使用した薬草、治癒に要した回数」


 声が評議の間に響いた。フィアの字が、他人の声で読み上げられている。


「次の頁。咳の症状の男。治療期間ひと月。その下に背中の痛みの女。同じ書式で、同じ精度の記録が続いている」


 マティアスの指が頁をめくり続けた。二年目、三年目と厚みが増していく。


「記録の書式が途中から変わっている。三年目の冬から、治癒経過の欄が追加されている」


「患者さんの症状が複雑になってきたからです」


 フィアの声が自分でも小さく聞こえた。マティアスが顔を上げた。


「なぜ複雑な症例が増えた」


「……正廊の実習室が混んでいる日に、時間のかかる患者さんが東翼に回されてくるようになりました」


「いつ頃からか」


「四年目の冬です」


 マティアスは頷いて帳面に目を戻した。四年目、五年目と頁を追う。指の動きが速くなった。数えているのだと気づいた。患者の数を。


「五年分の記録、全頁が埋まっている。最後の余白はほとんどない」


 帳面を閉じた。革の表紙を両手で押さえたまま、評議員の席に目を向けた。


「内容の詳細な照合は別途行う。だが、候補生が個人でこれだけの記録を維持していたことは事実として認められる」


 フィアに帳面を返した。指先が触れた。マティアスの手は冷たかった。


---


「次に、下級神官レオの提出物を確認する」


 レオが紙の束を評議員の机に置いた。


 薄い紙が七枚。候補生七人の名前と、五年分の得点が横に並んでいる。帳簿の写し。レオが閲覧申請を経て取得し、自分の手で一枚ずつ書き写したもの。


 マティアスが紙を広げた。隣の評議員が身を乗り出した。


「これが保管室にあった得点の控えか」


「はい。閲覧申請の控えも持参しております」


 評議員たちの目が紙の上を走った。


 沈黙が長くなった。


 マティアスの指が紙の一点で止まった。


「第七席の欄。五年間の得点がすべて三一二。年ごとの変動がない」


 フィアの背中が冷えた。自分の数字が、この部屋の空気の中に放り出されている。


「他の候補生の欄は年ごとに数紋から数十紋の幅で動いている。第七席のみ、五年間完全に同一の数字」


 評議員のひとりが口を開いた。


「聖秤は治癒行為を自動で計測する装置だ。治療件数が増えているのに得点が一切動かないというのは、装置の記録として整合しない」


 ドレの列から、衣擦れの音がした。


 マティアスが紙の別の箇所を指した。


「第一席の欄。こちらは年ごとに得点が上がっている。一年目から五年目まで、ほぼ四十紋刻みで均等に上昇」


「均等に、ですか」


 別の評議員が眉をひそめた。


「治癒の得点が毎年ほぼ同じ幅で上がるというのは、自然な成長の曲線としては不自然だ」


「加えて」


 マティアスの声が低くなった。


「第一席の欄にのみ、元の数字の上に重ね書きの痕跡がある。インクの色と筆跡が、基の記入と異なっている」


 評議の間が静まった。


 候補生の列が揺れた。第二席から第六席の五人が、互いを見ないまま微かに動いた。


 姉は動かなかった。背筋が真っ直ぐなまま、正面を向いていた。


「レオ殿。この重ね書きについて、写しを取った際に気づいたか」


「はい。原本を書き写す過程で、筆跡とインクの違いに気づきました。基の記入は細い筆の淡い墨ですが、重ね書きは太い筆の濃い墨です。三年分——一年目、三年目、五年目の第一席の欄にのみ見られました」


「書き直しの方向は」


「すべて上方向です。元の数字より高い数字に書き直されています」


 フィアの耳の奥で、音が遠くなった。レオの声が壁に反響して、二重に聞こえた。


 知っていた。レオと二人で、東翼の机の上で紙を広げた夜に。


 けれど、こうして石の壁に囲まれた広い部屋で、六人の評議員と七人の候補生と管理局の者たちの前で読み上げられると、数字の意味が変わった。私的な発見が、公の事実になろうとしている。


---


 ドレが口を開いた。


「書き直しにつきましては、集計の過程で生じた転記の修正と考えられます。管理局では毎年、聖秤の計測値を紙に控える際に確認作業を——」


「管理官殿」


 マティアスが遮った。


「転記の修正であれば、修正の根拠となる元の計測値が存在するはずだ。それを示せるか」


「元の計測値は聖秤の板に刻まれておりますが、現在聖秤は——」


「停止している。だからこそ、紙の控えが唯一の証拠となる。その控えに書き直しがあり、かつ元の計測値と照合できないのであれば、修正の正当性を示す手段がない」


 ドレが黙った。白髪混じりの頭が微かに下がった。


 評議員のひとりが紙を手に取った。


「整理する。第七席の欄は五年間三一二で不動。治療件数は年々増加し、本年度は百四件。第一席の欄は三年分の書き直しがあり、すべて上方向。他の五人の候補生の欄に書き直しはない」


 声が石の壁に跳ね返った。


「これは、得点の記録に何らかの人為的な操作が加えられていた可能性を示している」


 管理局の列が動いた。ドレの隣にいた者が、無意識に半歩後ろに下がった。


「操作の主体と目的については、今後の調査で明らかにする必要がある。だが、現時点で確認できることがある」


 評議員がフィアに目を向けた。


「第七席。五年間の治療件数と得点の乖離について、心当たりはあるか」


「ありません」


 フィアの声は平らだった。心当たりは、ない。なぜ三一二なのか、なぜ五年間動かなかったのか。帳面に書き続けてきた名前の数と、掲示板に並んでいた数字が噛み合わないことだけを、ずっと知っていた。


「得点が低いことに疑問を持ったことは」


「……持っていました。けれど、聖秤は人の手が加わらない公正な装置だと説明を受けていましたので」


 マティアスの目がフィアに向いた。何も言わなかった。ただ、右手の中指のインクの染みが見えた。書き物をする人の手。記録を読み解く人の手。


---


 マティアスが立ち上がった。


「本日の確認で判明した事項を整理する」


 声が評議の間の天井に届いた。


「一。管理局が保管すべき帳簿の原本のうち四冊が所在不明。二。下級神官レオの写しから、第一席の得点に三年分の書き直しが確認された。方向はすべて上方向、筆跡とインクは基の記入と異なる。三。第七席の得点は五年間三一二で不動であり、治療件数の増加と整合しない。四。他の五名の候補生の欄に書き直しの痕跡はない」


 六つの椅子に座った評議員たちが頷いた。


「評議会として、得点記録の不正操作の可能性を正式に認め、調査を開始することを提案する」


「異議なし」


 声が重なった。


 フィアの腕の中で、帳面が重くなった。革の表紙に自分の体温が伝わっている。


 視界の端で、姉が立っていた。銀糸の儀礼服。亜麻色の髪。背筋は真っ直ぐだった。


 姉の手が、わずかに握られていた。指先が白くなるほど。


 フィアはそれを見て、目を逸らした。


---


 樫の扉が開いた。候補生が一人ずつ出ていった。


 姉が最初に出た。足音が正廊に遠ざかっていった。速くも遅くもない、いつもと同じ歩調だった。


 第六席の少女がフィアの横を通り過ぎるとき、何か言いたそうに口を動かした。けれど声にはならなかった。小さく頭を下げて、出ていった。


 評議の間に残ったのはフィアとレオ、そして評議員たちだった。


 マティアスがレオの写しを丁寧に揃え、机の上に置いた。


「下級神官レオ。この写しは評議会の記録として預かる。異存はないか」


「ありません」


「フィア殿。帳面の詳細な照合は後日行いたい。その際にもう一度お借りすることになるが、よろしいか」


「はい」


 マティアスが頷いた。インクの染みのある右手が、写しの束の端を整えた。


「今日の証言に感謝する。二人とも、下がってよい」


 壁際に控えていた管理局の者たちは、すでに姿を消していた。ドレの白髪混じりの頭も見えなかった。


 渡り廊下に出た。秋の午前の光が石畳に落ちていた。朝よりも日が高く、蔦の影が短くなっている。


「フィアさん」


 レオが隣を歩いていた。


「写し、出してよかったですか」


「……ええ」


 レオは黙った。しばらく歩いて、声を落とした。


「あの書き直しが誰の手によるものか——それは、まだ誰にもわかりません」


 フィアの足が止まった。


 姉の指先が白くなるほど握られていた手を思い出した。


 あの書き直しを、姉が頼んだのか。姉が知っていたのか。それとも姉の知らないところで、誰かが勝手に書き直したのか。


 わからない。わからないまま、帳面を腕に抱えて東翼へ歩いた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


帳面に書き続けてきた名前の数と、掲示板の数字が噛み合わない——フィアがずっと言葉にできなかった違和感が、ようやく公の言葉になった回です。けれど「不正が暴かれた」のではなく、「不正の可能性が認められた」段階。ここからが本当の嵐です。


姉の指先が白くなるほど握られていたこと、フィアはそれを見て目を逸らしたこと。この二人の間にある感情は、「告発者と被告発者」では割り切れない。次話以降でその重さが効いてきます。ブックマーク、評価、感想をいただけると続きを書く大きな力になります!

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